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ブレトン・ウッズ体制とワシントン・コンセンサス


第二次大戦後に生まれたブレトン・ウッズ体制がケインズ流の体制とするならば、1980年代以降は新古典派の経済理論が主流となり、政府の役割を縮小して市場の自主性に任せるべきだとするいわゆる市場原理主義が席巻するようになる。この市場原理主義的な経済体制は通常、ワシントン・コンセンサス体制と呼ばれている。

そこで、この二つの体制のうち、果たしてどちらが優れていたのか、検証してみる価値はある、とスキデルスキー氏はいう。

スキデルスキー氏は、1951年から1973年までの22年間をブレトン・ウッズ体制の期間とし、1980年以降をワシントン・コンセンサス体制の期間と定義する。1973年から1979年までの期間は、ブレトン・ウッズ体制が崩壊した後の過渡期で、世界中が猛烈なインフレに見舞われ、深刻な経済危機に陥った。その後、レーガン、サッチャーの時代に新古典派が復活したわけだが、2008年のリーマンショックによってワシントン・コンセンサス体制が終わりになるかどうかは、今後の動き次第だという。

まず、GDPの成長率を比較する。ブレトン・ウッズ体制下のGDP成長率の平均は4.8パーセント、これに対してワシントン・コンセンサス体制では3.2パーセントである。1.6ポイントの差は、小さいように思われるが、そうではない、もしワシントン・コンセンサス体制でも4.8パーセントの成長が続いていれば、世界のGDPの規模は実際より50パーセント高かったはずだ、という。

次に景気後退についてみる。IMFの定義では、実質GDP成長率が3パーセント以下になった年が景気後退期とされるが、この定義によれば、ブレトン・ウッズ体制では、景気後退の局面は一度もなかったことになる一方、ワシントン・コンセンサス体制では5度(2008年を含めれば6度)もあったことになる。ワシントン・コンセンサスの時期は、経済成長率が全般的に低下したことともに、景気後退の局面が多かったともいえる。

人口ひとりあたりGDP伸び率も、すべての主要国で低下している。両体制下におけるそれぞれの平均伸び率は、アメリカが2.2パーセントから1.9パーセントへ、イギリスは2.5パーセントから2.1パーセントへ、ドイツが4.9パーセントから1.8パーセントへ、フランスが4.0パーセントから1.6パーセントへ、そして日本の場合については、なんと8パーセントから2.0パーセントへ低下した。

失業率については、ブレトン・ウッズ体制下では、アメリカをのぞくほとんどの国で低い失業率にとどまっていた。たとえばイギリスでは平均で1.6パーセント、フランスでは1.2パーセント、ドイツでは3.1パーセント、アメリカでは4.8パーセントであった。それがワシントン・コンセンサス体制になると、イギリス7.4パーセント、ドイツ7.5パーセント、アメリカ6.1パーセントという具合に、非常に高い失業に悩むようになる。

インフレ率については、「ケインズ派の時代にはインフレ率が高く、マネタリズムに基づく健全な政策によりようやく収まった」(山川洋一訳、以下同じ)というのが経済学者の常識になっているが、実際はそうではないと氏は指摘する。ブレトン・ウッズ体制化の平均インフレ率は3.9パーセント、1980年から2008年までの平均インフレ率は3.2パーセントであり、「ケインズの時代に失業率が低く、経済成長率が高かったことでインフレという<対価>を支払った事実はないのである」というのだ。

富の不平等については、再富裕層と最貧困層との間の格差は拡大した。というのも、ブレトン・ウッズ体制では、穏健な所得再分配と福祉国家の実現が目指されたのに対して、ワシントン・コンセンサス体制下では、市場原理主義の下で、金持優遇政策が露骨に追及されたからだ。

以上をふまえて、氏は次のようにいう。

「二つの時期の比較をまとめるなら、ブレトン・ウッズ体制の時期には失業率が低く、経済成長率が高く、為替相場の変動率が低く、富の不平等が小さかった。ワシントン・コンセンサス体制の時期には、常識的な見方とは違って、経済成長率の変動率は高くはなかったが、5回の景気後退に見舞われた。そして、現在の景気後退は大恐慌以降でみて、もっとも深刻で最大の不況だ」

スキデルスキー氏のこうした認識は、日本における「平成不況の本質」を分析した大瀧雅之氏の議論と通じるものがある。大瀧氏は、1980年代半ば以降のバブル期から現在に至る日本経済の動きを追跡した結果、日本経済が全体として成長低下傾向にある中で、企業の利益だけは一貫して伸びていると結論付けた。その利益の大部分を金持ち階級が吸い上げることで、格差の拡大を一層大きくする結果をもたらした、と思料することには十分な理由がある。

これは、格差拡大のメカニズムが日本の場合、どのように貫徹されたかを物語っていたわけだが、この期間に、主要国の殆どにおいても、日本と同じようなメカニズムが働いていたと、強く推測できるわけである。




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作者:壺齋散人(引地博信) All Rights Reserved (C) 2007-2013
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