知の快楽 哲学の森に遊ぶ
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ハイデガーのブラック・ノート


ハイデガーの手記のうち、1931年から41年にいたる10年間分が、ドイツで公刊されつつあるそうだ。これらは、黒表紙のノートブックに記されていることから、ブラック・ノートと呼ばれているそうだが、ブラックなのは体裁だけではない、内容もまたブラックだ、と断定するものが多いという。というのも、この期間のハイデガーは、ナチスの党員として、ドイツのナショナリズムを称揚する一方、師匠であるフッサール(ユダヤ人)に対して不当な態度をとるなど、反ユダヤ的な言動をしていたことが知られているが、そうした言動がこの手記からも裏付けられるというのである。

ハイデガーのナショナリズムは、近代への嫌悪に根差している。その嫌悪感をハイデガーはニーチェの反近代主義的な思想によって鼓舞されたわけであるが、それはさておいて、かれの反ユダヤ主義については、どんな因縁があるのだろうか。少なくとも、それについては、ニーチェは無縁である。ニーチェには反ユダヤ主義的な考えはなかった。かえって、反ユダヤ主義者に対して深い嫌悪感を示していたくらいである。

ハイデガーの反ユダヤ主義は、反近代との関連において現れてきたものらしい。というのも、ヨーロッパの近代化を担っているのはユダヤ人たちであり、かれらによって、ドイツ人の民族性も毀損されている、とハイデガーは考えていたようなのだ。近代化というのは、精神のコスモポリタニズムであり、ナショナリズムの対極にあるものなのだ。

ロシアの10月革命は、ヨーロッパの悪しき近代化の見本のようなものだが、それを担ったのはほかならぬユダヤ人だ、そうもハイデガーは考えていたようだ。そうしたハイデガーの考えの軌跡が、このブラック・ノートからも読み取れるらしい。(らしいというのは、筆者はまだこのノートを読んでおらず、書評に依拠して言っているからなのだが)

10月革命がユダヤ人の陰謀だというのは、いまからみれば荒唐無稽な言い分だが、当時は本気でそう信じる者が多かったらしい。あの自動車王のヘンリー・フォードも本気でそう信じていたというから、大西洋の両岸である程度共有されていた見方だったのかもしれない。ヒトラーがそう信じていたかは明らかではないが、かれの執務室にはヘンリー・フォードの写真が飾ってあったそうである。

(参考)Heidegger's black notebooks aren't that surprising By Domenico Losurdo Guardian




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