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ガリレオ・ガリレイ:近代科学の創始者


ガリレオ・ガリレイ Galileo Galilei (1564-1642) は、近代科学の偉大な創始者として、科学史上特別の敬意を払われている。その業績は主に、天文学の分野と力学の分野において著しい。そのなかには今日から見て明らかな誤りも含まれているが、ガリレオが科学者として偉大な所以は、その達成した成果以上に、科学に臨む彼の態度にあった。

ガリレオは彗星をめぐってスコラ学者と論争した論文「試金石の天秤」Il Saggiatore (1623) の中で、科学の方法について次のように述べている。

「哲学は、われわれの眼にたえず示されているこの宇宙という大きな書物の中に書かれている。しかし、この書物は、その言語を理解しその文字を読むことをまず学ばなければ理解できない。それは数学の言語で書かれており、その文字は三角形、円、その他の幾何学的図形であって、これを知らずには一語も理解できないのである。」(野田又夫訳)

このように自然の観察にもとづいて法則を立て、それを数学を用いてあらわすという手法は、今日では当たり前のものになっているが、ガリレオ以前には考えられなかったことなのである。

ガリレオのおもな業績は、彼自身が晩年に執筆した「天文学対話」(1632)と「新科学対話」(1638)にまとめられており、いづれも日本語に翻訳されて岩波文庫に収録されているから、簡単に読むことができる。そこでガリレオが留意していることは、読者に向かって自分と同じような実験を勧めていることである。自分の手で実験し、その結果を自分の目で確かめることによって、人間は真理を自分のものにすることが出来る。その知ることの喜びを読者とともにしたい、これがガリレオの望みであった。

ガリレオはまず天文学の分野で著しい成果を上げた。彼はコペルニクスの地動説を改めて取り上げ、その信憑性を確信するようになった。当時コペルニクスの地動説にとって最も難題となっていたのは、もし地球が回転しているとしたら、高い塔から落された物体はまっすぐ下に落ちるのではなく、すこしそれて落ちるはずだという反論であった。

これに対してガリレオは次のように説明した。地球は自転しているが、その上に載っている塔もまた地球と回転運動を共有している。同じ運動を共有している物体相互の間には、一方の運動は運動として現れない。だからものを塔の上から落しても、弾丸を東西に発射しても、地球の自転の影響は現れない。これを全くの外部空間から見れば、あるいはまっすぐに見える運動も曲線のように見えるかもしれないが、同じ空間の中で見る限りは、まっすぐに見えるのであると。これはある意味でアインシュタインの相対性理論を予想させるような見方である。

ガリレオにとって重要だった出来事は、1609年にオランダで発明された望遠鏡のことを聞き及んだことだ。彼は自分で望遠鏡を作り、それで天体を観測し、そのなかから重要な発見をするようになった。月が完全な球体ではなくでこぼこだらけであること、木星には地球にとっての月と同じような惑星が4つあること、銀河が無数の星からなる巨大な天体であることなどを発見したのは、この望遠鏡のおかげである。

一方ガリレオは天文学の分野でケプラーの果たした業績については、ほとんど理解していなかったようである。ケプラーとは地動説をめぐって手紙のやり取りをしていたほどの間柄ではあったが、その説を全く知らなかったらしい。彼は天体の運動についてはコペルニクスの説を繰り返すのみで、天体が楕円運動をしていることなど、あずかり知らなかったようなのである。

ガリレオの業績の中で真に革新的なものは、力学の分野である。

彼はまず慣性の法則を発見した。アリストテレス以来の自然学においては、物体というものは、なにか特別の力が加わらない限り、静止する本性を持っているとされていた。物が動いているときにはかならず何かの力が加わっているからであり、その力が衰えてやがてゼロになると静止するという考えである。これは一見我々の日常の観察にも合致しているようにも見えた。

しかしガリレオは、物体は何か特別の力が加わらない限り、永久に同じ運動を持続すると主張した。今日言う慣性の法則である。

この特別の力のひとつとして、物体の落下運動における重力が挙げられる。ガリレオ以前には重いものは軽いものに比べて落下の速度が速いと考えられていた。これに対してガリレオは、空気抵抗のような特別の事情がない限り、重いものも軽いものも一様の速さで落下するのだと主張した。そこに加速度が働いていることも、ガリレオによって始めて実証された。

ガリレオは慣性の法則と、加速度の理論にもとづいて、物体の運動に関する一般理論を構築した。有名な力の平行四辺形の理論である。これは近代物理学の基礎となる考え方である。やがてガリレオのこの考えを元に、ニュートンという天才が壮大な力学の体系を築いていく。

ところでガリレオは、自分の信条のために二度にわたり異端裁判にかけられた。一度目は1616年で、この時ガリレオは地動説を吹聴しないことを条件に許された。ただこの裁判がきっかけになって、コペルニクスの著作「天体の回転について」が禁書に指定されている。

二度目は1633年で、この時はさすがのガリレオも無期懲役の刑に付された。1616年の誓約にかかわらず、性懲りもなく地動説を吹聴しているというのがその判決理由であった。

もっとも実質的には自宅軟禁に近い扱いですんだようだ。だがガリレオにとっては十分にショックだったらしい。何しろジョルダーノ・ブルーノが異端のかどで焼き殺されたのは、そう遠い過去のことではなかったのである。

「それでも地球は回っている」という有名な言葉は、この裁判の中で漏らした言葉だとされている。





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