知の快楽 哲学の森に遊ぶ
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佐高信・西部邁「思想放談」


佐高信と西部邁の対談集「思想放談」を読んだ。この二人は、それぞれ右と左のチャンピオンを自認しており、水と油のような間柄と思えるのだが、何故か気が合うらしく、この本以外にも対談集を出しているし、個人的にも気を許しあった間柄らしい。何故そうなったのか。その手がかりが「トクヴィル」を語った部分に出てくる。佐高はある文章の中で西部邁を批判した時に、西部から「便所の落書きみたいな文章を書くな」と怒られたことがあったが、その時に逆切れするどころか、うまいことを言うもんだと感心してしまい、それ以来西部を高く評価するようになったのだという。

佐高には面白いところがあって、櫻井よし子のようなごりごりの右翼とも仲が良いようだ。櫻井とはどのようなわけで仲良くなったのか、筆者にはわからないが、人間というものは、主義主張だけで引き付けあったり反発しあったりするものではないゆえ、そんなに深く考えることもないのだろう。

たしかに、佐高の表現には極端なところがある。西部がそれを「便所の落書き」と受けとるのも無理はないが、しかし、佐高の文章を「便所の落書き」だとすれば、世間にいま溢れているのは「便所の落書き以下」の下品な言説ばかりだ。

例えば、従軍慰安婦をめぐる最近の異様なフィーバーぶりなどを見ていると、日本人というのはいつからこんなに下品に成り下がったのか、と思われるくらいに「便所の落書き以下」のひどい表現が氾濫している。これは先日朝日新聞が、従軍慰安婦を巡る過去の報道を取り消したことを受けたものだが、週刊誌各誌は、鬼の首でもとったような騒ぎぶりだ。週刊新潮は「一億国民が報道被害者になった」、週刊文春は「朝日新聞売国のDNA」、週刊ポストは「朝日新聞慰安婦虚報の本当の罪を暴く」、週刊現代は「日本人を貶めた朝日新聞の大罪」と言った具合で、朝日の弱みに付け込んで、言いたい報道と言ったありさまだ。

新聞のほうはさすがにここまで落ちてはいないが、それでも、朝日がいわゆる「吉田証言」を取り消したことを踏まえて、慰安婦問題そのものが存在しなかったかのごときキャンペーンを繰り広げている。その挙句、いわゆる「従軍慰安婦」は性奴隷などではなく、自発的な売春婦だったかのような決めつけをしているものもある。

しかし、所謂「河野談話」が、吉田証言のみを根拠にしたものではなく、したがって吉田証言が虚偽であったことを理由に慰安婦問題の存在を否定できないことは、今回の慰安婦問題の火付け役の一人だった某元官房長官でさえ認めている。その一方、安倍政権の現官房長官は、朝日が吉田証言を取り消したことをきっかけに、慰安婦問題をめぐる国際的な認識を改めさせたいという趣旨の発言までしている。

日本の右翼勢力が、日本の恥になるようなことがらを見たくない、という気持ちはわからないではない。しかし、見たくないということは、存在しないということと直結しない。あまつさえ、慰安婦を自主的な売春婦だとして貶めるようでは、日本人の国際的な信用を損なうことにつながる。こんなことを叫んでいるようでは、この連中は、自分の母親も含めて、女というものは皆売春婦であり、したがって人権とか尊厳を考慮する必要はないのだと、いっているようなものだ。そう受け取られても致し方のないところがある。

ところで解せないのは、朝日の対応ぶりだ。今回の取り消しにあたっては、それなりの覚悟で臨んだのかと思えば、いまのところ言われっぱなしで、だんまりを決め込んでいる。それかあらぬか、自社を批判する内容の広告の掲載を拒否したり、広告の文言の一部を黒塗りにしたり、自由な言論を標榜する者にあるまじきようなことをしている。こんなことをするから、朝日を敵視する者に一層の攻撃材料を与えることともなる。

ともあれ、今回の事態は、日本の言論界にとっては大きな試練になるだろう。




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