知の快楽 哲学の森に遊ぶ
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内田樹「街場の中国論」


この本のあとがきで内田は面白いことを言っている。この本は自分自身に読ませるために書いた本だというのだ。というのも、他に読みたくなるような本がないときには、自分自身でそれを書く、それが内田の流儀だと言うのだ。そこで、自分で書いた本なんて、知っていることばかりで新しい発見がなく、面白いはずがないだろうという疑問が湧くところだが、その心配には及ばないのだと内田は言う。なぜなら、自分にとって面白い箇所は、「書く前にはそんなことを考えたことがなく、書き終わったあとは忘れてしまったこと」だからと言うのである。そんな理屈もあったものかと、感心した次第だ。

そう言う内田にとって、「街場の中国論」と題したこの本は、本人も気に入っていると言うくらいだから、他人が読んでも面白いと言える。たしかに内田が言うとおり、この本には中国についてあまり知られていない事柄(筆者のようなものがあまり考えたことがないこと)がたくさん書かれているし、読み終わったあとは忘れてしまうかもしれないようなこと(面白いところが多すぎて筆者のようなものには覚えきれないこと)がふんだんに詰まっている。そういう点では贅沢な本だ。読者は恐らく、二度読みでも三度読みでも初めて読むような気にさせられるところを多く発見するに違いない。

勿論何度読んでも変わらない印象を与えるであろう部分もある。中国というこの巨大な隣人とどう向き合うかという、内田の基本的な姿勢にかかわる部分だ。内田は、「僕自身はとくに親米でも親中国でもありません」とわざわざ断っているが、まえがきで「中国と日本は東アジアのイーブンパートナーとして協力関係を築くべきだ」といっているように、できれば今後の日本が、アメリカ一辺倒ではなく、中国と良好な関係を築いていくべきだと考えているようである。内田がこの本を書いたのは、2005年のことで、中国では反日暴動が吹き荒れ、日本ではそれを受けて反中感情が高まっているときだったので、このような発言はフリクションを覚悟の上だったと思われる。ということは、内田が中国に対してかなり好意的なスタンスに立っているということだろう。

内田がこのようなスタンスをとるようになったについては、いくつかの理由があるようだ。そのもっとも重要なものは、これまでの日中の歴史だ。日本は中国と付き合うようになって1500年になるが、その間中国から本格的に攻められたことがない(モンゴル人政権による元寇のような例外はあるが)。逆に日本が中国に対して無法なことをしてきたわけだが、先の日中国交回復交渉に当たって、中国はそれを問題にしなかった。その背景には、中国独自の世界観(華夷思想)やら行動様式(王化戦略)がある。内田にいわせれば、中国人はアメリカ人と違って、世知辛くないのである。それゆえ、「『中国ルール』に付き合うのが日本としては経験的に言って『利がある』と僕は思います」と言うわけであろう。

内田が日本にとって望ましい外交戦略として考えているのは、日本・中国・韓国による東アジア共同体の形成だ。戦後の日本にはさまざまな選択肢があったわけで、この東アジア共同体の構想もその一つでありえた。いまでこそ、韓国も中国も自立して日本に対抗できるまでになったが、そうなるまでは日本の圧倒的な優位が続いていた訳だから、そういう時期に日本がリーダーシップを発揮して東アジア共同体を作り上げるという選択肢は十分な現実性をもっていたはずだ、と筆者なども思わないわけではない。

現実は結局そうならないで、日本はアメリカへの従属の道を選び、戦後70年たった現在までそれを続けているばかりか、かえって従属の度合いを強めようとまでしている。それがアメリカの利害にかなった生き方だったというのはともかく、日本の指導者がそれ以外の選択肢を考えなかったことは一体どうしてなのか。その辺の事情についても、この本はいろいろな材料を与えてくれる。

そんなわけでこの本は、中国を論じながら、日本が進むべき道について考えるきっかけももたらしてくれる。

もう一つ、中国の対外関係においてなぜ日本ばかりが非難の対象になるのか、という点についても、この本はうがった解釈を提供してくれる。中国の近代史は不名誉なことの連続で、中国は欧米の帝国主義列強によって侵略され続けてきた。日本もその侵略に加わったわけだが、なぜか日本ばかりが中国の非難の対象になる。日本が中国に対してひどいことをしたのは間違いないとして、もっとひどいことをした国は他にもある。それなのに、中国は日本ばかりを非難する。それはなぜか。

中国の近代史は不名誉なことの連続だったと言ったが、一つだけ自慢できることがあった。それは日中戦争期において、中国人が抗日戦争の名目で一致団結したということだ。近現代の中国人が中国人としての積極的なアイデンティティをもてたのは、内田によればこのときが初めてでまた最後だったと言うのだ。対日関係は中国人を団結させる効果を持つわけである。国内的な危機を対外関係の危機をあおることで乗り切ろうとするのはどの国の権力者もやることであるが、中国の権力者にとっては、日本を悪者にして非難することは、とりあえず中国人を団結させ、国内的な危機から目をそらさせる絶好の戦術になっているというのである。

ことほどかように、日中関係は複雑な糸によってつむがれていることを、この本は気づかせてもくれるのである。




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