知の快楽 哲学の森に遊ぶ
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熊野純彦「和辻哲郎」


熊野純彦のこの本は、前半では和辻の人間形成の軌跡を、彼の「自叙伝の試み」を引用しながらたどり、後半では人間形成を成し遂げた和辻がどのような思想を抱くに至ったかを、主に「倫理学」を参照しながら腑分けする。しかして前半と後半とは深いところでつながっている。それをつなげている主なファクターは、和辻の自己意識にあるというのが、どうも熊野の見立てのようである。和辻は姫路市北郊の寒村で生まれ育ったが、そこは非常に貧しい村落で、村民はみな厳しい労働に耐えながら生きていた。労働から解放されていた家は、一軒の寺坊主の家と、医師であった和辻の家だけだった。そこで和辻は、この村落に生涯懐かしい思いを寄せる一方、自分はそこから疎外されているといった感情を抱くに至った。この感情はまたエリート意識の裏返しでもあった。そんなふうに熊野の文章からは伝わってくる。

和辻の考え方に国家中心的なところがあるのは否めない。それの精神的な背景として彼のエリート意識があったとする熊野の推論には無理なところはない。だが、そのエリート意識はかなり潜在的なものであったようだ。というのも和辻は、戦時中にあからさまな国家主義的議論を展開したばかりか、戦後になっても同じような議論をするのをはばからなかったのだが、自分自身ではそれがおかしいとは全く思わなかったようだし、したがって戦時中の国家主義的発言について反省することも殆どなかった。それどころか、戦時中一部の右翼に攻撃されたことを以て、自分は進歩的な発言をしているのだと思い込んでいるフシさえあった。これは、和辻が自分の国家主義的な傾向について、あまり深く反省することのなかった証拠ではないか。そんなふうに筆者などは感じさせられる。まともに反省していたら、よほど面が厚くない限り、戦時中の国家主義的発言が戦後もそのまま通るとは思わなかったに違いない。

その和辻の戦時中の発言について、丸山真男が戦後「当時の思想の恥ですね」といって酷評したことを熊野は紹介しているが、そのことについて和辻を擁護するわけでもないので、丸山の酷評にも一理あると認めているのだろう。たしかに和辻の思想は、独特の人間観が土台にあり、それはそれで聞くべきところもあるのだが、それが現実政治に適用されると、和辻が影響を受けたハイデガーと同じようなことになってしまう。ハイデガーが戦後厳しく批判されたのと同じようなレベルで、和辻もまた批判の対象とならざるを得ない。もっとも和辻自身は、自分にはなんら批判される覚えはないと、一貫して批判をしりぞけ続けた。この辺は、批判に対して沈黙を守ったハイデガーと異なる。

ところでこの本には、和辻とハイデガーの思想上のつながりが、ほとんど触れられていない。和辻がドイツ留学中にハイデガーの「存在と時間」を読み、そこから大きな影響を受けたらしいことは、ドイツ留学の成果ともいえる「人間の学としての倫理学」から明らかである。ところが、和辻自身がハイデガーから受けた影響を大袈裟に語っていないこともあって、熊野もこの両者の思想的なつながりに目を向けていない。二人の思想をつなぐポイントは、共同体とか国家といった全体性の要素を強調するところにある。

和辻の思想の中核部分は倫理学にあり、その倫理学が人と人との間柄に着目し、人間の生き方を間柄としての共同体とのかかわりにおいてとらえた、とするのが熊野の和辻についての基本的な見方だと思うが、それをどう評価すべきかについては、熊野は、それが素晴らしいとも、逆に問題があるとも、明言していない。こういうものの考え方もあるのだということを、淡々と紹介しているふうである。

その一方で、古寺巡礼をはじめとした和辻の美学的な業績については、これは素晴らしいといっている。和辻のその素晴らしさは、和辻の詩人としての資質に由来するとも言っているが、熊野のその言い方は、詩人と哲学者とは往々にして相反するもので、すぐれた詩人はすぐれた学者にはなかなかなれないものだというようなニュアンスが伝わってくる。たしかに哲学者としての和辻には、だいぶゆるいところがある。

哲学者としてではなく、普通の物書きとしても、和辻には厳密さに欠けるところがある、たとえば、「古寺巡礼」の中宮寺の半跏思惟像に触れた一節で、和辻は弥勒菩薩と観音菩薩の区別もできていないと熊野は批判している。これは和辻の学問的ないいかげんさの現われだと言いたいようなのだが、そうしたいい加減さはなにも和辻ばかりに見られるものではない。禅僧の白隠でさえ、弥勒と観音とを区別しないで描いている。

こうした瑕はあるにしても、和辻の美学的な文章は、いま読んでも新鮮で、また色々考えさせられる。実際若い世代にも和辻を読んでいる人はまだ多いようだ。その点では同時代のほかの思想家とは比較にならないほど和辻は広く受容されている。彼の倫理学説には関心を示さないものも、その美学的なエッセーには興味を引かれ続けるのだろうと思う。





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