知の快楽 哲学の森に遊ぶ
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キルケゴールの審美的著作


キルケゴールの実質的な処女作は「あれかこれか」である。この中に含まれている「誘惑者の日記」が世間の話題となり、これをキルケゴールは仮名で出版したにかかわらず、たちまちその著者であることがばれて、忽ちデンマーク一の有名人になってしまった。無論文学者としてである。この作品は、思想的な作品などとは到底言えないし、文学作品としても奇妙な作品なのであるが、とにかく人の心をつかんで離さない迫力がある。であるから、筆者のようなものまでその魅力のとりこになったとしても不思議ではないだろう。筆者がこれを始めて読んだのは大学一年生の時のことだったが、読んでいる最中から感激に包まれ、読み終わったあとでは深いため息をついたものだ。というのも筆者には、この日記の作者のことが他人事のようには思えなかったからだ。これを読んだとき、筆者は恋が破れた直後のことであり、その不幸な恋の切ない思い出が、この作品によって掻き立てられて、筆者は心が二重に痛手を負うのを感じないではいられなかったのだ。

キルケゴールの著作は、日記や宗教的講話を除けば、審美的著作と思想的著作におおまかに分けられ、それらのすべてが仮名によって発表されたことは、別稿で述べたとおりである。「あれかこれか」や「人生行路の諸段階」といった作品は全体が審美的著作と言われることもあるが、厳密に言えば、その一部、たとえば「あれかこれか」の場合でいえば、「誘惑者の日記」を含む前半の部分に限定すべきであろう。この意味での審美的著作としては、「反復」や「人生行路の諸段階」の中の「酒中に真あり」も含まれる。

こうした審美的著作といわれる諸作品を、キルケゴールはどういう意図で書いたのだろうか。キルケゴールは自分自身を哲学者とは考えなかったのと同じく、文学者であるとも考えなかった。それ故、彼が文学的な成功を目的にして、文学作品を書いたとは思われない。彼は文学的な意図からこれらの作品を書いたのではなく、別の意図から書いた、そう推論するのが穏当だろう。またそう推論させるような事柄が、これらの作品の背後にはある。

その背後にある事情とは、キルケゴールとある女性との不幸な出来事であった、ということは、キルケゴール研究者の多くが指摘していることである。その指摘によれば、キルケゴールはレギーネという素敵な女性と愛し合うようになり、婚約までしたのだったが、何故かその一年後に、キルケゴールはその婚約を一方的に破棄してしまった。彼がなぜそうしたのかについては、様々な推測がなされてきたが、いまだに決定的な結論は出ていない。

だがとりあえず次のような説明が有力である。キルケゴールは我々にとっては不可思議な事情に基づいて、罪のない女性との婚約を一方的に破棄し、その女性を一時的であれ不幸な状態に陥らせたわけであるが、「誘惑者の日記」と題する文学的な著作は、いや「あれかこれか」という著作全体も、この不幸な出来事と深いかかわりがある。というより、この著作は、この不幸な出来事に対するキルケゴールの弁明なのであり、したがってキルケゴールはレギーネに読んでもらうことを念頭に、この本を書いた、という説明である。筆者もその説明は、基本的には間違っていないと思う。

基本的に間違っていないということは決定的に誤っているわけではないという意味だ。だからところどころに綻びが出るのは致し方ない。まず、弁明であるにしてはあまりにも回りくどいし、しかも、相手をいたわるというよりも、突き放すような言い方が余りにも多い。例えば「誘惑者の日記」にしても、自分がどのようにしてあなたを好きになって、にもかかわらずどのような事情であなたを捨てなければならない事態にたちいたったかについて丁寧に説明しているわけではなく、一人の男が一人の少女を勝手に愛するようになり、また勝手に屈託するようになり、その結果無慈悲にも彼女を捨てるに至ったということがらを、文学的な装飾をまとわせながらも、淡々と語っているにすぎない。こんなものを読まされた女性は、相手の言い分に納得できるどころか、その身勝手さに怒りを覚えるのが関の山であろう。そんなものが果して弁明といえるのか。

こうした疑問に対しては、多くのキルケゴール研究者はキルケゴールに成り代わって次のような言い訳を用意している。キルケゴールは自分がレギーネを捨てたことでレギーネが深く傷つくことを恐れた。そこで自分がレギーネを捨てたのは自分が卑劣な人間であったからで、自分はもともとレギーネの愛に相応しい人間ではなかったということをレギーネに納得してもらえれば、レギーネの苦痛もそれだけ小さくなるだろうし、また彼女の名誉も守られるだろう。彼女は男によって一方的に捨てられたのではなく、もともとそんな男とは縁がなかったのだ。彼女にも世間にもそう思わすことができれば、自分もレギーネを捨てたことについて、もうすこし気が休まるようになるかもしれない。キルケゴールはそんな思惑を込めてこの作品を書いたのではないか。だとすればそれは、弁明の書であるとともに、侮辱の書でもありえたのだ、と。

この説明はうまくできているようで、肝心なところが抜けている。キルケゴールは何故レギーネを捨てる決断をしたのか、そこのところが説明されていないのだ。そもそもレギーネを捨てるなどということをしなければ、こんなまわりくどい細工も必要ではない。こんなわけで、キルケゴールがレギーネを捨てた事情はブラックボックスの中に包み隠されているままなのである。

「反復」もレギーネとの関わりから生まれた作品だということになっている。「あれかこれか」にはレギーネとの決別を合理化する努力が盛り込まれているわけだが、「反復」では文字通りに事柄の反復、つまり愛のやりなおしがテーマになっている。少なくともキルケゴールが書いた時には(彼はこれをわずか二週間で書き上げた)、レギーネに向かって愛のやり直しを呼びかける意図が含まれていた。ところがこの作品を書き上げた直後に、キルケゴールはレギーネが別の男と婚約したという話を聞かされた。愛のやり直しは、実現しなかったのだ。

キルケゴールが愛の反復について思いを致すようになったことの背景にはある出来事があった。ある日キルケゴールは教会の中でレギーネと出会ったのであったが、その際にレギーネはキルケゴールに向かって意味深長な会釈をした。それを見たキルケゴールは、もしかしてレギーネは自分を許しているのではないか、そうだとしたらもう一度愛をやり直すことが出来るのではないか、と思い至り、レギーネに向かって愛の反復の合図を送ろうとした。「反復」の初稿にはそうした意図が盛り込まれていた、というわけである。

だが結局それは実現されなかった。キルケゴールは相変わらず一人のままで取り残され、したがって「反復」を初稿のままで刊行する意味もなくなった。そこでキルケゴールはそれを書き直して出版した。初稿では反復の可能性について書かれていたと思われるが、書き改められた稿本では、反復の不可能について語られているわけである。

レギーネとの愛のやり取りについて、キルケゴールは「人生行路の諸段階」の中の「責めありや、責めなしや」のなかで、もう一度取り上げた。しかしその取り上げ方は、前の二者の場合とは大きく異なっている。前の二者は、審美的著作と言われるに相応しく、文学的な香気に満ちているのに対して、この著作は極めて宗教的な色彩が強い。「人生行路の諸段階」という作品は、人生行路の三つの段階、すなわち美的段階、倫理的段階、宗教的段階のそれぞれについて、それぞれの立場の人間が自分の立場を主張する体裁になっているわけだが、この「責めありや、責めなしや」の著者は宗教的段階に到達した人間と言うことになっている。したがって、彼の立場からレギーネとの愛を語るということは、自ずから前二者の語り手を批判するような形になる。その批判を通じて、キルケゴールがレギーネを捨てた意味が改めて語られるわけだが、しかしそこでも何故キルケゴールがレギーネを捨てなければならなかったのか、その事情が語られているわけではない。キルケゴールは、自分がレギーネを捨てた真の理由については、著作の中では最後まで明らかにしなかったのである。




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