知の快楽 哲学の森に遊ぶ
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ピタゴラス:合理と非合理


哲学史においてピタゴラスの果たした役割は、実に複雑で含意に富んだものであった。ピタゴラスは一方では、例の三角形に関する定理で知られるように、数学とくに幾何学の分野において顕著な功績を残した。他方では、オルフェウス教団と関係があると見られる、特異な宗教的運動をも率いており、参加する者たちは「ピタゴラスの徒」と呼ばれ、原始共産制を思わせる共同生活を行っていた。

かように、ピタゴラスという哲学者の中には、合理的な面と非合理な面とが、渾然となって一体化していたのである。

ピタゴラスの哲学者としての業績については、これまでにあまり大きな評価がなされてきたとはいいがたい。アリストテレスは「形而上学」の中で、タレス以来さまざまな哲学者たちが、アルケーについて思索したといって、その歴史的な流れをお浚いしているが、タレスが水を、ヘラクレイトスが火をアルケーとしたのと同じような意味合いにおいて、ピタゴラスは数をアルケーとしたのだといっている。

「ピタゴラスの徒は、数学の研究に従事した最初の人々であるが、、、この数学の原理をさらにあらゆる存在の原理であると考えた。けだし数学の諸原理のうちでは、その自然において第一のものは数であり、そして彼らは、こうした数のうちに、あの火や土や水などよりもいっそう多く存在するものや生成するものどもと類似した点のあるのが認められる、と思った。ために数のこれこれの受動相は正義であり、これこれの属性は霊魂であり理性であり、更に他のこれこれは好機であり、そのほかいわばすべての物事が一つ一つこのように数の属性であると考えられたが、さらに音階の属性や割合も数で表されるのを認めたので、、、かれらは、数の構成要素をすべての存在の構成要素であると判断し、天界全体をも音階(調和)であり数であると考えた。」(出隆訳)

ここには、二つのことが含意されているように思える。一つは、ピタゴラスを他の多くの哲学者同様アルケーを捜し求めた人のうちに数え入れようとすることである。その点では、ピタゴラスは哲学史の流れの中にいた一人として、相対的な位置づけが付与されているに過ぎない。アリストテレスのこの総括は、その後の人々に大きな影響を及ぼし、ピタゴラスは偉大な数学者ではあるが、その数学の原理をアルケーの思索に持ち込んだ風変わりな思想家だという評判が固定化するもとともなった。

二つ目は、アリストテレスがそうはいいながら、ピタゴラスの思想のもつイデア的な色彩をかなり正確にとらえているということである。ギリシャ哲学はよくいわれるように、存在についての知恵(学問)であり、あらゆる存在を特定の原理(アルケー)に基づいて説明しようとするところに特徴があった。しかしてそのアルケーには、多くの場合、火とか水とか、あるいはそれらの組み合わせとか、要するに可視的で実証的な物質が置かれるのが常であったが、ピタゴラスはそのアルケーに、可視的ではなくイデア的な原理としての数をおいたのである。

数というものは、目に見えるものではないが、ものごとのあらゆる属性を説明する際の原理になりうる。たとえばあの有名な三角形の定理についても、現実の三角形は多少いびつであっても、その属性たる面積は数によって完璧に説明されうる。同じようにして、完全な円というものは地上にはなかなか存在しないものだが、どのような場合であってもその属性は数によって完璧に説明されうる。ピタゴラスはこのようなことから、ものごとの本性というものは、眼前にある可視的なものによって説明されるよりも、理念的なものによってはるかによく説明されるのだと考えたのである。

この点において、ピタゴラスはあのプラトンの先駆者であるとも言える。

ピタゴラスは紀元前570年頃、イオニア12都市の一つに属していたサモス島に生まれたと思われている。あのミレトスとはあまり隔たっていないところに位置していた都市である。ディオゲネス・ラエルティオスによれば、彼は若い頃にエジプトに滞在していたことがあり、またバビロニアの神官たちやペルシャの僧たちのもとにも滞在したことがあった。その折の勉学を基にして、幾何学を学ぶとともに、オリエント風の宗教的秘儀をも身に付けたのであろうと思われる。

サモス島が僭主ポリュクラテスによって支配されていたのを嫌った彼は、南イタリアのクロトンに赴き、そこで教団を作って布教する傍ら、クロトンのために法律を作ったなどともされている。

ピタゴラス教団の中では、男も女も平等であり、財産はすべて共有とされ、生活スタイルも共通であった。だが入団に当たっては厳しい審査があり、入団を希望するものは数年間課された課題に立ち向かわねばならなかった。この試練に耐えず入団を許されなかったものにミロンというものがあったが、ミロンはそのことを根にもって、後にピタゴラスを殺すに至ったとされる。

ピタゴラスの徒は家族のような愛に支えられて行動をともにし、あらゆる学問的な発見も集団の発見とみなされた。そのため、ピタゴラスの死後に発見された法則も、ピタゴラスの名に帰属させられたものが多い。

ピタゴラス教団の教義の中心をなすものは、「霊魂は不滅である」という説である。すなわち、霊魂というものは不死なものであって、あるもののもとを去っても他のものに移り住んで、永久に生き続ける。存在するものはすべて、この有限な霊魂が周期的に生まれ変わったものなのであって、世界には全く新しいものなど存在しないという説である。

ピタゴラス自身、自分はかつてヘルメスの息子アイタリデスとして生きていたと語っていた。アイタリデスが死んだ後、その霊魂は、エウポルボス、ヘルモティモス、ピュロスとして生まれ変わり、ついには今日の自分となった。だから自分は前世の記憶をすべて保持していると、ピタゴラスは常々いっていたそうである。

これはギリシャ版の輪廻転生説といえよう。ピタゴラスはおそらくオリエントの思想を吸収する過程で、このような考えを取り入れたのかもしれない。

ピタゴラス教団にはユニークな戒律があった。

・ 秤竿を跳び越えぬこと
・ 一コイニクスの穀物の上に座してはならぬ
・ 心臓は食べてはならぬ
・ 松の小枝でお尻を拭いてはならぬ
・ 太陽に向かって小便をしてはならぬ
・ 軒下に燕をこさせないようにすること

これらの一つ一つについては、古来さまざまな解釈がなされてきたが、戒律の中でももっと重んじられたものは、「ソラマメを食べてはならぬ」というものだった。何故ソラマメをタブーとしたのか。それが霊魂のような形をしているからだとか、心臓の別の形なのだとか、さまざまな解釈がなされている。だがこのソラマメのために、ピタゴラスは命を失うことになったのだった。

さきにふれたミロンが、ピタゴラスを陥れた際に、ピタゴラスは難を逃れようとしてソラマメ畑に追い詰められた。そこでピタゴラスは、ソラマメを踏み倒して逃げるよりも、追っ手の手にかかって死ぬことを選んだのである。

ピタゴラスは近年、西洋哲学史上の巨人として新たな光を当てられるようになった。そのきっかけを作ったのはバートランド・ラッセルである。ラッセルはその著「西洋哲学史」の中でピタゴラスを大きく取り上げ、「かつて生を享けた人々の中で最も重要な人物の一人であった」といった。

ラッセルによれば、ピタゴラスは、自明なものから始まりながらそこに留まることなく、それに帰納や演繹を施すことによって、現実の世界に関するさまざまな発見をした。彼にとっては、理性のみによって理解しうる感覚を超えた世界というものがあり、厳密で永遠なる真理が存在しえた。我々が今日プラトン主義として考えている思想の骨組みは、実はピタゴラスに由来するのだ、そうとまでラッセルはいって、ピタゴラスの偉大性を強調している。






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