知の快楽 哲学の森に遊ぶ
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福沢諭吉の思想


福沢諭吉の思想については、丸山真男が「"文明論の概略"を読む」の中で詳細に説明しているから、それを読むのが最も手っ取り早い理解の方法である。その本の中で丸山も言っているとおり、福沢の思想はそんなに複雑なものではない。一国が独立するためには個人が自立する必要があるというもので、その自立とは簡単に言えば、封建的な奴隷根性から脱して、西洋人並みに自由な人間になることだというものである。そこから有名な「脱亜入欧」という言葉が生まれてくるわけだが、これは別に自らを卑下した言い方ではなく、日本の文化の底にあるアジア的な奴隷根性を排して、ヨーロッパ並みの人権感覚を身に着ける必要があるということを、一言で言い現わしたのに過ぎない。

かようなわけであるから、福沢の思想は「一身独立して一国独立す」というメーンテーマをめぐって様々なサブテーマを奏でる変奏曲のようなものである。しかも福沢のその思想は、単に頭の中でこねくりあげた作り物ではなく、子供の頃から身に染みたものであって、物質的な実在感を伴ったものだった。福沢の一生は、封建的な奴隷根性との戦いの連続であったわけだが、福沢が戦った奴隷根性とは目に見える実在感を伴って日本人の行動を束縛していたのである。この束縛から解放されない限り、人間としての自立などありえないし、そうした自立した人間を持たない国は国家として独立することもできない。そういう国の国民は、西洋という外国によって別な形で奴隷化されるだけだ。そう福沢は考えたわけである。

しかし、その福沢にしても最初から自立した人間だったわけではない。福沢は自分を取り巻いている封建的な奴隷根性を心の底から憎んだが、自分でもそのあさましい奴隷根性の虜たることからのがれられないこともあった。特に、親藩に対する関係においてそうである。福沢はもともと欲に関して淡泊な男であったが、こと親藩が相手となると、貪欲ぶりを発揮した。とれるものなら何でもとってやろう。利用できるものなら何でも利用してやろうというわけで、チャンスがあればそれを捕まえ、親藩のものを貪欲に奪おうとした、と自分自身いっている。そのあさましいことは、我ながら驚くほどだったというのである。

これは、相手が封建的奴隷根性の化け物のようなものだったからこそで、そうした奴隷根性を持った相手が亡びてなくなると、貪欲になる意味が失われて、おのずと淡泊な本性に立ち戻ることになる。実際、明治維新になって封建門閥の基礎が揺らぐや、福沢は、幕府の俸禄は無論親藩から貰っていた秩禄まで返上してしまったのである。それまで、親藩に対して貪欲であり続けてきた自分にして、どういう心境の変化かと、これもまた素直に驚いてみせるところが、福沢の面白いところである。

一身の独立ということに戻ると、福沢はその秘訣を次のようにいっている。

「全国男女の気品を次第次第に高尚に導いて真実文明の名に恥ずかしくないようにすることと、仏法にても耶蘇教にても孰れにしてもよろしい、これを引き立てて多数の民心を和らげるようにすること、大いに金を投じて有形無形、高尚なる学理を研究させるようにすること、およそこの三か条です」(福翁自伝)

実に簡単明瞭な言い方である。文明的になるとは西洋人並みになることを意味し、宗教の効用は民心を和らげることにあり、学理の研究は国家興隆の礎をなす、と喝破しているわけである。これはいかにも福沢らしい考え方だ。ものごとを価値ではなく効用によって評価しようという、功利主義的な考え方がにじみ出ている。




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