知の快楽 哲学の森に遊ぶ
HOME ブログ本館 東京を描く 英文学 ブレイク詩集仏文学プロフィール 掲示板




コギトと「狂気の歴史」:デリダのフーコー論


「エクリチュールと差異」に収められた第二論文「コギトと『狂気の歴史』」は、題名から推測できるように、フーコーの著作「狂気の歴史」への注釈である。批判ではなく注釈というのは、デリダはフーコーの弟子を以て任じており、師匠を批判するなどもってのほかと考えているらしいからだ。デリダは言う、「この弟子意識というものは・・・不幸なる意識となるのであります・・・まだものの話し方もわきまえていないために、とりわけ口答えなどしてはならない子供のように、いつももう間違いを抑えられているような気がするものなのです」(野村英夫訳、以下同じ)。したがって弟子が師を論じるときには、それは批判ではなく、注釈になると言いたいわけであろう。

デリダがこの論文で試みているのは、フーコーの著作「狂気の歴史」の歴史的な意味合いである。と言うのは、狂気というものは、フーコーに従えば、永遠普遍の現象ではなく、特殊歴史的な現象ということになる。大昔の人類は、狂気をあまり意識することがなかった。狂気はおぞましいものとして排除される対象ではなく、どこにでもあるありふれたものとして、社会の内部に統合されていた。狂気が今日のように、理性の正反対のものとして、つまり人間の望ましくないあり方として指弾され排除されるようになるのは、フーコーの言葉でいう古典時代、一般的な時代区分で言えば近代以降のことだということになる。つまり狂気とは近代において主題化され前景化してきた事柄なのであり、したがって歴史的な意味合いを持たされた現象だということになる。こうしたフーコーの狂気に関する問題設定は果たして支持されるべきなのだろうか。それがこの論文の一つの問題意識である。

この論文のもう一つの問題意識は、フーコーによるデカルト解釈の是非である。是非というと価値判断がかかわってきて、したがって注釈というより批判的な論調になりがちなテーマなのだが、デリダは師であるフーコーについての自分の言説が批判として受け取られるのを避けようとして、それを彼自身の偏見を披露するにすぎないと弁明している。偏見の披露ならたしかに批判という規定性から自由になれるかもしれない。自分は自分に固有な偏見にもとづいて師の説に注釈を加えただけなので、決して批判しているわけではない、と言えるわけである。

フーコーによるデカルト解釈の要点は次のようなものだ。デカルトはコギトに存在の根拠を置いた。すべてはこのコギトから始まる。コギトとは「我思う」というふうに(日本語では)表現されるが、この「思う」という働き、つまり思考が、自分自身の存在をはじめとしてすべての事柄を基礎づける。「我思う」ゆえに「我あり」なのであり、その「我あり」を唯一の根拠として世界の存在が根拠づけられる。世界は我の思考の働きの相関者なのである。我の思考がなければ我の存在は基礎づけられないし、我の存在があやふやならば我以外のすべてのものの存在もあやふやなものとなる。ところでその我の思考、すなわちコギトとは、明瞭な意識を前提としたものである。明瞭でない意識、つまり濁った意識では、何も確実なことは捉えられない。その濁った意識の例としてデカルトは夢とか感覚の錯誤を上げているが、狂気もまたそうした濁った意識の一つの例としてあげられる。つまり狂気は、デカルトによれば、明瞭な意識の反対物として、確固とした認識を妨げるのであり、そういうものとして理性の敵である。つまり理性的な認識においては排除されるべきものである。こうして狂気は理性との間で二項対立の関係に入り、マイナスの価値を帯びたものとして、排除されることとなる。このデカルトの捉え方が、古典時代、つまり近代における狂気についての見方を支配した。したがってデカルトこそは、狂気を理論的・哲学的に基礎づけた先駆者と位置づけにふさわしい人である。そうフーコーはデカルトを評価するのである。

これに対してデリダは、フーコーによるデカルト解釈は果たして支持されるべきだろうかと疑念(デリダによれば口答え)を提起する。デカルトはフーコーの言うように、理性と狂気とを二項対立の関係に置き、狂気を排除すべきものとして捉えたのだろうか。デリダはこのように問い、どうもそうではないらしいとほのめかす。もしそうだとしたら、狂気を近代特有の歴史的事象として整理したフーコーの立場は、基盤から揺らぐのではないか、そうデリダは問題提起するのだ。

デカルトにとって狂気とは、理性との間で唯一の二項対立にあるような、理性にとっての決定的な反対概念とは考えられていなかった。それは、「ここでデカルトの関心を惹いている感覚的な錯誤というものの単なる一例にすぎず、しかももっとも重大な例というわけでもない」のである。つまり狂気は、たしかに理性的な認識を曇らせることはあるが、それは感覚の錯誤と同じレベルでのことでしかなく、理性を麻痺させる唯一の原因ではない、ということになる。ところがフーコーは、デカルトは狂気を理性を誤らせる唯一の要因として、理性の反対概念、その意味で理性と唯一の二項対立関係にある重要な概念として捉えている、とデリダは指摘する。フーコーの理解するデカルトは、「思考の対象ではなく、考える主体にとって、気狂いであることの不可能性」に気づいた最初の哲学者なのであり、「デカルトは、疑いが重大な危機にさしかかる瞬間において、自分が気狂いではありえない・・・ということを意識していた」ということになる。

しかしそれはデカルトの実像とはかけ離れている、とデリダはほのめかす。デカルトはたしかに狂気を、理性を曇らせるものとして認識していたが、理性を曇らせるものはほかにいくつもあり、特に狂気だけがそうなのではない、という認識をしていた。デカルトにとって狂気は、理性の敵として排除されるべきものではなく、感覚の錯誤とか夢と並んで、人間にとってなじみの深い精神作用なのであり、そういうものとしてかえって、親しみを感じるべきものでさえあった。その点ではデカルトは、モンテーニュと基本的に違っていたわけではない。モンテーニュは、「みずからの思考行為そのものにおいて、また至るところで、気狂いであるという、あるいは気狂いになるという可能性に深く取りつかれていた」。デカルトもまた、モンテーニュほどではないが、自分の思考が狂気によって取りつかれ、そのことによって自分が気狂いになる可能性を排除してはいなかったのである。

フーコーにかかると、デカルトは狂気をコギトの外にある闇のなかに放逐されるべきものとして捉えていたということになる。狂気、「それは<コギト>の他者なのです。わたしが物を考えるとき、明瞭な概念を抱いているとき、わたしは気狂いではありえない」と言うのである。すくなくとも言語表現やコミュニケーションが明らかな意味をもたねばならぬとしたら、「事実においても同時にまた本性においても、狂気を免れていなくてはならぬということであります」、というのがフーコーのデカルト理解の要点なのである。

だがこの理解は、デカルトの実像を正しくとらえていない。だからデカルトを、理性と狂気の二項対立を確立した先駆者として位置付けるのは、かならずしもデカルトの意図に従ったやり方ではない。デカルトはそんなことを意図していなかった。デカルトによって狂気とは、排除されるべきものではなく、親しむべきものだった、というのがデリダの基本的な了解事項である。

それならば、理性と狂気との間に二項対立を立て、そのことで狂気を理性とは相いれない対立物として排除すべきだとする立場は、どこから生まれて来たのか。デリダはその疑問に正面から答えていないが、どうもその対立を持ち込んだのはほかならぬフーコー自身だと言いたいようである。フーコーの狂気概念は、フーコー自身の内部から出てきたもので、フーコーにユニークな考え方だ。それをフーコーがデカルトに結びつけたのは、デカルトの権威を借りて自分自身の思想に箔をつけたかったからか、それともほかの意図からそうしたのか。そのあたりについては、デリダはとりあえず問いの端緒に読者の注意を向けることで満足しているかのように、この論文の文面からは伝わってくる。





HOME フランス現代思想デリダ 次へ








作者:壺齋散人(引地博信) All Rights Reserved (C) 2015-2018
このサイトは、作者のブログ「壺齋閑話」の一部を編集したものである