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聖アウグスティヌス:カトリック神学の祖


聖アウグスティヌス(354−430)は、聖アンブロシウス、聖ヒエロニムスとともに4世紀のローマ帝国に生き、当時勃興しつつあったキリスト教とカトリック信仰に対して、礎石を築いた人である。この3人に後の世代のグレゴリウス法王を加えて「西方教会の四博士」と呼んでいるが、それは彼らがカトリック教会の確立に果たした巨大な功績をたたえてのことであった。

キリスト教は、キリストの死後、十二使途と呼ばれる人々によって次第に宗教としての教義を整えていくが、初期にあっては、まだまだユダヤ教の影響を強く蒙っていた。新プラトン主義やマニ教などギリシャや東方の宗教との戦いにおいても決定的に有利であったわけではなかった。またキリスト教内部にも、アリウス派をはじめ多くの異端的分子を抱えていた。

コンスタンティヌス帝が337年の死の直前にカトリックの洗礼を受け、テオドシウス帝が379年にカトリックに全面的な支持を与えたことがきっかけになり、キリスト教内部におけるカトリックの覇権が確立した。同時にカトリックはローマ帝国の政治と密接にかかわるようになる。ここに政教一致を旨とした中世ヨーロッパ的世界が展開していくのである。

アウグスティヌスら3人の博士たちは、この勃興するカトリックに対して、それぞれに大きな役割を果たした。アンブロシウスは教会と国家に関する教会側の見解を代表し、ヒエロニムスは聖書をラテン語訳するとともに、後の修道院の体制を整えた。一方アウグスティヌスは、カトリックの教義を整え、中世を通じて正当化されるにいたったカトリック神学の礎石を築いたのである。

アウグスティヌスは、北アフリカのタガステに生まれた。以来彼は生涯の大部分をアフリカで過ごしている。母親は敬虔なカトリック信者であったが、父親はそうではなかった。アウグスティヌス自身は、青年期にはマニ教を信奉し、また新プラトン主義やストア派の哲学にも深い関心をもっていた。若い頃にはキケロを愛読していたようである。

16歳のときにカルタゴへ出、ついでローマで修辞学を教える生活を送った。その後修辞学の職を紹介されてミラノへいくが、そこでアンブロシウスに出会い、ついにカトリックの洗礼をうけた。時に386年、すでに30歳を超えていた。

アウグスティヌスがカトリックに改心した動機は、自分が若い頃に犯した肉欲の罪に対する深い後悔だったといわれる。彼は「告白」のなかで、自分のそんな肉欲とそれがもたらした罪深い結果について、長々と告白している。この作品は、後にルソーやヴェルレーヌも模倣するのであるが、一言で言えば、自分の罪を神の前で懺悔する、カトリック特有の儀式の先鞭をなすものだ。

また彼は、ファウストゥスという名のマニ教の司教と論争したことがあったが、そのとき、マニ教が自分には肝心なことを何も教えてくれないと強く感じた。マニ教の司教は自分がギリシャ文化を通じて学んだ化学的な知識について何も知らないばかりか、善と悪の二元論にたつことによって、人間の罪深さの原因についても、誤った考えを持っていると確信するようにもなったのである。

アウグスティヌスの生涯の関心は、人間の罪深さとそれからの神による救済ということであった。

人間の罪深さの問題は、ユダヤ教においても最大のテーマであった。キリスト教もそれを原罪という概念で引き継いでいるのである。

ユダヤ人たちは、エホバは全能の神であり、自分たちユダヤ人たちに特別の関心を持っているのだと考えていた。彼らは自分たちを神によって選ばれた選民だと考えていたのである。ところが現実のユダヤ人たちは、度重なる迫害に苦しみ、過酷な運命を背負って生きているように見える。選民でありながら何故苦しみばかり受けなければならないのか。この疑問に対して、ユダヤ人たちが持ち出した理由が、自分たちの持つ罪の深さだった。この罪の深さゆえ、神はユダヤ人たちを懲らしめたまい、試練を与えたまう。それは逆に言えば、自分たちに対する神の特別な愛の裏返しだとされたのであった。

キリスト教徒もユダヤ人のエホバの神を引き継いだ。キリスト教徒にとっては、自分たちも神によって選ばれたものであるが、それはユダヤ人のように民族としてではなかった。キリスト教徒にとっては、ユダヤ人の民族の概念に相当するものは教会だったのである。キリスト教徒は教会の一員となることによって、紙に選ばれ、神による救済の対象となる。

だが教会がそれ自身として罪深いものだとは考えられなかった。罪深いのは一人一人の個人だった。ここにキリスト教神学には二つの部分が生じた。教会を巡の部分と、個人の魂の救済を巡る部分である。アウグスティヌスはその個人の魂の救済について、生涯をかけて戦ったのであった。

ユダヤ人にとっては、神との関係はユダヤ人の一員としての資格において語られるものであったが、カトリック神学においては、個人は個人としての資格において、神と向き合うようになった。しかし後のカルヴィンの思想におけるような、孤独な個人として神と直面するむき出しの関係ではなく、教会を通じて神と向き合うという間接的なあり方をとった。

罪深い個人と神はどのような関係にあるのか、そこにはいかなる救済がありうるのか、これがアウグスティヌスのテーマであった。

アリウス派など異端の教義にあっては、この世界は善と悪ならなる二元的な対立の世界であった。人間の中にも善の要素とともに悪の要素がある。悪の要素が支配的になるとき人間は堕落する、そうした考えが流布していた。

これに対してアウグスティヌスは、罪とは徳の欠如だと考えた。そして人間が罪を犯すのは自分の自由意志からなのだとも主張した。だから人間は自分の行いをつつしみ、信仰と徳に励むならば、神によって愛でられ、天国にいけることができる。

しかし徳を積んだからといって、無条件に天国に行けるわけではないとも、アウグスティヌスはいった。我々が天国に行けるのは、神の自由な恩恵によるのである。

我々の祖先のアダムが自らの自由意志によってりんごを食ってしまったおかげで、アダムの腐敗は我々子孫にも受け継がれている。だから我々には永劫の処罰が待っている。洗礼を受けずに死んだ子は、そのことだけで地獄へ落ちなければならない運命を背負っている。そんな我々が神によって愛でられ、天国へ行けるのは、罪深い我々自身の、罪を償う行いによるのではなく、あくまでも神の自由な恩恵によるのだ。

何故あるものが救済され、何故あるものがそうでないかは、誰にも理由を述べることはできない、そうアウグスティヌスはいう。それは神の動機なき選択によるものだ。神は永劫の処罰によって我々に対し神の正義を示すとともに、救済によって神の慈愛を示す。これがアウグスティヌスの教義の骨格をなす思想であった。





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