知の快楽 哲学の森に遊ぶ
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丸谷才一の本居宣長論


丸谷才一の日本文学論が本居宣長に多大な影響を受けていたことは良く知られている。丸谷は中国文学と比較して日本文学が男女の恋を描くことに熱心だったのは、日本人の国民性に深く根ざしていたのだというような主張をしたのだが、その根拠としてもっぱら本居宣長を援用していたのだった。「恋と日本文学と本居宣長」という文章の中で、丸谷は自分の理解した宣長像を示している。

本居宣長は、中国人と日本人ではなぜ、男女の恋について正反対の態度を、少なくとも文学の上で、とってきたのか自問した上で、それは中国人が悪人で日本人が善人だからだという結論に達した。中国人といえども恋はする、ところがそんなことは汚らわしいとばかり、恋についての言及を抑圧しているのは偽善的としかいいようがない、それは中国人が悪人だからそうなるのであって、善人である日本人は、男女の恋をおおらかに受け取り、それを文学の中でもしめやかに表現してきたのだ、というのが本居宣長の基本的な主張であり、丸谷も一応それを受け入れているというわけなのである。

ではなぜ、日本人は善人であるのか。このむつかしい問いに対して宣長は、日本は神国であり、神国の民である日本人は善人であるほかありえない、と理屈づけた。これにはさすがの丸谷もあきれたとみえ、この主張だけは、いくらお人よしの自分でも承服できないと言っている。神国の民であらずとも善人であることはできる、というのが丸谷の考えである。善人と言うのは、ものごとを素直に受け取ることの出来る人をさしていうのであり、なにも神の国の民であることを条件とはしていない、と言いたいようである。

ものごとを素直にうけとるのが善人だとしたら、ものごとのなかでも人間にとってもっとも大事なこと、つまり男女の恋について、素直に受け取る人はとびきりの善人ということになる。日本という国はそうしたとびきりの善人が多く住んでいる国なのであって、したがってそういう国では男女の事柄を決め細やかに描いた文学も栄えてきたのだ。これが丸谷の言いたいことのようである。

本居宣長もまた、日本人の先輩文学者たちがせっせと男女の機微を描いてきたのは彼等が善人であった証だと考えるのであるが、宣長がそう考えたわけは、彼自身が男女の間柄について深い経験をしたことがあったからに違いない。そういう経験がないと、人は男女の機微について敏感になることはむつかしいし、ましてやそれを文学の形に昇華させることもできない。宣長自身、若い時期に心のとろけるような恋を経験したことがあったからこそ、男女の機微についてあのように率直になれたのに違いない、丸谷はそんな見当をつけて、宣長の書いた文章から、宣長の恋愛経験を読み解いていく。「恋と日本文学と本居宣長」と題した文章は、その読み解きの過程をたどりながら、恋と日本文学と本居宣長のもつれあいについて追求したものである。

丸谷は宣長の日記に依拠しながら、宣長が修行時代にあるひとりの女性に熱烈な恋をした事実を紹介する。実を言うと、この事実に先に気づいたのは国語学者の大野晋なのであるが、丸谷はそれを踏まえながら、想像の翼をさらに羽ばたかせたのであった。

宣長が惚れた女性と言うのは同門の深草玄周の妹で、出会ったときには16歳の少女であった。宣長はこの女性に一目惚れして、深く心を寄せるようになったが、不都合が生じて女性は他の男のもとに嫁いでしまった。これは宣長に深い心の傷をもたらしたようで、彼は三十になるまで独身を通したほどだ。ついに別の女性と結婚したがすぐに離婚してしまい、またもややもめに戻ったのは、初恋の人が忘れられなかったからだと丸谷は推測している。しかし、幸か不幸か女性の嫁いだ先の夫が急死したことで、宣長は晴れて彼女を嫁にすることが出来た。愛する人と結ばれた宣長は、以後日本の文学史に残る偉業を達成することになる。それについては、愛する人と結ばれたという宣長の高揚感と、彼女との間で経験した恋愛の切なさ深さが、彼をして男女の恋を素直に受け取るような姿勢を育ませ、ひいては深遠な文学論を形成せしめた、と丸谷は推測するのである。

ところでこの文章の中で丸谷は、例の「敷島や」の歌を取り上げて、宣長は偉大な国文学者であったが、歌読みとしては下手だったと言っている。自分でそういうばかりでなく、盟友の石川淳まで引っ張り出してきて、「えもいはぬわろき歌」などと言わせている。そういう丸谷自身はどうかというと、これは丸谷にはきびしく聞こえるだろうが、彼が一流の文学批評家であったのと対象的に小説書きとしては下手だったと言わざるをえない。丸谷の書いた小説の中で多少まともなのは「女さかり」くらいだが、これは小説と言うよりも、小説の体裁を借りた時評と言ってもよい。




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