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貪欲はいいことか:変質する資本主義の精神


今回の世界規模の経済危機を巡って、その原因と資本主義の将来について、ファリード・ザカリア Fareed Zakaria がニューズウィーク誌上に興味深い分析を載せている。The Capitalist Manifesto; Greed is Good

ザカリアは今回の危機の原因をいろいろ挙げて、資本主義経済の脆弱性を指摘しているが、資本主義そのものはかけがいのないシステムだと言っている。資本主義は人類が作り上げたもっともスマートな経済・社会モデルであり、これに変わるシステムは考えられない。むしろ今後グローバル化がいっそう進む中で、資本主義的経済モデルの重要性は高まるばかりだ。将来において、資本主義が問題になるとすれば、それは資本主義の過剰ではなく、不足を巡ってだろうとまで、言っているくらいだ。

こう押さえた上でザカリアは、今回の危機を招いた原因について分析している。その際にも彼は念を押すのを忘れない。それは資本主義自体の問題ではなく、その周辺的な領域の問題なのだと。それを彼は、金融の不全、民主主義のはきちがえ、経済のグローバル化そしてモラルの変質だといっている。これらは互いに絡み合って、今回の危機を招いたのだと。

金融システムの不全が今回の危機を招いた直接の原因だと言うことは、誰でも納得できるだろう。今回の世界経済の危機は、アメリカの金融危機に発しているからだ。

そしてその金融危機の背景には、行き過ぎた規制緩和によるルールの崩壊、それによる野放図なマネーゲームの横行、そのゲームを支えるグローバルな資金の流れといった構図が見える。

以上の要因はみな相互に絡み合っているのだが、それらが相乗しあって経済危機という現象を結実させたことの背景には、経済活動にかかわる人々の意識の変化が作用していると、ザカリアは見る。

経済というゲームに参加するパフォーマーたちは、いまや共通するひとつの理念によって突き動かされている。それは貪欲だ。人々は自己の利益のみを念頭において、あくまでも貪欲に振舞う。経済の全体的、長期的利益よりも、目先の自分の利益だけを求める。

つまり貪欲さが、資本主義経済の新たな理念として登場し、それが伝統的な資本主義経済のモデルを変質させているというのだ。

伝統的な資本主義経済のモデルは、ナショナルな市場を前提にして成り立っていた。国際経済は、ナショナルな市場を補完する外的要因なのだ。そのナショナルな市場において、パフォーマーたちは、自らを律する内的な理念を持っていた。彼らは自分たちの活動が、経済の全体的な枠組みの中で始めて機能するものだと言うことを、十分にわきまえていた。だから政府がとやかくいわずとも、彼らは自分の利益を社会の利益に一致させるように行動していた。

だが今は違う。資本化も経営者も、自分の、それも目先の利益のしか考えなくなった。資本家は企業に投資した金が短期間で利益を上げるように求める。経営者はその資本家の要求に迎合して、企業の長期的利益よりも目先の利益を重視し、その利益の山分けに自分もあずかろうとする。政府も会計専門家もそんな彼らの動きを野ばなしにして、目先の繁栄を優先させる。

こんな構図が出来上がってきている。誰も全体を見るものがいない。普通の市民も、経済が好況である限りは、自分の懐が痛むわけではない。むしろ市民も目先の繁栄のおこぼれに与ってきた節がある。

アメリカ社会は、レーガン大統領の時代以来、消費が好きな社会でありつづけてきた。何しろ今日ではGDPの73パーセントが消費に回され、自分の当面の稼ぎ以上に消費する人が珍しくない社会だ。政府も国民の消費意欲を刺激する方策を取り、ファニー・メイとフレディ・マックに対して、ローンを拡大するように圧力を加える始末だ。

何故こんなことが起きたのかと言えば、それは経済がグローバル化して、世界中の金がアメリカに流れ込んできたからだ。金に国籍はないから、いったんアメリカに流入すれば、それはアメリカの金だ。こうした大量の資金が、企業の株式取得や住宅資金の原資へとまわされ、アメリカはすさまじいマネーゲームが横行する社会になってしまった。

今後ともグローバル化の波はいっそう巨大なものになるだろう。グローバルな資金はナショナルな利益を考慮しない。だからナショナルな経済がグローバルな資金の流れと齟齬をきたす可能性もある。それがナショナルな経済の破局につながることもあろう。

ザカリアの議論はこのように、グローバル化が本格化した時代の、資本主義の精神のあり方について、問題提起している側面もある。考えさせられるところだ。

ともあれ、資本主義の精神といえば、これまでの経済学教科書では、勤勉のことをさしていた。それがいまや貪欲にすりかわってしまったとは、なんとも情けない話だ。いつからそうなったのか、またなぜそうなったのか、そのことをよくわきまえておかないと、グローバル化した資本主義が今後、どんな脱線をするかわかったものではない。




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作者:壺齋散人(引地博信) All Rights Reserved (C) 2007-2013
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