知の快楽 哲学の森に遊ぶ
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アベノミクスは日本を取り戻せるか


安倍首相が早速打ち出した経済活性化対策が注目を集めている。それどころか、市場がそれに反応して、円安株高の状況まで生じている。果して、アベノミクスと呼ばれている安倍首相の経済政策は、中長期的に機能して、一時的な好景気に終わらず、本格的な日本経済再生につながるのだろうか。

アベノミクスの柱は三つある。安倍首相はそれを三本の矢と呼んでいるそうだ。一族の出身地長州の故事を踏まえたつもりだろう。その三本の矢とは、積極的な財政出動、大胆な金融緩和、そして企業の投資を呼び込む成長戦略だ。どの項目も、経済を活性化させるうえでの、いわば王道ともいえる政策だ。これらの政策が、教科書に書いてある通りに機能すれば、日本の景気は良くなるはずだ。しかし、短期的に良くなることは、ほぼ確実に言えるとしても、中長期的に持続するかどうかは、そう確かではない。

これらの政策が機能するためには、基本的な条件が整っていなければならない。その条件とは、寝強い需要が存在しているということである。つまり物を作れば作っただけ売れるというような、需要があることが前提だ。その需要には、大きく分けてふたつの側面がある。短期的な側面と、長期的な側面だ。

短期的な側面とは、家計の消費意欲が高いということだ。家計の消費意欲が低ければ、作ったものも買ってもらえない。その家系の消費意欲に大きな影響を与えるのは家計を支える賃金の状態だ。これが低いままに抑えられていては、いくら消費を刺激しようとしても、消費が増えるわけがない。ところが今の日本では、労働分配率が極端に低くなった結果、家計の消費が大きく阻害された状態にある。そこのところを手当てしない限りは、経済は持続的な拡大をしていけないだろう。インフレターゲットを儲けて金融を緩和し物価をあげたところで、家計が消費を拡大できる条件がなければ、景気が持続するわけがない。名目物価だけ上がって、実質の生活レベルは縮小するというのでは、庶民は泣くにも泣けないだろう。

長期的な側面とは、物やサービスに対する国民の構造的なレベルでの需要のことをさす。高度成長期の日本人は、物やサービスにたいする購買意欲が高かった。だから、そのような状態では、作ったものは殆ど売れた。しかし、いまや日本国民は曾てとは異なり、物にせよサービスにせよ、それほど飢えてはいない。飢えていない人間は、つまらぬものを争って買ったりはしないものだ。そうした状態にあっては、生産を拡大したところが、売れる見込みは限られ、したがって持続的な成長は期待できない。持続的な成長を可能にするためには、国民の需要のありかたを、一段高度なものに転換していく必要があろう。つまり、技術革新などによって、これまでに存在しなかったモノやサービスを生み出すことが必要なのだ。そうしたものを生み出すことができれば、国民のなかに新たな巨大需要が生まれてくることにつながり、持続的な経済成長が可能になるであろう。

したがって、三本の矢の中では、公共事業の使い方を工夫するとともに、成長戦略に真剣に取り組むことがポイントになる。公共事業は確かに一時的な需要をもたらし、その限りで経済を拡大するが、それは持続的な経済成長につながるとは限らない。橋や道路を作って雇用を拡大しても、一時的には経済は潤うが、公共事業をストップすれば、その効果はそこで終わってしまう。そうさせないためには、持続的な成長が見込まれる分野に集中的に金をまわすことだ。そうすることで、公共事業の効果が長続きするばかりか、新たな成長分野が生まれてくることにもなる。

とにかく知恵を働かすことだ。三本の矢だなどといっても、それをバラバラに使ったのでは力を発揮しない。三本の矢は束ねてこそ何倍にも威力を発揮するとは、長州の故事が語っている通りだ。そのことを肝に銘じて、とにかく頭を働かせることだ。でないと日本を取り戻すどころか、公共事業で借金ばかり残り、金融緩和でインフレが猛威を振るい、成長分野からは置き去りにされる、などということになりかねない。




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作者:壺齋散人(引地博信) All Rights Reserved (C) 2007-2014
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