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神野直彦 「<分かち合い>の経済学」を読む


神野直彦氏は、金子勝氏とともに、小泉構造改革に象徴される新自由主義的な経済思想に一貫して批判的な態度を取ってきた。批判的と言うより、敵視していると言ったほうが良い。たしかにその舌鋒は、金子氏のものよりも鋭い。そのため氏の言説はとかく異端視され、氏自身も自分の説が異端であることを認めているほどだ。

そんな神野氏が、新自由主義的な経済思想を改めて批判し、それがなぜ批判されねばならないかの理由を示した上で、人間的な経済学の立場とはどうあるべきかを考察したものが、近著「<分かち合い>の経済学」(岩波新書)である。

「政治を束ねる責任者が<格差社会のどこが悪い>、<格差のない社会などない>と鬣をふるわせながら絶叫する社会は<絶望の社会>である。そうした<絶望の社会>を世界恐慌という悲劇の荒波が襲えば、地獄絵をみるような極苦の世界を目の当たりにすることは、火を見るよりもあきらかである」

これは第一章の冒頭の部分だ。「鬣を振るわせて絶叫している政治家」とは、小泉純一郎のことをさしているのであろう。

氏が小泉構造改革のうちもっとも問題視しているのは雇用の破壊だ。派遣労働の自由化をはじめ、労働市場を極端に流動化させることで、小泉構造改革は労働者の立場を極小化し、経営者の立場を極大化した。「非正規従業員を雇用すると、企業が社会保障負担を節約できることは、低賃金と解雇容易性とともに、非正規従業員を雇用する三大メリットなのである」

その結果非正規雇用が一般化し、膨大なワーキングプアが生まれ、深刻な格差が生じた。その格差を、当たり前のようにとらえて恥じない政治家は人間ではない、と氏は言うのだ。

「宇沢弘文東京大学名誉教授の言葉を借りれば、市場原理主義の毒を飲み、悪魔に魂を売り渡した新自由主義の唱道者たちは、こうした悲劇の生じることを百も承知していた。多くの人が生活破綻に陥るような悲惨な事態が起こることを承知で、新自由主義的政策を推進したとすれば、それは未必の故意である」

宇沢弘文氏も、新自由主義的経済思想に対しては批判的である。彼はもともと、シカゴ学派の経済学者たちとは懇意だったのだが、フリードマンらの主張する政策があまりにも非人間的だと感じるに至り、袂をわかった経緯がある。そのあたりを、神野氏はこの本の中で紹介している。

チリのアジェンデ政権が倒れてピノチェットが権力を握ったとき、マネタリストのフリードマンの仲間が大量に起用されたのであるが、その際のフリードマンらの様子を端で見ていた宇沢氏は嫌悪感を覚えたというのである。

「宇沢教授は1973年9月11日、シカゴで同僚との集いに出席していたとのことである。その集いの場に、アジェンデ惨殺の知らせが届いた時に、フリードマンの仲間たちが歓声をあげて喜び合ったという。宇沢教授の脳裏からは<その時の、彼らの悪魔のような顔>が離れないという。それは市場原理主義が世界に輸出され、現在の世界的危機を生み出すことになった決定的な瞬間だったと指摘したうえで、宇沢教授自身にとって市場主義を信奉するシカゴ学派との決定的な決別の瞬間だったと悲しげに述懐している」

このように、宇沢氏をだしに使っているとはいえ、新自由主義者に対する氏の憎しみにも相当深いものがあるようだ。

それはともかく、氏が新自由主義的な経済政策に対置するのは、新古典派に対立するものとしてのケインズ派の経済学ではない。独特の経済学だ。氏はそれを「分かち合い」の経済学と呼んでいる。

今は、100年に一度の危機の時代である。20世紀初期の経済危機がケインズを登場させたように、今回の危機も、その解決にむけた壮大な規模の経済思想を要請している。古い思想に基づいた経済政策では、この未曽有の経済危機は解決できない。そのためには、現在を単なる過去の延長としてとらえるのではなく、歴史的なパースペクティブのうちに位置付けるような、歴史的な視点が必要だ、と氏はいうわけなのだ。

21世紀の初めまでがパックス・ブリタニカの時代だったとすれば、それ以降はパックス・アメリカーナの時代だったといえる。パックス・ブリタニカの時代の経済思想はアダム・スミスに始まる古典派経済学だった。それに対してパックス・アメリカーナの時代の経済思想は、前半をケインズ、後半を新古典派が席巻した。新古典派のモデルは、市場の自律性をなによりも優先させる新自由主義的経済政策につながった。それが今回の経済危機をもたらしたのだ、と氏はいう。

これからの世界は、いままでとは違った枠組で動いていくことになるだろう。そこには、パックス・アメリカーナを前提とした新自由主義的経済思想も、国民国家を前提としたケインズ経済学も通用しないはずだ。新しい時代に相応しい、新しい経済学が求められる。

こんな問題意識をもとにして、氏は「分かち合い」の経済学を展開していくわけなのだ。




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