知の快楽 哲学の森に遊ぶ
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小野善康「不況のメカニズム」


小野善康氏はユニークな不況動学論を展開しているそうだが、その理論はケインズ理論の批判的検討を通して生まれてきたようだ。この本は、氏のケインズ批判の要点と、それを踏まえた上での不況克服のための処方箋を示している。非常に薀蓄のある議論だ。

新古典派が想定しているような、需給の調整を通じて経済の均衡状態がもたらされ、そこで完全雇用が実現されるということは例外的な事態なのであり、多くの場合には不完全雇用下での均衡が成立するに過ぎない。その基本的な原因は、需要が不足していることだ、とするケインズの基本的な前提を、氏は評価することから出発する。

ケインズの理論は、一時は一世を風靡するほどに受容されたが、近年はその政策的な有効性に疑問が投げかけられ、新古典派の経済学からは、新古典派経済学の単なる一亜種として、呑み込まれてしまうに至った。つまり、ケインズ理論は新古典派に対立するようなものではなく、経済の一時的な不均衡状態に焦点を当てた特殊応用ケースの理論なのだという了解が支配的になってしまったわけである。

そのわけは、折角、需要不足が不況の原因だといいながら、ケインズは需要不足が生じるそもそもの原因を適切に把握しなかったことにある、と氏はいう。ケインズは需要の要素として、消費と投資を考えることでは新古典派と同じであり、更に投資の方こそが需要不足の主要な原因であると考える点でも新古典派と変わるところはない。これでは、新古典派を批判して、真に有効な経済政策を提出しているのだと主張しても、インパクトに欠けるのではないか、それが氏のケインズ批判の要点である。

ケインズは流動性の罠によって、貨幣の保有願望が、投資に流れるべき金を吸い込んで投資を抑制し、需要不足が生じると考える。一方消費の方は所得の関数だから、需要不足によって不完全雇用が生じ、それが所得を減少させることで、消費が減少するという具合に、あくまでも投資に対して従属的な役割に甘んじている。需要の規模を決定するのは、あくまでも投資なのだ。

しかし、新古典派からすれば、経済が拡大して生産能力が極大になれば、貨幣への欲望があろうとなかろうと、投資の機会は減る。それでも需要不足が発生することはない。なぜなら、需要不足によって物価が下がり、それによって貨幣の実質量が十分に拡大すれば、貨幣に向かっていた欲望が消費に回り、需要不足が解消されると考えるからだ。

そこで氏は、流動性の罠による効果が、投資ばかりでなく消費にも表れると考える。つまり貨幣の保有願望が消費を抑制するという見方だ。消費の抑制こそが、需要不足の基本的な原因だと考えれば、現実の経済対策は、従来のケインズ流の対策とはかなり色あいの異なったものになるはずだ。

従来のケインズ流の経済政策は、資本の収益率がゼロになって利子生活者が消滅するまで投資を続けるべきだとか、無駄であっても投資を行って失業者に仕事を与えるべきだとか、主に投資の規模を拡大することにウェイトを置いていた。投資こそが需要の規模を決定するという立場の反映である。

しかし、投資ではなく消費が需要のカギだとすれば、投資を盛んにしても需要の拡大は期待できず、場合によっては需要を縮小させる効果さえ持つ。需要がないところに投資を行って生産物を増大させれば、商品は売れ残って企業は倒産し、その結果勤労者の所得が減少して、需要を一層冷え込ませるからだ。

だから本当に必要なのは、所得のうちの消費部分の拡大をもたらすような政策をとることだ、そう氏は結論付ける。需要不足が起きるのは、金を貯めることばかり考えて、使おうとしない、そういう人々の態度に根源的な原因がある、というわけだ。

そういう視点から、ケインズの不況対策を見直すとどうなるか。ケインズはたとえ無用でもいいから、政府が積極的に公共事業を行い、失業者を雇ってやればいいといったために、無駄な公共事業を進めていると攻撃された。しかし、失業者の雇用は、もともと余っている人間を活用するわけだから、その結果生産された財が一定の社会的価値を持っていれば、その価値の分だけ、社会全体の富が増えたと考えることができる。たんに失業手当を給付するよりは、社会的に有用な行為だといえる。

また税制などを通じての所得の移転も、豊かな者から金を取り上げてそれを貧しい人にばらまくといった分配の側面ばかりが強調され、悪平等だとか、働く意欲をそこなうものだとか批判されるが、これも社会全体の需要を増やすことで、経済全体が活性化し、その結果豊かな人にも恩恵が及ぶのだと捉えなおすことができる。

このように氏は、ケインズの需要不足論を足掛かりにしながら、ケインズの見逃していた消費不足という要因に注目して、消費の規模をコントロールすることで、経済の安定を図っていこうというスタンスをとっている。

そういう立場だから、小泉構造改革がとってきた政策には厳しい評価をしている。小泉構造改革は、新古典派の経済理論をそっくりそのまま日本経済に適用したもので、その結果は、経済を活性化させるどころか、沈滞した経済をますます落ち込ませたと手厳しい。

「実際不況の深刻化は、1998年に実施された橋本政権下の財政構造改革と2001年以降の小泉政権下の構造改革始動直後に起こった。さらに、赤字国債が激増したのは98年であったし、歴代政権でもっとも財政赤字を蓄積したのは小泉政権であった」

小泉政権のやったことは、「構造改革の名のもとに、かえって大衆の不満を煽りながらそれを利用し、大衆の先頭に立って公共投資を縮小し、企業の整理倒産を促し、不良債権処理と称して銀行の貸し渋りをもたらし、政府金融の整理縮小を叫んで民間投資を圧縮した」ことだ。その結果日本経済はますます泥沼に落ち込んでいったという評価である。

氏はまた、日産自動車を驚異的な速さで回復させた「ゴーン改革」についても批判している。日産の急速な回復は、「自動車の販売を増やして多くの人々に自動車の便益を提供したからではなく、二万人規模の大量解雇などで大幅なコスト削減を行い、効率化を図ったためだ」と分析し、それが一種の近隣窮乏化政策であったといっている。そのような政策は、日産一社が回復するためには有効であるかもしれないが、社会全体が一斉に同じようなことをしたら、破壊的な効果を持つだろう、というわけである。

最期に氏は、今回日本を襲ったような大きな不況は、そう簡単には終息せず、長期的な調整が必要だろうとみている。不況の本質的な原因は、経済が成熟して需要が減ることにあり、また先行きに対する企業家たちの予測が悲観的なことが投資を縮小させていることにある。これらは速やかに回復しないだろう。過去のアメリカの例をみても、大きな不況はだいたい35年スパンで繰り返されている。今回も、その延長上に考えるべきかもしれない、と氏はいっている。

その点で氏は、長期不況の克服にむけての抜本的な処方箋は提供できていないといえるのだが、しかし不況の原因がどこにあるかについて、一定のめどは立てている。原因を正しく捉えていさえすれば、少なくとも不況の深刻化を抑える程度の力は得られるかもしれない。




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