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大杉栄評論集を読む


大杉栄は、幸徳秋水のようにはまとまった著作を残さなかった。彼が残したのは、方々の雑誌に発表した評論のような短い文章ばかりである。それらの文章を集めて一冊にしたものが岩波文庫から出ているので、それを読めば、大杉の思想的な立ち位置がだいたいわかる。それを一言であらわせば、徹底した個人主義と、権力の否定、そしてそれらがもたらすところの無政府主義、つまりアナーキズムといったことになろう。

大杉は、幸徳のようには明確な社会理論を持たなかったし、また整然とした歴史観も持たなかった。彼がよりどころとしていたのは、個人の価値ということである。個人の価値とは、自由によって支えられている。自由がないところには、自立した個人は成り立ち得ないから、奴隷根性ばかりがはびこる。それでは人間として生きている甲斐がない。人間というものはなんと言っても、自由でなければならぬ。だからその自由を発散させるものが政治的・社会的な善と言うことになり、自由を妨げるものが悪ということになる。大杉の生涯は、この悪と戦うことだったといってよい。

大杉がまとまった著作を書かず、短い評論のようなものばかり書いていたのは、こうした姿勢に根ざすのだろうと思われる。明確な社会理論を持たず、整然とした歴史観を持たないわけだから、統一的な視点から社会や歴史を分析するということもないし、したがって自分の抱いた問題意識を、一冊の著作にまとめたいという動機も持たなかったのだと思われる。彼が何かを考えるとしたら、それは自分の自由を抑圧するものに対する反感からなのであって、その反感を表現するには、短いスローガンのような文章で足りたからである。

大杉のよりどころとしたのは個人の価値だといったが、それは大げさに言うと個人主義という形をとる。大杉に主義主張のようなものがあるとすれば、この個人主義ということになろう。大杉の個人主義とは、大杉自身の言葉で言い表せば、「自我の、個人的発意の、自由と創造とを思い、かつここに個人及び社会の進化の基礎を置く」(「生の創造」)ことである。社会の進化などという言葉を使っているが、大杉には、厳密に言えば、社会の進化という視点はない。あるのは個人の自由ということだけであって、個人の自由を尊重する社会が進化した社会だと言うに過ぎない。大杉にとって社会は自立した存在ではなく、個人からなる、個人に従属したものに過ぎない。個人あっての社会であり、社会あっての個人ではないのである。

大杉が理想とする社会は自由な個人が闊歩する社会である。自由な社会での自由な個人は、何に妨げられることもなく、その才能を最大限に発揮できる。言い換えれば、人間としての生を最高度に謳歌できるようになる。そのような人間は、人間としてのもっとも偉大なあり方に到達するであろう。そうした人間を大杉は「超人」と言っている。大杉が理想とするのは、超人が闊歩するような社会なのである。

そんなわけであるから、大杉においては個人の才能を最大限に発揮させられる社会が理想の社会ということになる。そのためには、権力による抑圧はもとより、あらゆるたぐいの抑圧のないことが求められる。抑圧のない社会とは、要するに権力の存在しない社会である。ということは政府のない社会、つまり無政府社会であり、そのような社会を追究する大杉の立場は無政府主義ということになる。日本の思想史上、大杉ほど自覚的な無政府主義者はなかったと言ってよい。

大杉はあらゆる権力を認めないのであるから、民衆による権力も認めないと言うことになり、その結果民主主義に対してもシニカルな立場、というより敵対的な立場を取りがちである。大杉はロシアのボリシェヴィキ革命に敵対したが、その最大の理由は、いかなる淵源を持つにせよ、新しい権力が成立して、それが民主主義を標榜しながら、民衆の自由を抑圧していると見たからだ。

大杉が民主主義に対してシニカルなことは、吉野作造の批判に典型的に見られる。吉野の民本主義というのは、今日の目から見れば、中途半端な民主主義ということになるが、大杉は吉野の民本主義といわゆる民主主義とを十把一絡げに取り扱い、両者は五十歩百歩の間柄だと見ている。

大杉は言う、「西洋のデモクラシーという言葉には相異なる二つの意義がある。その一つは主権の所在に関する説明である。外の一つは主権運用の方法に関する説明である・・・この前者はいわゆる民主主義であり、後者はいわゆる民本主義である」(「盲の手引きする盲」)と。この議論は、政治とは誰のためのものかということについての議論であって、政治が何のためかということには触れていない。しかるに政治にとって本当に大事なことは、この、何のためか、という政治の目的に関することだ。それを大杉は個人の自由と考えるわけだが、民本主義も民主主義もその目的を考えていない点で、五十歩百歩だというわけである。

ところで個人の自由とは、自由な精神に宿るものだ。そこで大杉は次のように言うわけだ。「僕は精神が好きだ。しかしその精神が理論化されると大がいは厭になる。理論化という行程の間に、多くは社会的現実との調和、事大的妥協があるからだ。まやかしがあるからだ・・・社会主義も大嫌いだ。無政府主義もどうかすると少々厭になる。僕の一番好きなのは人間の盲目的行為だ。精神そのままの爆発だ」(「僕は精神が好きだ」)

要するに大杉は、一切の抑圧から解放され、人間としての可能性を自由に追求できるような社会を夢見たわけだが、その社会がどのようにしたら実現できるかについては、ほとんど無頓着だった。ということは、権力の目から見れば、あまり有害ともいえないのだが、そのあまり有害でない大杉を、時の権力は目の敵にしたわけである。

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