知の快楽 哲学の森に遊ぶ
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エピクロスと快楽主義の哲学


エピクロス (BC341-BC270) は、ストア派の創始者ゼノンとほぼ同じ時期に生まれ、アテナイを拠点に活動した。彼の創始した学説は、ストア派の説と並んでヘレニズム時代の思想を代表するものとなった。いずれも、世界帝国の中で相対的に地盤沈下した個人の生き方に焦点を当て、人間にとってよき生き方とは何か、個人の幸福とは何かについて考察した。ストア派が禁欲に重点を置いたのに対して、エピクロスの徒は快楽こそが幸福の源泉と考えたのであった。

エピクロス主義はヘレニズム時代からローマ帝国の時代にかけて500年ばかりの命脈を保ったのであるが、その勢いはストア派には及ばなかった。ストア派には、キケロやセネカ、皇帝マルクス・アウレリウスのような人物が現れ、時代の思想をリードしたのに対して、エピクロス主義を体した思想家には、詩人のルクレティウスを除いては哲学史上重要な人物は現れていない。また、エピクロス自身膨大な著作を著したにかかわらず、それらの殆どは残されなかった。

こんなこともあって、エピクロスの快楽主義の思想は、その真意が正確に伝わらず、時にゆがんで受け取られ、攻撃の対象ともなった。ディオゲネス・ラエルティオスはそうした攻撃振りのいくつかを、「ギリシャ哲学者列伝」の中で紹介している。たとえば、「犬のように最も恥知らずな男、、、生きている人たちの中では最も育ちの悪いもの」、「哲学の理論の面でも多くのことに無知であったが、実生活の上ではさらに無知であった」とかいったものである。

こうした言いがかりは、エピクロスの快楽主義を極端にゆがんだ形で捉えているものだ。だがエピクロスが実際に唱えた快楽の思想とは、快楽という言葉から伝わってくるような享楽を旨とするものではなく、心の平静を成就しようとするものであった。彼はそれをアタラクシアと呼んだ。

アタラクシアとは、文字通りにいえば無感覚という意味の言葉である。それは感覚のもたらすものに惑わされず、何事に接しても心の平静を保つという境地を表わした言葉なのである。

ルクレティウスは自分の詩の中でエピクロスの思想を展開している。それを読むことを通じて、我々はエピクロスのいう快楽の意味を理解することができる。その快楽とは、アタラクシアのもたらす無我の境地だったのである。

エピクロスは、サモス島のアテナイ移民の家に生まれた。アレクサンドロスが死んだ頃、18才のときにアテナイに出てその市民権を得ようとしたが、彼がアテナイにいる間にサモスのアテナイ移民たちが追放されてしまったために、仕方なくアテナイを離れ、小アジアで家族とともに暮らすようになった。

エピクロスの若い頃の学業についてはわからぬことが多い。デモクリトスの思想を学ぶことから出発したようである。エピクロスはそれをナウシパネスから学んだらしいが、自分ではそのことを認めず、またデモクリトスもレウキッポスも尊敬しようとはしなかった。だが彼の思想の骨格は一種の唯物論であり、そこにはデモクリトスの影が大きく作用していることが認められるのである。

デモクリトス同様エピクロスも、世界が原子と空虚からなっていると考えていた。魂もまた原子からなっている点ではほかの物質と異なるところはない。感覚とは物体の原子が魂の原子に打ちあたることから引き起こされる物理的な現象である。感覚から導き出される想念も、魂の原子がさまざまに配分されることによって生ずるのであった。エピクロスがデモクリトスと異なるところは、これらの原子の動きが自然法則によって決定付けられているのではなく、そこには自由が介在する余地があると考えたことである。

だがエピクロスはこうした自然学的な問題にはほとんど価値を認めなかった。彼が主に考察したのは倫理的な問題、つまり人間にとって善とは何か、幸福とは何かについての問いかけだった。エピクロスはこれを快楽の追及と関連付けて考察したのである。

快楽の追求に関してエピクロス自身がいったという言葉を、ディオゲネス・ラエルティオスが引用している。「我々は快楽を、至福な生の始めであり、また終わりでもあるといっている。というのは、我々は快楽を、我々が生まれるとともに持っている第一の善と認めているからであり、そしてこの快楽を出発点として、すべての選択と忌避を行なっているし,また快楽に立ち戻りながら、この感情を基準にして、すべての善を判定しているからである。」(岩波文庫)

エピクロスにとって、快楽には能動的と受動的、あるいは動的と静的との2種類のものがある。動的な快楽とは、満たされていない状態を満たそうとすることから生まれる満足であり、がつがつ飲食したり、性交の快楽にふけることからもたらされる。熾烈な権力闘争から生まれる快楽もこの種のものである。

それに対して静的な快楽とは、たとえば飢えが満たされたときにもたらされる平静な状態のようなものである。それは満たされぬものを満たそうとする希求ではなく、自分自身のうちに満たされていることといえる。

こうした考えから、エピクロスにとって快楽とは、快楽の存在よりもむしろ苦痛や不足がないという充足感のようなものに近いのである。充足感の中でも胃や性器のような肉体にかかわるものより、心の平静が重視される。エピクロスが「アタラクシア」という言葉でさしたのは、この心の平静なのである。

エピクロスは性交を避けるべきだといった。それは人間の肉体や心の状態を撹乱し、激しい情念を燃やし続けさせることによって、心の平静とは最も遠い状態に人間を置くからであった。

ところで人間の心をもっとも撹乱するのは、恐怖の感情である。恐怖の源泉の中でも最も重要なのは宗教と死である、とエピクロスは考えた。

エピクロスは神の存在は否定しなかったが、それは伝統的なギリシャ人が考えたような恐ろしい神ではなかった。神は人間に災いをもたらすこともある生きた存在であるというより、自然の摂理のようなものと捕らえられた。一種の理神論であろう。ここにもデモクリトスの影響が見られる。

エピクロスは徹底した唯物論者であったから、魂の不死も信じなかった。肉体が滅びれば、魂も同時に滅びてしまう。だからといって死ぬことを恐れる必要はない。死は正しく理解すれば決して恐ろしいことではない。それが恐ろしく思えるのは、死んだ後も魂は残って、あるいは地獄に落ち、生前の業に応じてさまざまな試練を課されるといった、誤った想念にとらわれているからだ。

死についてエピクロスのいった言葉は、人間の長い歴史の中でも、もっとも崇高な言葉の中に数え入れられるべきである。

「死は、もろもろの災厄の中でも最も恐ろしいものとされているが、実は、我々にとっては何者でもないのである。何故なら、我々が現に生きて存在しているときには、死は我々のところにはないし、死が実際に我々のところにやってきたときには、我々はもはや存在しないからである。したがって、死は、生きている人びとにとっても、また死んでしまった人々にとっても、何者でもないのである。生きている人びとのところには、死は存在しないのだし、死んでしまった人々は、彼ら自身がもはや存在しないのだから。」(ディオゲネス・ラエルティオス「ギリシャ哲学者列伝」)


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