知の快楽 哲学の森に遊ぶ
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沙門道元:和辻哲郎の鎌倉仏教論


小論「沙門道元」は、和辻哲郎なりの日本仏教論である。和辻は、道元の禅と親鸞の念仏を日本で最初の本格的な仏教=宗教ととらえているようだが、それは真宗と禅宗に代表される鎌倉仏教を、日本で最初に民衆的な基盤の上に成立した宗教と位置づけた鈴木大拙の見方と共通するところがある。大拙の場合には、民衆宗教としては真宗のほうを重視したわけだが、和辻の場合には、道元の禅をより積極的に評価する、という違いはある。

大拙が鎌倉仏教を日本で始めての本格的な宗教と位置づけた根拠は、それらが多かれ少なかれ超越者=絶対者というものを信仰の中に取り入れたことにある。鎌倉仏教以前の仏教は、個人の救済とか、彼岸の想定とか、宗教的なことがらを主題としていても、どこか現世的なところがあった。ところが鎌倉時代に現われた仏教の教えは、人々に絶対者への無条件の信仰を教えた。この絶対者は、それ以前の仏とは違って、民衆個々人との間で一対一の直接の関係を求める、非常に個人的な色彩の強いものだった点で、キリスト教を初めとした一神教の神と共通するところがあった。一神教においては、個人は神の前に直接立たされ、神によって裁かれる、という形をとる。この神は、個人にとっては絶対的かつ超越的な存在であって、無条件に信じることを求めるのであるが、そうした絶対的な存在としての神が、日本の場合には鎌倉時代になってようやく明確な形をとって登場した、そう大拙は見るわけである。

この絶対者としての神が、真宗の場合には、阿弥陀仏という形をとり、それへの絶対的な帰依を要求するところに新たな信仰が成立した。禅宗の場合には、一神教的な面は、阿弥陀仏のような人格神の形はとらず、宗教的な真理を体現した絶対的真理という形で現われる。いずれにせよ、多神教的な宗教から一神教的なそれへの変化を、宗教の進歩というふうに、大拙は見做した訳である。

和辻には宗教の進歩という考えはないようだ。その代わりに深化という考えはある。宗教的な実践を深化することで、宗教意識が高まる一方、民衆の間に広く根付いていったというふうに捉えるわけである。そして、宗教的な実践の深化ということでは、親鸞の真宗よりも道元の禅のほうが徹底していると考えているようだ。彼が鎌倉仏教を、道元を中心にして論ずるのは、こうした考えがあるからだろう。

ともあれ和辻は、親鸞と道元の教説を比較しながら、鎌倉時代になって確立した日本仏教の特質みたいなものを考察する。まず、共通点について。両者とも絶対者への帰依を通じて救済あるいは解脱を求める点で基本的に共通する。親鸞の場合には、阿弥陀仏への無条件の信仰によって救われることが目指され、道元にあっては絶対的な真理を体現した仏を信ずることで自分自身も解脱できることを目指す。その場合に面白いのは、道元のいう絶対者が、親鸞の阿弥陀仏のようにかならずしも人格化されてはおらず、場合によっては、絶対的な真理という具合に抽象的な概念の様相を呈していることだ。それではなかなか宗教としての体裁はとれないというので、その真理を体現したものとしての仏であるとか、聖人のようなものを想定して、それへの帰依を求める、という便宜的な策がとられたりするが、いずれにしても絶対者への帰依を求める点では、親鸞と共通している、と言うわけである。

次に相違点について。まず、解脱のとらえ方。親鸞も道元も人間は解脱することで彼岸に生まれ変わると説くわけだが、親鸞の場合彼岸は死後の世界であった。人は死して後阿弥陀の浄土に生まれ変わるのである。ところが道元の場合には、彼岸は必ずしも死後の世界ではない。彼岸とは解脱した世界であって、したがって生きながら解脱したものは、この世にあって彼岸に生きていることになる。要するに、「死後と生前とを問わず、真理に入れる生活が彼岸の生活なのである。生前と死後とを問わず、迷妄に囚われた生活は此岸の生活である。従って理想の生を此の世から移すことは無意義である。理想の生はここに直ちに実現されるべきである」(「沙門道元」以下同じ)。

こうであるから、両者の違いは死生観において鋭く現われる。親鸞にあっては、解脱は死後のことなのであるから、死後の世界への憧れがこの世を軽視することにつながる。この世での生には大して意義を認めぬわけである。これに対して道元のほうは、解脱をこの世で実現しようというのであるから、この世で生きることが肝心なのであって、あの世のことは大して重視されない。この世で解脱できなかったものは、あの世でも解脱できないからだ。従って、道元の死生観は、この世重視の色彩を帯びるわけである。

だからと言って道元は、自己の救済という利己的な目的を追求したわけではない、と和辻は言う。道元は「『自己の救済』を目的とせずして、『真理王国の建設』を目的とした。もとより自己は真理の王国において救われる。しかし救われんがために真理を獲ようとするのではない。真理の前には自己は無である。真理を体現したから尊いのではなく、自己に体現せられた真理が尊いのである。真理への修行はあくまでも真理それ自身のためでなくてはならぬ」。つまり、自己の救済に拘っているのは親鸞のほうであって、道元は自己の救済ではなく、真理を自己のうちに実現することを目的とするのであり、救済はその反射的な効果に過ぎないというわけである。

親鸞も道元も慈悲を重視したが、その考え方は百八十度違う方向を向いている。親鸞にあっては、慈悲は阿弥陀仏から人間に対して一方的に与えられるものである。人間は阿弥陀仏の慈悲にすがることによって、救済されることを願う。その場合、阿弥陀仏にすがることでかならず救済されるという保証はない。救済されるかもしれぬし、されぬかもしれぬ。しかしそうした迷いを捨てて、ただひたすら阿弥陀仏にすがるところに信仰というものは成立する。宗教は現世利益的な打算ではなく、超越的な絶対者への無条件の帰依なのである。

これに対して道元の場合には、仏法のために己の心身を捨てて、他者に対して慈悲の心を向けよと教える。つまり道元にあって慈悲とは人から人へ与えられるものなのである。親鸞にあっては、許すものは仏であるが、道元にあっては人なのである。「ここにおいて親鸞の慈悲と道元の慈悲との対照が明らかになる。慈悲を目的とする親鸞の教えは、その目的を達するために、一時人間の愛から目をそむけて、ただ専心に仏を念ずることを力説し、真理を目的とする道元の教えは、その目的を達するために、人間の没我の愛を力説するのである。前者は仏の慈悲を説き、後者は人間の慈悲を説く。前者は慈悲の力に重きを置き、後者は慈悲の心情に重きを置く。前者は無限に高められた慈悲の愛であり、後者は鍛錬によって得られる求道者の愛である」

以上、和辻は、親鸞と道元の共通点と相違点を論じながら、彼らが日本の仏教にとって果たした役割と意義を解明する。この二人のうち親鸞については、教えのわかりやすさもあって、多くの人々に親しまれてきた歴史があるが、道元については、一部の人が座禅を中心にして実体験する場合をのぞいては、あまり親しまれることはなかったし、ましてやその教説を体系的に説明したものもなかった。和辻は、その道元について、わかりやすい言葉を通じて、その教説の真髄にせまろうとし、その営みの一端を言葉で現わす努力をした。そのおかげで我々凡人でも、道元の教説の一端に接する手がかりが得られるようになった。そう言えるのではないか。そういう意味では、和辻のこの小論は日本人にとっては、すくなくとも啓蒙的な意義を有するのではないか。





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