知の快楽 哲学の森に遊ぶ
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デカルトのコギト Cogito ergo sum


デカルトの有名な言葉「我思う故に我あり(Cogito ergo sum)」 は、あらゆる意味でヨーロッパの近代思想の出発点となった。それは世界の存在や人間の認識を、個人の意識の明証性に立脚させるものである。何ものも、この明証性によって支持されないかぎりは、その存在を明証的なものとして主張し得ない。こうした主張を、筆者は意識の呪縛と名づけている。デカルト以降今日に至るヨーロッパの哲学思想は、すべてこの意識の呪縛の中から生まれてきたのである。

私が自分の存在について確信するのは私が考えているからであり、世界が私にとって現れるのは、私の意識の相関者としてである。こうしてデカルトにおいては、考えるという現実が出発点としてあり、その考えるという行為の主体として我という実体が抽出され、その考えることの対象として世界が現前してくる。だから世界は「考える我」を中心にしてその回りを廻っているようにも喩えられる。

この「世界の中心に考える我がある」という主張は、実に革命的なものであった。だがそれは後代の思想に、容易に解き得ない呪縛をももたらした。

いまや世界や人間を、それが私の意識とは独立したあるものとして、その存在のさまを客観的に叙述しようとする態度はナンセンスなものとなった。世界や人間は、それがあるままの自然の姿として現れているわけではない。それがそこに現れているのは、それが私の意識の中で表れ出ている限りにおいてである。つまり世界を構成すると私が確信するあらゆるものは、私の意識の対象である限りにおいて、わたしにとって意味をもつのである。

私とは峻別されたところで、私とは独立に存在するものが、私の意識の中に現れるのではない。現れているものはあくまでも、私の意識の相関者に過ぎない。

後にカントは「物自体」という概念を持ち出して、それを対象の実体をなすものだと説明したが、物自体は直接には我々の知るところではないといった。物は我々の意識に現れるその限りで、我々にとっては物なのであり、それを越えた超越的な実体を定立しようとするのはナンセンスだといった。

またフッサールは、世界を意識の主体としての人間を中心に組み立てて考えたが、一人の人間の意識にとって、他の人間が果たして実体性を持ちうるのかどうかについて煩悶した。そこで彼は世界を、意識を供えた諸々の個人の共同主観的関係からなるという、奇妙な提案に行き着いた。

バークリーは、この世に確実なものは自分の意識だけであり、その他のものはみな幻影に過ぎないとまで言い切った。

これらの主張はすべて、デカルトのコギトから派生しているのである。

デカルトはどのようにして、このコギトにたどり着いたのだろうか。彼はバヴァリアで確信した四つの格率を実践するうちに、あらゆる研究の第一原理となるような明証的な真理を求め続けた。彼はこの明証性を得るために、逆な意味で、あらゆる事柄を疑ってかかった。方法的懐疑といわれるものである。

この懐疑のフィルターを通すと、あらゆるものが疑わしいものとなった。自分自身の肉体でさえ、もしかしたら本当には存在しないのかもしれない。自分が確実だと思っている対象も、もしかしたらただの夢の中の存在なのかも知れぬ。

ここまで懐疑を徹底しても、やはり確実なものとして残るものがある。それがコギトだとデカルトはいう。「私がこのように、すべては偽である、と考えている間も、そう考えている私は、必然的に何者かでなければならぬ、」と。

デカルトがまず、明証的で疑い得ないものとしてとらえたものは、考えるというそのことであった。この考えるということを、デカルトは広い意味でとらえている。疑い、理解し、着想し、肯定し、否定し、意志し、想像し、また感じること、夢の中の出来事でさえ考えることのうちに含まれた。要するに人間の意識の作用すべてをカバーしている。

では何故このコギトは自明で疑い得ないものなのか。デカルトはそれが明晰で判明だからだといっているに過ぎないが、それ以上のことを言う必要を認めなかったのだろう。それほど考えているという事態そのものは、迫力をもってデカルトの心をとらえたのである。

デカルトは次に、この考えているという事態から一歩進んで、考えている主体としての我を持ち出す。「私は考える、ゆえに私はある(Je pense, donc je suis)」 という命題の誕生である。

デカルトはいう。「私は考える、故に私はある、という命題において、私が真理を言明していることを私に確信させるものは、考えるためには存在せねばならぬということをきわめて明晰に私が見るということ以外に、まったく何もない、ということを認めたから、私は、我々がきわめて明晰に判明に理解するところのものはすべて真である、ということを、一般的規則として認めてよいと考えた。」

厳密に考えれば、「考えがある」ということと「考えている私がある」ということは別のことだ。だから考えている事態があるからといって、その主体としての私もあるというには、それなりの手続きが必要だったろう。

しかしデカルトは「考えがある」と「考えている私がある」とを、媒介なしに結び付けてしまった。その結果私は考えている限り存在するものであり、世界はその考えの中に現れる限りにおいて存在するのだという、証明をくぐらない言説が横行する原因を作ったのだといえる。

ともあれ、デカルトはこうして、自我と世界とを思考の平野の中に閉じ込めてしまった。デカルト以降の哲学には著しい主観主義的傾向が支配するようになるのだが、それは、デカルトのコギトがもつ構造的な制約に由来しているのである。





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