知の快楽 哲学の森に遊ぶ
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西洋哲学と男色


ミシェル・フーコーが同性愛者であったこと、またあのソクラテスやプラトンが少年愛に溺れていたこと、などは筆者にも分かっていた。しかし、西洋哲学史に登場する哲学者の圧倒的な部分が同性愛者であることまでは知らなかった。それを分からせてくれたのは、丸谷才一氏である。

丸谷才一氏は、木田元、三浦雅士両氏との会談「思想書を読もう」の中で、「ソクラテスからニーチェ、ウィトゲンシュタインまで、みんな男色者なんですね。そのせいで女の問題が除外されちゃったというのは言えるんじゃないかなあ」と発言したのである。その言葉に接して、筆者ははっとしたものだった。そうだとしたら、自分には哲学を語る資格はないのかなあ、ととっさに思ったわけなのだった。

ことの発端は、木田元氏が、ソクラテスには二人の妻がいたことを紹介したことにあった。例の悪名高いクサンチッペのほかに、ソクラテスは、「正しい人」という意味の儀人アリスティデスの、娘だか孫娘だかにあたるミュルトという名前の女性を妻にしていた。その上で、ソクラテスはクサンチッペとの間に一人、ミュルトとの間に二人の子供を作った。この二組の母子は、ソクラテスの処刑の現場にも仲良く立ち会ったそうなのである。

このことからもわかるとおり、古代ギリシャでは女性は一人の女性として尊重されず、したがって物の数には入らず、男だけが考慮の対象になったのだった。そうした文化のあり方が哲学者たちにも反映して、哲学者は女性を除外して、哲学のテーマを考えた。そんなところから、彼らの間では男同士の愛情、すなわち同性愛が流行ったのだという方向に、話が進んだわけである。

ソクラテスは、女性の配偶者を二人も持ちながら、なおかつ男性の尻を追いかけまわしたわけだったが、プラトンの場合には生涯独身で、男だけを愛した。シシリー島のシラクサの僭主の義弟にディオンというものがいたが、プラトンはこの男と同性愛の関係になって、何度もシラクサを訪れては大騒動を起こしたそうである。

その後、アウグスティウスをはじめ西洋のスコラ哲学者にも妻を持つ者はいなかったし、デカルトにもいない、パスカルも、スピノザも、カントも、ショーペンハワーも、ニーチェも、みんな独身者だったと木田元氏が紹介した後で、先ほどの丸谷氏の言葉が飛び出てきたわけなのである。

西洋哲学史というのは果して、丸谷氏の言うように、同性愛の系譜の上に成り立っているものなのだろうか。丸谷氏は、西洋思想史全体を見渡すと、ギリシャ以来19世紀の半ばごろまで、思想家が対象としてきた人間像は非常に限定されたものだったという。それは畢竟、成人した、つまり性愛の対象となりうるほど成熟した男性像をモデルにしているのではないか。丸谷さんはあからさまにこういってはいないけれど、その発言を忖度すると、そういうことになる。つまり哲学者の思考とは、自分の思考と恋人たる男性の思考との間の対話のようなものなのだということらしい。それが観念の遊びに陥りがちなのは、倒錯した性愛の反自然性から来る、そんなことになりそうだ。

哲学者の中には当然、異性愛を貫いた人もいるはずだが、同性愛者によって確立された思考のパターンが余りにも強い効果を発揮したために、ヘテロな人々もホモの考えに馴染むようになった、そういうことなのだろうか。

西洋の思想家たちがそうだったのだとすれば、東洋の場合はどうなのか。とりあえず、中国の文化くらいしか話題にはできないが、これが異性愛について非常に否定的なことは良く知られている。漢詩を繙いても、男女の恋愛を歌ったものはないに等しい。その代わりに男同士の友情を歌ったものは星の数ほどある。この辺はやはり、東洋の思想家にも、男色が流行っていたことを物語っているのだろうか。

日本人は抽象的な思考が非常に苦手であるが、男色については寛容な民族だった。藤原氏が全盛を誇った時代から、明治維新まで、男色は日本の文化を特徴づける重大な要素のひとつだった。

しかし面白いことに、男女の性愛が軽視されたというわけでもなかった。源氏物語をはじめとする偉大な日本文学は、男女の性愛をテーマにしたものばかりである。それを徳川時代になって、中国の儒教にかぶれた連中が、姦淫の書だとか、みだらなことを教える本だとか言って排斥した。そのことが、あの本居宣長大先生には気に入らなかった。宣長大先生は源氏物語が大好きだったからである。

そこで宣長大先生は何と言ったか。中国人は野蛮な悪人たちだから、男女の恋愛などという優雅なことを否定するのだ、そういったわけである。中国人は男女の仲を考えるにあたって、恋愛感情を抜きにして、ただ相手を押し倒すことしか考えない、と宣長大先生は断罪した。そこから飛躍して、そんな野蛮な連中は侵略しても構わないという過激な主張をするようにもなった。

そこのところはともかく、日本文学の伝統においては、男性同士の同性愛よりも、男女間の異性愛が尊重されてきたことは明らかだ。そこで、男女の異性愛を高らかに歌い上げたのは、紫式部をはじめとした女性たちだったのである。

こんな経緯があるから、日本人はいよいよ抽象的な思考から遠ざかり、感覚的で、地に足のついた考え方をするようになった、こんな風にいえるかもしれない。

しかし、西洋でも、十九世紀の半ば以降は異なった流れが出てくるようになった。フロイトが精神分析の中で、女のヒステリーや子供の性欲を取り上げた。フレーザーやレヴィ・ストロースは未開人と呼ばれる人々を取り上げた。また、最近のサイードになると、非ヨーロッパ人や難民、亡命者が主な関心事になった。つまり、これまでは、人間と言う概念の周縁部にあって無視されていた人々が、大事にされるようになった。こうした人々を理解することが、人間というものを本当に理解するための手掛かりとなるのだと。

このことは、人間観が多様化した徴なのだと言い換えても良い。人間関係とは、成熟した男性同士の観念的な関係にはとどまらない。多種多様な人間関係があるし、それに応じて多彩な人間の顔がある。こうした当たり前のことがやっと理解されるようになった。それは、西洋の思想が男色の呪縛から解放されつつあることの、あかしといえることなのかもしれない、と決して哲学的な人間とは言えない筆者などにも、哲学の一つの見方だと納得されるわけなのである。





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