知の快楽 哲学の森に遊ぶ
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公的領域と私的領域:アーレントの政治思想


公的領域と私的領域をめぐるアーレントの議論は、人間の活動力をめぐる議論と同じく、ギリシャのポリスをモデルにした議論である。ギリシャにおいては、公的領域はポリスの領域として、私的領域は家族の領域として捉えられ、両者は截然と区別されていた。その上で、公的領域たるポリスの領域、それは政治の領域と言い換えてもよいが、それが優位を占め、私的領域たる家族の領域は、価値の劣るものとして認識された。

ギリシャにおけるポリスと家族との関係をこのように整理したうえで、アーレントは次のように言う。「家族という自然共同体は必要(必然)から生まれたものであり、その中で行われるすべての行動は、必然(必要)によって、支配される。これに反して、ポリスの領域は自由の領域であった」(「人間の条件」志水速雄訳、以下同じ)

つまりアーレントは、自由が必然よりも勝るという前提で、自由の領域たるポリスの、必然の領域たる家族に対する優位を導き出しているわけである。

ギリシャにおけるポリスと家族の対立に留目した議論は、アーレントが初めてではない。ヘーゲルも「精神現象学」のなかで、ギリシャ悲劇(ソフォクレスの「アンチゴネー」)を例にとって、ポリスと家族の対立についての議論を行っている。

ヘーゲルは、ポリスを公的でかつ男性的な原理に立つもの、家族を私的で女性的な原理に立つものと規定した上で、両者の対立について考察する。アンチゴネーは、ポリスによって反逆者の烙印を押された兄ポリュケイネスを埋葬しようとするが、それに対して反逆者の埋葬はまかりならぬと、伯父のクレオンから厳しく禁止される。たしかに、ポリスの原理から言えば、ポリュケイネスは反逆者であり、その埋葬は許されないことである。しかし、家族の原理に立てば、家族の一員の死に直面して、それを埋葬するのは自然な行為である。こうして、ポリスの原理と家族の原理が対立するさまを、ヘーゲルはダイナミックに展開して見せたのであるが、その結末は、ヘーゲルらしく、「弁証法的」な曖昧さのなかにうやむやにされてしまう。ヘーゲルは、この対立は見かけの対立であり、両者はより高い次元において統一されるはずだというのである。

アーレントは、ヘーゲルの議論を踏まえている形跡はないようだが、ヘーゲルとは違って、公的な領域と私的な領域とを、徹底的に対立させたままにしておく。これらは、対立が解消されたり、まして統一されたりすべき筋合いのものではないのだ。この両者はどこまでも対立しあうべきなのであり、へたな融合は人間にとってロクなことにはならない、そう考えるのである。

なぜ、そう考えるのか。公的な領域というのは、人間が相互に取り結んだルールに従って成立するものである。そこでは、言論が中心となる。人々は自立した理性的な存在として、政治的には平等で、かつ自由であることを保障されている。このような立場を保障されることによって、ポリスの存続も可能となり、そこでの私的な家族生活も成り立つ。だから、家族的な原理は、公的な領域を侵さない範囲で追及されるべきなのだ。公的な領域は、家族が成り立つための基盤、つまり家族にとって「世界」の限界をなすものといえる。そうアーレントは考えるのである。

家族と世界についてのこのような見方は、Privacy(私的領域) という言葉についての彼女のコメントによく現れている。彼女は、「完全に私的な生活を送るということは、なによりもまず、真に人間的な生活に不可欠な物が『奪われている』deprived ということを意味する」(同上)といっているように、私的領域とは、必要なものが欠けている(奪われている)状態だと考えるわけである。

これに対して、公的領域は、人間が人間らしく生きるための条件を具現している、といって、彼女は次のように言う。「第一にそれは、公に現れるものはすべて、万人によって見られ、聞かれ、可能な限り最も広く公示されるということを意味する・・・第二に『公的』という用語は、世界そのものを意味している・・・世界は、すべての介在者と同じように、人々を結びつけると同時に人々を分離させている」(同上)

つまり、公的領域とは世界そのものを意味し、私的領域たる家族は、その中で自分の住処を見つけるしかない。でなければ、その家族は世界からはじき出され、根無し草のような状態に陥ってしまう。そういうわけである。

このようにいいながらも、アーレントは、公的領域のなかに私的領域を解消してしまえ、といっているわけではない。そうではなく、公的領域と私的領域との区別をわきまえ、公的領域では、政治的な自由と平等を尊重する一方、私的な欲望はあくまでも私的領域のなかでのみ追求し、それを公的領域の中に持ち込んではいけない、といっているのである。

公的領域と私的領域の区別に関するアーレントの考え方がよく現れた例として、1950年代のアメリカ南部でおきたリトルロック事件への彼女の反応があげられる。これは、公立高校への黒人生徒の入学をめぐって起きたもので、白人と黒人との共学に反対した白人の親たちが、黒人生徒の登校を妨害したことに対し、州政府が介入して、黒人生徒を無理に登校させたというものだった。

その際にアーレントは、「教育における差別の撤廃を支持しないわけではないが、州民の大半が反対するような状況で政府が介入すべきではない」と発言して、差別と戦う人々から激しく非難された。それに対してアーレントは、政治的な場における差別は許されないが、社会的な(アーレントによれば「私的な」とほぼ同義)領域での差別はある程度許容されるべきだ、と反論したのだが、結局理解してくれる人は少なく、彼女は差別を容認する保守主義者としてのレッテルを貼られる結果になった。(矢野久美子「ハンナ・アーレント」による)

このアーレントの主張は、差別というものは、社会現象としては決してなくならないもので、それ自体は困ったことだが、しかしそれが私的領域に閉じ込められている限りは、問題は深刻化しない。厄介なのは、それが公的領域に持ち込まれるや、破壊的な効果をもたらすということだ、ということを言っているのだと思う。

それゆえ、差別を政治問題化するのは、好ましくないということを、彼女は言っているのだろうと思う。その限りで、彼女の政治思想を反映したものだったわけだが、それが周囲には理解されなかった。周囲の大方の反応は、アーレントが差別を潜在化させることで、問題の解決から目をそむけさせている、といったものだったのである。

公的領域と私的領域との区別への彼女のこだわりは、もっとスケールの大きいところでも見られる。彼女は現代社会を、私的領域が公的領域を侵食して、その結果私的領域が大規模化した社会的な領域とでもいうべきものが生まれ、それが全体を覆うようになった事態を厳しく批判している。社会的な領域というものが成立したおかげで、いわゆる大衆社会的な状況が出現し、それが全体主義へと向かう危険性を強めている。そうアーレントは考えるのである。

アーレントの議論はつねに、全体主義の危険性と、それがもたらす自由の抑圧、その結果としての人間性とその条件となる世界性の破壊、といったことに立ち返ってくるようだ。




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