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ボルヘスのカフカ論


ボルヘスの「カフカの先駆者たち」は、文庫本にしてわずか五ページの小文であるが、カフカという作家の意義をよく捉えた名文になっている。さすがに文章の達人ボルヘスだ。

この小文をボルヘスは次のように書き出す。「かつてわたしは、カフカの先駆者たちを調べてみようと思い立ったことがある。彼のことを初めのうちは、美辞を連ねて賞賛されるあの不死鳥のように、類例を見ない独自の存在だと思っていたが、彼と少しばかりつきあっているうちに、様ざまな文学、様ざまな時代のテクストのなかに、彼の声、彼の癖を認めるような気がしたからである」(中村健二訳、以下同じ)。

言っていることは単純なことだ。カフカにも先駆者がいたということだ。カフカといえども類例を見ない独特の存在ではない。文学史の中で先駆者を持っており、そうした先駆者のいたおかげでカフカの文学も成り立ちえた。だから、そうした先駆者たちを調べることによって、カフカの文学について、もっと深く理解できるようになるのではないか、そうボルヘスは思ったらしいのである。

様ざまな文学、様ざまな時代のテクストを調べた結果、ボルヘスがカフカに似ているものとして選び出したのは、次の五つのテクストだった。

第一は、運動を否定するゼノアの逆説である。これは飛んでいる矢は永遠に的に到達できないとか、アキレスは決して亀を追い越せないとかいう有名な逆説だが、この命題の形式がまさしく「城」のそれと同じだとボルヘスは言う。城の登場人物たちは、ゼノアの矢とアキレスに似ていると言うのだ。

第二は、唐の作家韓愈が書いた寓意譚だ。我々は麒麟が超自然的存在であり、吉兆の動物であることを知っている。下々の女子どもでさえ知っている。だがそれは、「家畜のなかに見当たらないし、たやすく見つかるものではないし、また分類に適さない。すなわちそれは馬や牛に似ていないし、狼や鹿にも似ていない。それゆえ麒麟を目のあたりに見ていながら、それが麒麟であることに確信がもてないようなことも起こるだろう。我々は鬣のある動物なら馬であり、角の生えている動物なら牛であることを知っている。しかし、我々はどんな動物が麒麟であるかを知らない」。こう言うことでボルヘスが何を言いたいのか、はっきりしないようにも思えるが、ボルヘスはこれを類縁性をめぐることがらであり、類縁性とは形式と言うより語りの口調であると言っている。

第三は、キルケゴールのテクストである。カフカとキルケゴールの間に知的親近性があることは誰でも知っていることだが、「カフカと同じように、キルケゴールにも、同時代の中産階級的主題に基づく宗教的寓話がたくさんある」。そうした寓話の一つとしてボルヘスは、デンマークの牧師たちが、北極へ探検旅行することは魂の救済にとって有益だろうと告げながら、それがたぶん不可能であることを認めた、というキルケゴールの話を紹介している。

第四は、ブラウニングの物語詩「恐怖と疑念」である。「ある男が有名人の友だちを持っている、あるいは持っていると思っている。彼はこの友人に一度も会ったことがないし、今まで助けてもらったこともない。しかし、友人は高潔な人格の持ち主だという評判だし、彼の書いた本物の手紙も出回っている。彼の立派な人柄に疑問を呈するものがあり、筆跡鑑定家たちは手紙を贋物だと言う。最後の行で男が問う~~『もしもこの友が神だとしたら?』」

第五は、二つの短編物語である。一つはレオン・ブロワの「不快な物語」にあるもので、「地球儀・地図帳・列車時刻表・トランクなどたくさん用意していながら、生まれた町をついに離れることなく生涯を終える人々を描いている」。もう一つは「カルカソンヌ」と題されたダンセーニ卿の物語である。それは、「無数の戦士たちからなる軍団が巨大な城砦を出発し、数々の王国を平らげ、多くの怪物を見、幾つもの砂漠と山岳を征服するが、ついにカルカソンヌに達することができない。一度この町を遠望したことがあったにもかかわらず」という話である。ボルヘスは更にこう付け加えている。この二つの物語は、「正反対である。第一の物語では人々は町から離れないが、第二の物語では町に到達しない」と。

この五つのテクストについてボルヘスは、どれもカフカの作品に似ているが、テクスト同士は互いに似ていないと言っている。そしてこの事実は極めて重要だと言う。「カフカの特徴はこれらすべての著作に歴然と現われているが、カフカが作品を書いていなかったら、我々はその事実に気付かないだろう。すなわち、この事実は存在しないことになる」。それが我々にとって存在する事実になったのは、カフカがそれらを自分にとっての先駆者として位置づけ、そのことによってそれらを結びつけたからである。「ありようを言えば、おのおのの作家は自らの先駆者を創り出すのである。彼の作品は、未来を修正すると同じく、我々の過去の観念をも修正するのだ」。

このように言ってボルヘスは、カフカにも文学上の先駆者がいたのであって、そうしたものの伝統を踏まえて自分の文学を創り出す一方、それらの先駆者たちに新しい光を当てたと主著しているわけだが、カフカが実際にそれら先駆者達の作品を読み、それから養分をとっていたのかどうか、その辺は明らかにしない。この文章を読む限り、ボルヘスは過去の文学作品の中から、カフカに似ていると自分で感じたものを取り出してきて、それを都合よくカフカと結びつけた、そう思われないでもない。だが、そう思われるにしても、ボルヘスがあげたテクストがカフカのテクストと非常に似ていることは間違いない。

これらボルヘスがカフカの先駆者というものの作品を、カフカの文学理解の鍵として用い、議論を深めようと思うなら、これら先駆的作品を別々に孤立させて取り上げるのではなく、同じ平面で比較研究した上で、これらに共通するものを探り当てる必要があるだろう。そうした上で、その共通するものを、カフカの作品の基本的な特徴と思われる要素と関連付ける、という作業が必要になろう。もっとも、それではボルヘスの目論見から逸脱することになるかもしれない。ボルヘスはそこまで予定していたわけではないようだ。彼が目論んでいたのは、カフカにも先駆者がいたという事実を確認することで、カフカを孤立した特異な現象としてではなく、文学の伝統の中に基盤を持った作家だったと主張することだったのではないか。そしてその目論見は、この短い文章の中で、かなりな程度達成されていると言えそうである。




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