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ウィルソンとF・D・ローズヴェルト:ホフスタッターのアメリカ政治史


ウッドロー・ウィルソンとF・D・ローズヴェルトは、アメリカの歴代大統領の中では、政治理念にこだわった珍しい部類の政治家ということになっている。二人とも民主党の大統領として、今日で言うリベラルの政治理念を掲げ、それを実行に移した政治家であったといえる。このリベラルという理念について、ホフスタッターは立ち入った分析をしていないが、それまでのアメリカの政治理念である自由放任主義に対立した概念だという漠然とした捉え方はしている。ウィルソンもローズヴェルトも、自由放任主義をマイナスに捉えたわけではないが、その行き過ぎは社会正義に反するという考え方は持っていた。ここで社会正義と言われるのは、自由放任主義者の固執するような、機会の平等ということではなく、機会の平等が形式的な理念にとどまらず実質的なものになるには、人々を同じ条件で競争に参加させるような舞台を、政府が作るべきだという考え方の上に成り立っていた。こうしたリベラルの立場は、21世紀の今日まで、すくなくともアメリカの政治においては、一定の影響力を持ち続けているが、ウィルソンはそうしたリベラルの考え方をアメリカの大統領として最初に提示した政治家であり、ローズヴェルトはそれを受け継いだうえ、更に発展させた、というふうにホフスタッターは捉えているようである。

歴史家の中には、政治家を批評する際に、彼がコミットした政治的な思想なり行動なりから特定のものを選び出し、彼がその実現に向かって一直線に努力したというふうに、かなり一面的な見方をするものがあるが、ホフスタッターはそうした見方をせずに、政治家を多面的に見るという姿勢を貫いている。そうした視点から見ると、ウィルソンもローズヴェルトも、理念の実現に向けて邁進した単純な政治家ではなく、さまざまな矛盾を抱えた複雑な人間だったということになる。こうした見方は、リンカーンをはじめとした、先人たちを見る眼にも貫かれていたわけだが、とりわけウィルソンを論じる際には、それが強く現れている。ホフスタッターによれば、ウィルソンは共和党の多くの大統領が抱いていた自由放任主義を基本的に前提しながら、そこに内在する矛盾をどのように解決してゆくかについて、プラグマティックに対応した政治家であり、そうしたプラグマティズムが機会主義に傾くのはある意味不可避であったというような見方をしている。

こんなわけであるから、ウィルソンやローズヴェルトを見るホフスタッターの視線はかなりシニカルである。少なくとも、彼らを手放しで賞賛するようなことはしない。とくにウィルソンについては、彼の政治理念が時代の進行とともにころころめまぐるしく変って行ったことに批判的である。それ以上に批判的なのは、ウィルソンの実際の行動が、自分自身の口で主張している政治理念から著しく乖離している場合だ。不幸なことにウィルソンの場合にはこの乖離があまりにも大きい。それ故ウィルソンは、言っていることとやっていることとが一致しない、という厳しい評価を下している。

ホフスタッターは、政治理念と政治的実践をめぐってのウィルソンの相矛盾する振る舞いを次のように批判する。「かれは、思想と行為のうえで中立性を訴えながら、党派的な古い外交を押し進めた。アメリカの参戦は悲惨だといいながら、国民を戦争に導いていった。また平等なものの間の平和のみが永続するといいながら、ヴェルサイユの強制命令に参加した。将来の世界の安全は戦争の経済的原因を除去することにかかっているとかれはいったが、平和会議でそれらの原因を論議しようとすらしなかった。政府所有の将来に対する信念を表明しながら、その政権は反動の嵐のなかで閉じられた。かれは合衆国の連盟加入を切望していたが、他方では加盟を不可能にするような動きをした」(泉昌一訳)

もっともホフスタッターはこう言いつつ、ウィルソンの政治理念に問題があったとか、そこからの実践の逸脱が無節操なご都合主義だったとか言っているわけではない。ホフスタッターはウィルソンの掲げた政治理念については、その歴史的な意義を十分に認めている。にもかかわらずウィルソンがそこから逸脱することで、自分の政治的な節操を裏切ったように見えるのは、それらの理念が高尚過ぎたという見方をしているようである。

そのウィルソンの政治理念を、ホフスタッターはニュー・フリーダムという言葉で表現している。これはおそらくウィルソン自身が使った言葉なのだろうが、ウィルソンの実績が色あせてゆくとともに、人々の記憶から消えていったらしい。このニュー・フリーダムを、ホフスタッターは次のように定義している。

「本質的にみてニュー・フリーダムは、農民と労働者の支持を受けたミドル・クラスの試みであり、社会共同体の搾取、富の集中、ますます甚だしくなるインサイダーによる政治支配、これらを阻止し、できる限りビジネスの自由競争的機会を回復しようとするものであった」。つまり、大企業による独占が社会に矛盾を生じさせているので、そのような矛盾を国家の介入によって解消し、昔ながらの、ミドル・クラスが生きやすい社会を取り戻そうとする動きだったというわけである。「なんとなくウィルソンは、国家は金権と大衆との中間にコースをとらねばならないと信じていた。政府は両極端を調整し、共通の利益を代弁する公平無私な代理機関でなければならない・・・政府のなすべきことは、特殊利益に対して一般利益を組織することである」

こうした考え方が、アメリカの従来の支配的な政治理念たる自由放任主義の対立物であることは明らかだろう。ウィルソンはその対立を意識し、それを調整する為の国家の役割を強調することで、アメリカの政治的な選択軸としてのリベラリズムに思想的な根拠を与えたとホフスタッターは捉えているわけである。

国家の役割について、ウィルソンのように、単に理念として強調するだけでなく、政策の柱として具体的に実施したのがF・D・ローズヴェルトだ、という位置づけになる。ローズヴェルトのニューディール政策は、まさに国家の力によって、崩壊した経済秩序を立て直し、引き裂かれた社会的連帯を取り戻す試みだった、とホフスタッターは積極的に評価するのである。

だがここでもホフスタッターは、ローズヴェルトを首尾一貫した気骨のある政治家というふうに、手放しで褒めるわけではない。ローズヴェルトの評価には二とおりのものがあると言いながら、ホフスタッターは次のように言う。「賢明で先見の明のある、慈悲深い父というイメージにとりつかれているローズヴェルト崇拝者は、かれを熱烈な社会改革者、時には偉大なプランナーとして描いてきた。一方、かれの諸政策が次々と現れてくる過程を冷静に検討し、それらの政策がしばしば行当たりばったりのやり方で実施されたのを知っている批判者たちは、かれがその業績の大部分とは実際には殆ど何の関係もないことを見出して、かれの成功は純然たる偶然によるものであり、盲ら鉄砲も数打ちゃ当たるといった正反対の結論に達している」

このように言いながらホフスタッターは、この両者の中間に自分は位置していると言いたいかのようである。すなわち、ローズヴェルトの政策には、あまり首尾一貫した印象は見られないが、しかしそうした政策のいずれもが、資本主義社会の矛盾についてのローズヴェルトなりの直感と、なんとかしなければならないという情熱に支えられていた、というふうに見るわけである。

資本主義の矛盾についてのローズヴェルトの見方を、ホフスタッターは次のように要約している。「冷たい言葉でいえば、アメリカ資本主義が成年に達し、個人主義・拡大・機会の偉大な時代は消滅したのである。『自然的』経済力を費消しつくしてしまった合衆国にとっては、新しい経済秩序の創造のために政府の介入と指導が必要になったのである。かくてローズヴェルトは、1929年のタマニー・ホール演説で述べた哲学からはるかに前進することになった」。タマニー・ホール演説で述べた哲学とは、基本的には自由放任主義を是とするものであった。ローズヴェルトはそこから一歩進んで、人々の自由を本当に守るためには、自由を放任するのではなく、政府による一定の介入と指導が必要だと認識するようになった、そうホフスタッターは捉えているわけである。





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