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パレート均衡とロールズの格差原理


ジョン・ロールズの「格差原理」は、分配における正義を巡る議論であるが、同じような議論を展開したものとして、パレートの理論がある。「パレート最適」あるいは「パレート均衡」と呼ばれ、厚生経済学の重要概念の一つとされているものである。

パレート均衡とは、ある経済単位における資源の配分について、ある経済主体の不利益を伴わなければ、他の経済主体の利益を増大させられない状態と定義される。言い換えれば、誰もが不利益を蒙らずに、誰かの利益が期待できる状態は、パレート最適ではないということになる。このような状態は、資源がまだ完全に利用尽くされていない状態を意味する。資源が完全に利用されているような場合には、その再配分は必然的に、誰かの不利益を伴わずには他の誰かの利益を増大させることはできないからである。

これは一見、ロールズの格差原理と似ているように見える。ロールズの格差原理とは、「諸々の不平等は、それらがすべての人の利益となるであろうと期待」できる限りで合理的である、とするものであった。これを言い換えれば、ある経済主体の利益の増大は、それによって他の経済主体、とりわけ弱者の利益にもなる限りにおいて許容されるというものだ。これは、ある経済主体の利益の増大が、他の経済主体の不利益となる限り、合理的ではないと言っているのであるが、その意味では、パレート均衡と似た考えのように見える。パレート均衡においても、ある経済主体の利益の増大が他の経済主体の不利益を伴う場合には、それは合理的ではないとしているからだ。

しかしロールズは、両者が似ているのは外見だけで、その内実は違うと言う。パレート均衡の議論は、現在の資源配分状態(静的状態)を一応既定の前提として、それに対して新たな資源配分が加わるような状態(動的状態)を視野に入れた議論であり、そもそも現在の資源配分状態が、本当に正義にかなった状態なのかどうかについての議論ではない。

これに対してロールズの議論は、現在の資源配分状態が正義にかなっているか、ということまで視野に入れている、と言いたいようだ。ロールズの格差原理は、資源の再配分において弱者の新たな不利益を考慮するのみならず、現在の資源配分状態が、経済主体全員によって満足できるものとして受け入れられているかまで問題とする。したがってそこには、変革の議論が含まれてくる。これに対してパレートの議論は、現在の資源配分状態を、価値観とは無関係に、既定の事実として前提している点で、保守的な議論である、ということになる。

その(保守的議論であることの)一例として、ロールズは、パレート均衡では、既定の制度としての農奴制を擁護することになる、と指摘する。農奴制を改革しようとする議論は必然的に農奴所有者の利益を損なうことになるが、それはパレート最適の条件とは違背する、したがって、農奴制の維持がパレート最適にかなうということになる。そういってロールズは、パレートの議論の保守性を批判する。そして、パレートがそのようになった原因は、彼が正義について鈍感だったからだと言いたいようなのである。

しかし、ロールズが、制度の変革に熱心かと言えば、そうでもないように見える。彼は、人間の不平等に、一定の許容基準を設けたが、不平等そのものは、自然の傾向として認めた。認めたうえで、その不平等が極端に陥り、その結果人間同士の連帯が損なわれないようにと、一定の許容基準を示すわけだが、その許容基準によって、いまある不平等を緩和しようという議論まではしていない。現在の状態には、多少の不満はあるかも知れないが、それが大規模な政治的騒乱になっていないことを見ると、そこには一定の合理性があるのだろう。だから、その現状を尊重したうえで、今後の問題として格差が増大しないようにやって行こうではないか。どうもそんなようなスタンスに立っているように見える。




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