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丸山真男の日本ナショナリズム論


丸山真男は「超国家主義の論理と心理」(1946年)において、日本のナショナリズムの究極的な形態としての超国家主義を論じていたが、それから五年後に発表した小論「日本におけるナショナリズム」では、日本のナショナリズムをもう少し広い視点から取り上げている。その視点とは、一方ではヨーロッパのナショナリズムとの比較であり、もう一方ではアジア諸国のナショナリズムとの比較という視点である。

まず、ヨーロッパとの比較。「ヨーロッパは近世民族国家が生成する前に一つの普遍主義をもっていた」と丸山は言う。ローマ帝国がその普遍主義を体現していたわけだが、その普遍主義を母体として個別の民族国家が生まれてきた。したがって「近世民族国家の発展は、この本来一なる世界の内部における多元的分裂であった」。つまりヨーロッパのナショナリズムは、インターナショナリズムとしての普遍主義の世界から生まれ出たわけで、「さればこそグロチウス以来、戦争は国際法の中に重要な体系的位置を占めてきた」ということになる。

一方、東洋について言えば、そこにはインド・中国・日本といったそれぞれ独自性をもった文明が併存していて、ヨーロッパ的な意味での共同体もしくは国際社会を形成してはいなかった。それらの国にとって国際社会とは、始めから外部から開国を迫る圧力として迫ってきた。つまり「東洋諸国は国際社会の中で自らを自覚したのではなく、むしろ『国際社会』に武力の威嚇によって・・強制的に引き入れられたのである」

それ故東洋諸国においては、素朴な民族感情は、外から迫るヨーロッパ勢力の圧力に対するリアクションという形で起こった。日本で言えば攘夷運動がそれだが、同じような現象は、中国やインドでも起こった。しかし中国やインドのナショナリズムがヨーロッパ諸国からの侵略に耐えられなかったのに対して、日本の場合には圧力を跳ね返して独立を保ったばかりか、外のアジア諸国を侵略するような実力まで有するに至った。

この点では日本のナショナリズムは成功したと言えなくもない。しかし良いことばかりではなかった。その証拠に昭和の敗戦を契機に、日本人のナショナリズム感情は霧散し、いわゆるパンパン根情がはびこるようになってしまった。何故そうなったのか。その理由を分析することに、日本ナショナリズムを解明する糸口がある、と丸山は考える。

ヨーロッパの場合、ナショナリズムの勃興は民主主義と結びついていた。それは普遍主義を体現していた旧勢力に代わって、国民国家を追究した勢力が民主主義を旗印にしたことに現れている。ヨーロッパでは市民階級がナショナリズムと民主主義を結びつける役割を果たしたわけである。ところが東洋諸国にはそうしたことは起こらなかった。民主主義を追究するような勢力が存在しなかったからだ。代わってナショナリズムを追究したのは、旧支配層だった。旧支配層は、外からの圧力から自分たちの特権を守るために、ナショナリズムを利用し、民衆を動員することで、自分たちの利害を守ろうとした。それは日本でも中国でも同じだ。

日本の場合にはナショナリズムは攘夷運動という形をまずとったが、「そこには国民的な連帯意識は希薄で、むしろ国民の大多数を占める庶民の疎外、いな敵視をともなった」。庶民は国民としてナショナリズムの主体とされることはなく、あくまでも統治の客体として、支配層による動員の対象たるにとどまった。庶民のナショナリズム感情は、人々の横の連帯を促進するものとはならず、「国家は自我がその中に埋没しているような第一次的グループ(家族や部落)の直接的延長として表象される傾向が強く、祖国愛はすぐれて環境愛としての郷土愛として発現する」

それゆえ、日本のナショナリズムは、ヨーロッパ諸国で見られたような、古い体制の破壊ということとは無縁だった。また、中国のナショナリズムとも違っていた。中国においては、旧支配層がヨーロッパの帝国主義勢力に対して買弁的な行動をとったために、帝国主義支配に反対するナショナリズム運動は、否応なしに旧社会=政治体制を根本的に変革しようとする動きに結びついた。

こうして見ると一人日本だけが、旧支配層がそのまま権力を握り続け、ナショナリズムを自己の利害のために動員しながら、内に向けては超国家主義を、外に向けては帝国主義的な侵略政策を追究するというユニークな行動ぶりを見せたわけである。

こういうわけだから、日本のナショナリズムは、国民すべてによって支えられていたとは到底言えない。またそれは、国民同士の連帯とは無縁で、国家を唯一のシンボルとしていたために、敗戦によって国家の威信が失墜するや、ナショナリズムの感情も霧散してしまったわけである。そのへんの事情を丸山は次のように言っている。

「あれほど世界に喧伝された日本人の愛国意識が戦後において急速に表面から消え失せ、近隣の東亜諸民族があふれるような民族的情熱を奔騰させつつあるとき日本国民は逆にその無気力なパンパン根性やむきだしのエゴイズムの追究によって急進陣営と道学的保守主義者の双方を落胆させた事態の秘密はすでに戦前のナショナリズムの構造に根ざしていたのである」

丸山はこう言うことで、戦前のナショナリズムが国民の自発的な連帯感情に支えられていなかったために、国民は一致団結して戦争に邁進することがなかった、それがまた日本が敗戦に終わった最大の理由であるというということを言いたいのだと思う。丸山の日本ナショナリズム論は、単に批判を目的とするばかりではなく、その問題点を分析することを通じて、本来あるべきナショナリズムの姿を見つけ出したいとの意図を含んでいるのであろう。

ところで敗戦によっていったん霧散したかに見える日本のナショナリズムが将来また復活するとして、それはどんな形を取るだろうか。丸山はどうも、日本の将来のナショナリズムが、ヨーロッパのように民主主義と結びついたり、中国のように旧支配体制の破壊に結びついたりする可能性は弱いと考えていたようである。丸山のそうした懸念は、この小論の最後に記された次のような文章からもうかがわれる。

「日本の旧ナショナリズムの最もめざましい役割はさきにのべたように、一切の社会的対立を隠蔽もしくは抑圧し、大衆の自主的組織の生長をおしとどめ、その不満を一定の国内国外の贖罪羊に対する憎悪に転換することにあった。もし今後において、国民の愛国心がふたたびこうした外からの政治的目的のために動員されるならば、それは国民的独立というおよそあらゆるナショナリズムにとっての至上命題を放棄して、反革命との結合という過去の最も醜悪な遺産のみを継承するものにほかならない」

昨今の日本の政治・社会の状況を見るにつけても、丸山のこの予言的な言葉の重みを感じざるを得ないのは筆者のみではないだろう。


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