知の快楽 哲学の森に遊ぶ
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呵刈葭(一):本居宣長と上田秋成の論争


本居宣長は天明六年(1786)頃に上田秋成と二度にわたって論争した。その結果を、宣長は「呵刈葭」という形で、秋成は「安々言」という形で著した。「呵刈葭」は「かかいか」と読んだり「あしかりよし」と読んだりされるが、意味は「あしかる(刈葭)」人、つまり悪人を、「しかる(呵)」ということらしい。ここで宣長に叱られている対象が、論争の相手である上田秋成というわけだ。

前後二編からなっていて、前編は「上田秋成論難同弁」という副題がついており、後編は「鉗狂人上田秋成評同弁」という副題がついている。前編は、主として音便などの言語上の問題についての論争であり、後編は「日の神論争」といわれるように、日本の神話の解釈をめぐる論争である。どちらも、秋成のほうから問題を投げかけ、それに対して宣長が答えるという体裁をとっている。秋成は、宣長より年少ということもあって、表面上は謙虚さを装っているが、その文章をよくよく読めば、宣長への軽蔑を含んでいることが伝わってくる。それに対して宣長はかなり感情的になっている、というのが彼らの交した往復書簡による論争の大方の印象である。

前編の論争のテーマは、日本の古代に撥音の「ん」及び半濁音(ぱ行の音)が存在したどうかである。宣長は、古代には「ん」の音も半濁音も存在しなかったのであり、それがいまあるようになったのは、音便の結果だと主張していた。それに対して秋成が異議を唱えたのがこの論争のきっかけだ。秋成は、さまざまな証拠を挙げて古代にも「ん」及び「半濁音」が存在したと指摘するのに対して、宣長は一歩も譲らず、それらは近世において生じた音便の結果だとする主張を繰り返す。

我々現代人から見ると、少なくとも「ん」については、彼らの論争は宣長に歩があるようだ。撥音の「ん」は、独立した音としては、ということは音韻としては、古代には存在しなかった。それが日本語に存在するようになったのは、漢語の影響である、というのがいまの言語学会の通説のようである。この通説には、橋本進吉の影響が大きく働いていると思われるが、その橋本に宣長が影響を与えたかどうかは、よくはわからない。いずれにせよ、撥音の「ん」は、濁音や拗音とともに、漢字の影響によって後代に生まれたというのが通説になっているといってよいだろう。

一方、「ぱ行」の音については、宣長も秋成も半濁音とする点で一致しているが、橋本以降の言語学によれば、それは唇を摩擦することで発する唇音ということになっている。唇音という点では、古代の「ふぁ行」も古代の「わ行」も同列に扱われる。宣長が、「わ行」を半濁音としているのは、そこに着目してのことらしい。ともあれ、半濁音についても宣長は、古代には存在しなかったのであり、後世になって音便によって生じたと主張する。しかし、橋本進吉がいうように、古代の「は行」の音は、唇音としての「ふぁ」あるいは「ぱ」として発音されていたというのが真実ならば、宣長の主張は誤っているということになる。

こうした実証的なことがらに属することを別にすれば、両者の論争には、言語についての哲学の違いというべきものが反映されていると言える。宣長が撥音や半濁音を古代には存在せず、後世になって漢字の影響を受けた音便の結果だとしていることには、日本語の音があるべき姿から堕落したという受け止め方が反映されている。

宣長によれば「ん」とか半濁音とかは、言葉としては汚い音なのである。その汚い音を日本語が取り入れるようになったのは、漢語の影響によるものであり、堕落以外の何ものでもない。そうしたある種の復古的価値観が、宣長の言語観には色濃く反映している。秋成は、そこをついて、「ん」という言葉は何も日本語の堕落の結果できた音ではなく、そもそも宣長が崇拝する古代からあったのであり、また、宣長がいうように、汚い音なのではない。宣長は、中国語にこの「ん」という音があることを、中国自体が劣っていることの証拠だと言うが、言語というのは、民族の相違にしたがって相違するものであって、その間に価値の序列をつけようとするのは、誤った態度ではないかと、今の我々の目から見ても至極当たり前のことを秋成は言うのであるが、宣長によれば、それこそ誤った考え方なのだ。

「自国は尊く他は卑しいというのがすなおな御国心とも思われぬというのも、大きな間違いです。尊いものを尊いといい、卑しいものを卑しいということこそ、すなおな御国心なのであります。それはいうまでもなく、皇国は父のごとく主君のごとき国であり、外国は子のごとく臣下のごとき国だからです。であるからには、君父を尊いとし臣下を卑しいとするのに何の不都合がありましょう」(中公版日本の名著所収、野口武彦による現代語訳)。こう宣長は言って、日本と外国とではそもそも絶対的な優劣があって、日本のことはすべてが尊く正しいのであり、外国すなわち中国のことはすべてが卑しく間違っている、ということになるわけである。

こんなわけであるから、宣長は、「上古の正規の言語に『ん』の音がなかったことは、たとえていえば、人間の身体にはみな陰部があるけれども、これをあらわにすると見苦しいので衣服の下にさらにふんどしをしてこれを露出させることがないようなものです。外国人の発言に『ん』の韻が多いのは、その陰部を隠しおおわずにむきだしにしているようなものなのです」(同上)というようなことを、臆面もなく平気で言うわけである。宣長にとっては、「ん」の音は陰部と同じように恥ずべきものなのであって、中国人がそれを使っているのは彼らが卑しい証拠である。その恥ずべく卑しいものを日本人も使うようになったことは堕落以外の何ものでもないのである。

以上、「呵刈葭」前編の論争で展開された議論は、一見言葉をめぐる実証的な論争という外観を呈しているが、その実は、宣長の非合理な国粋主義を、秋成がからかっているというふうに受け取ることができる。秋成がからかえばからかうほど、宣長は熱くなる、という構図を、見て取ることができる。




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