知の快楽 哲学の森に遊ぶ
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廣松渉の弁証法


廣松渉は弁証法について、それを論ずるに留まらず、実際に実践してみせた。わかりやすい例が、彼の主著「存在と意味」である。この浩瀚な書物は、文字通り存在と意味について壮大な論理展開をしているのであるが、目次を一瞥しただけで、これがヘーゲルの「大論理学」とマルクスの「資本論」を踏まえた体裁になっていることが読み取れる。「大論理学」も「資本論」も、弁証法的な論理展開を繰り広げていることで知られるが、廣松もそれらにならうことによって、自らの壮大な理論体系を弁証法的に展開してみせたわけである。

「大論理学」においては、端緒に「有」があり、それに「無」が対置され、この両者のもつれあいから「生成」が生じるという具合に、弁証法の有名な定式、「正―反―合」を踏まえた形の論理展開になっている。また、「資本論」は、端緒に「商品」が来て、その「交換」が論じられ、そこから「貨幣」が導き出されるという構図になっている。商品と交換との関係が貨幣を生み出すという設定である。これらに対して廣松の場合は、端緒に認識の対象としての「所知」をおき、ついでその相関者としての「能知」を対立させ、この両者のもつれあいから「知」が生成するという構図になっている。ここでも弁証法の基本図式「正―反―合」が見事に貫徹されているわけである。

このことから瞥見できるように、廣松は弁証法というものを、まずは論理展開のテクニックとして捉えていたようである。このことは、彼が「弁証法」の概念に加えている語源的な解釈から察することもできる。廣松は、プラトンのいうディアレクティケー(弁証法)について、それが、「ディアロゴス(対話)」の「テクネー(術)」を原義とするとして、弁証法が「テクネー=テクニック」なのだといっているのである。(廣松渉「弁証法の論理」第一信)

この解釈は、弁証法のそもそもの創始者であるソクラテスの定義とは多少異なっているようである。ソクラテスは、弁証法を論理展開のテクニックだなどとは、どこでも言ってはいない。ソクラテスにおいて弁証法とは、文字通り「ディア(ふたつ)」の「レクティケー(言説)」なのであり、つまり、二つの異なった言説を対比させながら、物事への理解を深めようとする思考態度をさしていた。だから第一義的には、思考のプロセスをさして言った言葉であり、論理展開のテクニックをさしていたわけではい。とはいっても、論理展開が思考のプロセスを反映している限り、この両者を截然と区別することは困難なわけではあるが。

そこで、廣松の言うテクニックとしての弁証法的論理展開とは如何なるものか、それが問題となるわけであるが、廣松は、ヘーゲルの「精神現象学」と「大論理学」との関係に着目しながら、人間の認識作用の二つの面、ひとつは具体から始めて抽象へと上昇していく側面、もうひとつは抽象から初めて演繹的に下降していく側面、この二つの関係について、議論を展開している。廣松によれば、「精神現象学」は、人間の認識作用の上昇的な側面を展開しており、「大論理学」のほうは、上昇の結果得られた抽象的な概念を端緒として、そこからすべてのものを演繹的に展開したものだということになる。そして、その展開のプロセスを動かしている原動力が、弁証法だというわけである。

廣松の面白いところは、この上昇―下降のプロセスについて、ヘーゲルではなくプラトンを引き合いに出しながら論じていることである。

「理性知の所知は、『国家』篇の有名な条りを援用していえば、『ロゴスそのものが対話の力<ヘー・トゥー・ディアレゲスタイ・デュナミス=弁証の能力>によって把握するところのものであって、この場合、ロゴスはさまざまな仮説的前提<ヒュポテシス>を絶対的原理<アルケー>とするのではなく、文字通りヒュポテシス<ヒュポ=下に、テシス=置かれたもの>となし、謂わば踏み台・跳躍台として扱いつつ、万有のアルケー<端緒=始原=原基>へと上昇し、無前提の<アニュポテトン=仮説ではない>ものにまで到達する。そして、一旦、その原基<アルケー>を把握したうえで、今度は逆に、アルケーに依存しているものを次々に辿りながら終局にいたるまで下降していくのであるが、そのさい、およそ感覚的に知られるものを何一つ援用することなく、もっぱら形相<エイドス>そのものだけを用い、形相から形相へと動き、形相に達しておわるのである』(廣松渉、同上)

ここで言われているアルケーとは、プラトンにあっては「イデア」だったわけだが、ヘーゲルにとっては、それは「有」であり、マルクスにとっては「商品」であった。しかして、廣松の場合には、先ほども言及したように、人間の意識の、ともかくの対象としての「所知」だったわけである。というのも、ヘーゲルにあっては、存在こそが最大の関心事であり、マルクスにとっては、商品こそが資本主義の謎を解く鍵であったのに対して、廣松にとっては、人間の認識作用こそが、世界の意味を解く鍵であると考えられたのであろう。

この「アルケー=端緒」は無根拠なものでなければならない、と廣松は言う。なぜなら、論理的に根拠を有するのであれば、その根拠こそがより根源的になるからである。しかし、論理的に無根拠であるということは、論理的には説明できないということである。ということは、「アルケー=端緒」というものは、論理の飛躍の産物というほかはない。世界は、非論理的なものから始まる、というわけである。

廣松が端緒に据えた「所知」とその対立者としての「能知」は、ともに人間の意識を舞台としている。ということは、廣松は、人間の意識の作用の場こそがすべてのアルケー=端緒だと考えたということだろう。人間の意識の作用とは、たしかに論理によって根拠付けられるようなものではない。それは、論理以前の存在論的な地平における作用である(まず意識ありき)。それは、論理が成立してくる、場のようなものである。この場の作用が、弁証法的になされる。それを展開すると、廣松の言う「存在と意味」の世界が現れてくる、どうも、そう廣松は言いたいかのようである。




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