知の快楽 哲学の森に遊ぶ
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アッシジのフランチェスコ


カトリック教会内部に修道僧からなる修道会の組織を立ち上げるきっかけをつくったのは、4世紀の聖ヒエロニムスであった。以後修道会はカトリック教会にとって中核的な組織を形成するようになり、その中から多くの聖職者を輩出した。修道会はカトリック教会を、教義と実践の面で支えてきたともいえる。

最も大規模で伝統ある修道会は、6世紀に設立された聖ベネディクト会であるが、13世紀に入ると、アッシジのフランチェスコが清貧を旨として、信仰の刷新を図り、聖フランチェスコ修道会を設立する。この修道会は以後、聖ベネディクト会と並んで大きな勢力を誇り、ドゥンス・スコトゥスやオッカムのウィリアムといった神学者を輩出した。

アッシジのフランチェスコ (1181-1226) は、影響ある修道会の創始者として、キリスト教会の歴史の中では大きな比重を占めているが、彼自身の思想には、宗教上もまた哲学的にも、そう深いものがあるわけではなかった。ただその無私の愛と献身の姿勢とが、人びとに深い感動を与え、少なくとも宗教的な資質をもった人たちには限りないインスピレーションの泉となってきた。その意味で、哲学史上でも取り上げるに値する人物の一人なのである。

アッシジのフランチェスコはその名のとおり、イタリア・ウンブリア地方のアッシジに生まれた。裕福な家に生まれ、若い頃には放蕩もしたようであるが、或る時らい病者の傍らを馬に乗って通り過ぎようとして、急に哀れみの感情が全身に湧いてくるのを感じた。そこで彼は内心の命じるまま馬から下りて、そのらい病者に接吻したのであった。

これ以降、フランチェスコの献身の愛は多くの帰依者をひきつけることになり、彼らは一つの教団組織を形成するに至った。彼らは清貧を旨として、人々に愛を与える代わりに、人びとの施しによって生きた。自分らの家はもとより、何らの財産をも持つことがなかった。最初の頃はこうした彼らを、ローマ教会は胡散臭いもののように見ていたが、それは彼らがほかの修道会のように口先だけではなく、本当に清貧の生き方を実践していたからであった。しかし、ローマ法王インノケンティウス3世は、1209年頃、この教団に認可を与えた。

フランチェスコの思想には、哲学的に目新しいものはほとんどないといってよい。彼が表わした著作としては、死の直前に書かれた「太陽への讃歌」が有名であるが、それは、太陽、月、風、水、火、空気、大地を兄弟姉妹とし、それらをしていっせいに、神への讃歌をさせているというものである。

こうした考えは、カトリックの教義からすれば異端に陥る可能性もあった。だがフランチェスコは、生命に対する慈しみと愛の感情を以て、あらゆる批判を超越した。彼のイメージは小鳥に呼びかける姿で象徴されているが、そうした自然にたいする親近感は、彼を偉大な自然の詩人としても、印象付けている。

創始者のフランチェスコは生涯を清貧のうちに生きたが、彼が死ぬとその教団はすぐさまに腐敗堕落した。よくある話である。信徒たちはまず、教団の財産として家を持つようになったし、また権力に迎合して勢力を伸ばすことに努めるようにもなった。

13世紀以降、キリスト教会周辺では異端狩りが盛んになった。多くの人びとが異端者あるいは悪魔の手先として弾劾され、火あぶりにされたりした。フランチェスコ会の修道僧たちは神の忠実な僕と称して、この異端狩の最も熱心な遂行者になっていったのである。





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