知の快楽 哲学の森に遊ぶ
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和辻哲郎の風土論


和辻哲郎にとって風土論は、彼の人間論と密接な関係にある、というより人間論の不可分の要素となっている。和辻にとって人間とは、個であると共に全体でもあるが、その全体とは人間の共同態としての社会的な性格のものであり、そこには人間の間柄が働いている。風土というのは、この間柄のあり方を根本的に規定しているのである。したがって風土とは、言葉の表面的な意味から連想されるような単なる自然のあり方ではなく、人間の生き方そのもの、「人間が己を見出す仕方」としてとしてとらえられている。人間は風土を離れて存在し得ない、風土が人間を作る。そのように和辻は考えているわけである。

和辻は風土を三つの類型に分け、それぞれをモンスーン型、沙漠型、牧場型と命名する。これは和辻の独創によるものらしい。西洋にも主に自然条件=外的環境としての見地から風土を分類するものはあったが、和辻のように整然とした分類はなかったようである。しかも和辻はそれぞれの類型に、それに対応した人間の生き方を絡ませて論じた。その点では独創的な着目点だといってよい。

モンスーン型は、インドや中国を含めた東アジアに特徴的な風土であり、暑気と湿潤な自然が、そこに暮す人々を受容的・忍従的にさせる。沙漠型はアラビア半島に典型的に見られるもので、乾燥した過酷な自然がそこに暮す人々を戦闘的でかつ全体意思への絶対服従的な態度を亢進させる。牧場型はヨーロッパに見られるもので、穏やかで従順な自然が、そこに生きている人々に合理的で規則的な態度を養わせる。もっとも、このように類型化できるとはいえ、各類型内部には差異が存在し、インドと中国との相違のようにその度合いが大きい場合もあるが、おおまかにいえば、各類型の基本的な特徴を共有している、と和辻は整理する。

こう整理したうえで和辻は、それぞれの類型は基本的にはそれぞれ対等であって、その間に優劣はないと考えているようである。もっとも日本の場合については、他の民族に比較してすぐれた特徴を多く指摘できるのであり、それがまた日本の風土と密接に関連していると和辻はいうのであるが、この点については別途取り上げたいと思う。

和辻が各類型の対等性にこだわるのは、西洋的な見方への反発が働いているのだと思われる。和辻はこの「風土」の最後の部分で、ヘルダー以下西洋人の風土論に言及しているが、西洋人の考え方の基本は、西洋人こそが人類で最も進歩したものであって、ほかの民族は西洋人に劣るばかりか、最終的には西洋的なものを理想として、それに向かって進歩しつつあるのだと考える傾向が強い。こうした考えからすれば、日本の属するモンスーン型や沙漠型の風土は、西洋の風土より一段価値の劣ったものなのであり、したがってその劣った価値を刻印された諸民族も西洋人に比べて人間的な価値に劣っている、ということになる。

和辻はこうした見方を到底受け入れられないと反発したからこそ、各類型に進歩の段階だとか、価値の優劣はないのであり、それぞれ対等なものなのだと強調したわけであろう。

こういう和辻の基本的な姿勢は、進歩史観を批判して、未開社会も西洋的な社会も、一定の形成原理によって成り立っている点では対等なのだと主張したレヴィ・ストロースと似たところがある。

各風土の特徴づけとか、風土と人間との相互作用についての和辻の議論は、和辻特有の言葉遊びも働いて、帰納的・実証的というよりは多分に演繹的な色彩を帯びている。演繹的な議論も、その前提が実証に支えられていれば説得力を持つが、和辻の場合には比喩や思い付きから前提を導き出しているきらいが無いわけではないので、眉に唾して読んだほうがよかろう。





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