知の快楽 哲学の森に遊ぶ
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本居宣長の源氏物語論「紫文要領」


「紫文要領」は「石上私淑言」と並んで、宣長が「もののあはれ」論を展開したものである。ほぼ同じ時期に書かれたと思われる。「石上」のほうは和歌に即して「もののあはれ」論を展開し、日本人が「もののあはれ」を素直に感じ、それを表現することが出来るのは、国民性が素直にできている為で、その点では悪人ばかりが跋扈している中国より人間として優れているのだというような、ある種の文明論に踏み込んでいるのに対して、こちらのほうは、「源氏物語」に即しつつ、それを唐こころに毒されずに素直に読むべき心得について論じている。その点では、「石上」に比べて、あくまで文学の領域に限定してものごとを考えようとする姿勢が強い。

宣長のいう「唐こころ」とは、何ごとにも理屈をつけてうわべを飾る姿勢をいう。そういう姿勢で日本の歌や物語を読むと、とかくそこに勧善懲悪とか教戒とかいう基準を介入させることとなる。それ故源氏物語も、勧善懲悪の物語であるとか、あるいは源氏の不倫を語ることによって教戒となすなどという解釈が生まれるが、それらはすべて「ひがごと」だと宣長は言う。源氏の「不倫」は「もののあはれ」のあらわれなのであり、その限りで人間のまごころが現れたものなのである。だから、それを勧善懲悪の基準から読むのではなく、ありのままの人間のまごころの現われとして受け取るべきなのである。たとえそれが愚かなものにみえても、人間の心の現われであるかぎり、そこに「もののあはれ」を感じ取るべきなのである。

「すべて人の心といふものは、実情は、いかなる人にても愚かに未練なるものなり。それを隠せばこそ賢こげには見ゆれ、真の心の内をさぐり見れば、誰も誰も児女子のごとくはかなきものなり。異朝の書は、それを隠して、表向き・うはべの賢こげなるところを書きあらはし、ここの物語は、その心の内の真をあるのままにいへるゆゑに、はかなくつたなく見ゆるなり」。こう宣長は言って、心の真の姿をあらわすことが日本の物語の真髄なのであり、その点で唐の書物とは決定的に異なる。だから唐の書物に現れた「唐こころ」を以てわが国の物語を云々することは間違っていると主張するのである。

この宣長の姿勢から伝わってくることは、日本の物語と唐の書物とでは、まったく異なる前提に立っているのだから、両者を同じ基準で、つまり「唐こころ」の基準を以て論ずるのは間違っているということである。日本の物語は、「もののあはれ」にもとづいて享受すべきなのであり、一方唐の書物は儒仏の基準によって判断するが良い、というわけである。「儒仏は人を教え導く道なれば、人情に違ひてきびしく戒むることもまじりて、人の情のままに行なふことをば悪とし、情をおさへてつとむることを善とすること多し。物語はさやうの教戒の書にあらねば、儒仏にいふ善悪はあづからぬことにて、ただよし悪しとするところは、人情にかなふとかなはぬとの分ちなり」

このように物語の領域を儒仏の領域から切り離してしまうと、物語の領域内では、それ独自の世界が成立することとなる。その世界を動かしているのは、「もののあはれ」を知る心であり、人間自然の情である。それは、儒仏の道から見れば淫乱きわまることでも、人間自然の人情から見れば、きわめて当たり前のことと映る。それゆえ、光源氏が帝の后と不倫をなし、その結果皇統を乱したような行為をしても、それは「もののあはれ」の致したことである限りにおいて、何ら非難される筋合いはない、ということになるのである。ただし、「淫奔をよしとして取るにはあらず。それをば棄ててかかはらず、物の哀れを取るなり。このところをよくよくわきまふべし」というわけである。

ところで、「もののあはれ」のなかでも最も人の心を動かすものは好色である。それゆえ、好色を語るときの宣長は非常に気合が入っている。「人情の深くかかること、好色にまさるはなし。さればその筋につきては人の心深く感じて、物の哀れを知ること何よりもまされり。ゆゑに神代より今にいたるまで、よみ出づる歌に恋の歌のみ多く、またすぐれたるも恋の歌に多し。これ、物の哀れいたりて深きゆゑなり」。こう宣長は言い、「物の哀れを知ること、恋より深きはなし」と断言するのである。

日本人のおおらかなところは、「もののあはれ」を重んじるあまりに、他人の好色にも寛容になるところに現れる。他人の好色は、ただ脇から見ているだけならそう深刻なことにはならないが、その他人が自分の妻に手を出したらどうだろうか。普通の人間なら、おそらく嫉妬や怒りに囚われるに違いない。ところが源氏物語に出てくる人物には、そのような嫉妬や怒りは現れない。朱雀院は、自分の妻である后を源氏に寝取られても怒らなかったし、当の源氏も、柏木に自分の妻を寝取られても怒らなかった。これらは、彼らが「もののあはれ」を重んじるがゆえに、好色に対して非常に寛容であることの現われなのである。

それゆえ宣長は言うのだ。「これらを見るべし。よき人は物の哀れを知るゆゑに、好色の忍びがたき情を推量りて、人をも深くとがめず、ことに朱雀院の源氏をとがめ給はぬと、源氏の君の柏木を哀れに思し召すとは、いたりて物の哀れを深く知る人にあらずはかくはえあるまじきことなり・・・好色は人ごとにまぬがれがたく、忍びがたき情のあるものといふことを知り給ふゆゑに、とがめ給はず、哀れに思し召すなり」。ただ間違えてはいけないのは、「色好むをいみじき事にして賞するにはあらず。物の哀れを知るを賞するなり」と言う点である。好色は善悪の問題とはかかわりがないということを、宣長はこうした言葉で、あらためて言いたかったのであろう。

かくまで寛容になれるのは、日本の人々の情が、素直に出来ているからだと宣長は言う。素直とは、うわべを飾らず、自分の情に正直なことである。そうした正直さを、女童のように愚かだというものがいるが、人情とは本来そうしたものなのだと宣長は、いわば開き直った態度を取る。「大方人の実の情といふものは、女童のごとく未練に愚かなるものなり。男らしくきっとして賢きは、実の情にあらず。それはうはべをつくろひ飾りたるものなり。実の心の底をさぐりてみれば、いかほど賢き人もみな女童に変ることなし。それを恥じてつつむとつつまぬのとの違いひめばかりなり。唐の書籍はそのうはべのつくろひ飾りて努めたるところをもはら書きて、実の情を書けることはいとおろそかなり。ゆゑにうち見るには賢く聞こゆれども、それはみなうはべのつくろひにて実のことにあらず」

ここまで来ると、日本と唐との間の人情の比較から、文明の優劣まで及びかねない勢いを感じさせる。実際「石上」では、「もののあはれ」のすばらしさを強調するあまりに、その「もののあはれ」を理解できない連中や、その背後にある「唐こころ」を罵倒するまでに及んでいる。そこまで行ってしまっては、学問としてのつつしみを逸脱したと言われても致し方がないだろう。この「紫文」はそこまでは行っていないので、一つの文学論として、いまなお読むに耐えるものを持っていると評価できるだろう。




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