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丸山真男「歴史意識の古層」:つぎつぎとなりゆくいきほひ


日本人の発想の根底には、人間の意思よりも物事のなりゆき、筋道や道理よりもその場の勢いを重んじる傾向がある、そう丸山は考えていたようだ。言ってみれば、主体性が乏しいということだ。その主体性の乏しさが政治の場で作用すると、政治的な無責任がはびこるようになる。丸山が日本ファシズムと名づけた戦時中の全体主義的な体制は、そうした無責任が生み出したものなのだ。そしてこの無責任さをもたらした根本的な要因こそ、なりゆきやいきほひを尊重する日本人の思考の枠組みなのだ。その思考の枠組みを丸山は歴史意識の古層と名づけ、これが記紀の時代から今日までの、日本人の思考を制約してきた、そう考えるのである。

このように整理すれば、「歴史意識の古層」という論文は、日本人の思想の根源にあるものを抉り出したものだといえる。丸山がそれを「歴史意識の古層」と名づけたのは、二重の意味合いにおいてである。ひとつには、記紀神話に見られる日本人の歴史認識が、その後の日本人の発想を規定し続けてきたということである。つまり、日本人の発想には常に、太古との歴史的連続性というものへの配慮が働いているということである。

二つ目は、記紀神話における歴史認識そのものの特殊性である。周知のように記紀神話は、天地開闢→国生み→天孫降臨→人皇という時間の流れの中で、系譜的な連続性と言うものを強調している。これは、宇宙創世神話がそのまま現実の歴史に連続していることを強調するものであるが、このように民族の神話が歴史的な構成の中に組み込まれているのは、国際的にもきわめて特異な例であるとして、丸山はそこに日本人の特殊な歴史意識のあり方をみるわけである。そしてそのあり方が今日の日本人でさえも束縛していることに注目して、これを歴史意識の古層と名づけるわけである。

この歴史意識の古層というアイデアを丸山は、本居宣長を通じて獲得したといっている。丸山は古事記伝から次のような宣長の言葉、「古へより今に至るまで、世の中の善悪き、移りもて来しさまなどを験むるに、みな神代の趣に違へることなし、今ゆくさき万代までも、思ひはかりつべし」(三之巻)、「凡て世間のありさま、代々時々に、吉善事凶悪事つぎつぎに移りもてゆく理は(中略)悉に此の神代の始の趣に依るものなり」(七之巻)を引いて、「一般に、歴史的出来事についての日本人の思考と記述の様式について探るならば、やはりその基底的枠組みは"悉に此の神代の始の趣に依るものなり"といえるのではないか、~これがこの小稿の仮説である」というのである。

こうして丸山は、この歴史意識の古層を構成する基底範疇をいくつかあげて、その実質を検討していく。丸山がここであげるのは、「なる」、「つぎ」、「いきほひ」の三つである。

「なる」は「うむ」、「つくる」との対比で論じられる。この三つは、世界の諸神話にあって宇宙創世の由来を説明する原理として用いられている。ユダヤ・キリスト教的な世界にあっては、宇宙は創造者が無からつくったものである。これに対して、日本神話においては、たとえばイザナギとイザナミが性交することによっておのころ島を産んだ例のように、「うむ」という原理がないわけではないが、基本的には「なる」の原理が支配していると丸山は言う。「なる」とは「つくる」ものや「うむ」ものの存在を介在させず、自然がそれこそ「おのずからそのようになった」ということを表している。古代の日本人にとって、この世の中は誰がつくったのでもなく、あるいはうんだのでもなく、自然とそのようになったものだったというわけである。

この「なる」のイメージは、自然の持つ成長・増殖のエネルギーをあらわしたものだろうと丸山はいう。そしてこの「なる」は、「なりゆく」と言う形で連続的な運動のイメージを付与せられ、そこから歴史意識をも規定していくようになるという。この「なりゆく」との関連において「つぎ」という原理が登場する。「つぎ」は「つぎつぎ」というように、歴史のリニアな進行を表す原理になる。歴史とは、ものごとが「つぎつぎになりゆく」連続的な過程なのであり、また血統の連続的な増殖過程なのだというわけである。

「いきほひ」は、「なる」のもつ成長・増殖の過程に結びつくが、本来は「みたまのふゆ」つまり「いき=たましい」の「ひ=霊力」を意味することからわかるように、それは自然の成長・増殖・活動を魂の活動としてとらえる、古代日本人のアニミズム的な観念が盛り込まれているのだと、考えることもできる。

この三つの原理が相互に密接に関連しあっていることはいうまでもない。それを一言でまとめれば「つぎつぎになりゆくいきほひ」ということになろう。日本人にとって、世の中の歴史とは、「つぎつぎになりゆくいきほひ」のリニアな現れに過ぎなかった。

このリニアな歴史観はオプティミスティックなものだと丸山はいう。それは歴史を生成増殖のリニアな継起、終わりのないプロセスととらえる。此のプロセルはどこまでも限りなく続く無限の適応過程である。したがってそこには究極の目的だとか、歴史のそもそもの始まりだとか、歴史を限定づけるような発想が浮かぶ余地がないということになる。

ここから丸山は、この歴史像の中核をなすのは、過去でも未来でもなく「いま」だという。過去には始まりがないのであるから、それは、そこから「いま」が生成してきたものとしてとらえられる。また、未来とは「いま」がつぎつぎとなりゆくことで生成されるであろうものとしてとらえられる。

こうした歴史観にあっては、「未来のユートピアが歴史に目標と意味を与えるのでもなければ、はるかな過去が歴史の規範となるわけでもない」、ただただいまを、物事の「いきほひ」に任せて生きること、それが問題だということになる。

ことほどさように丸山の日本人論は、読む者の気を滅入らせるほど否定的な体のものだ、といいたくなるところだ。丸山の言い分に一理あるとすれば、日本人には真の保守主義も、また理想主義も期待できないことになる。過去を尊重しないでは、保守主義などありえようはずがなく、またユートピアを考え出す想像力に欠けていては、理想は語れないからだ。


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