知の快楽 哲学の森に遊ぶ
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ルソーとフランス啓蒙主義


ヴォルテール、ディドロー、ダランベールといった18世紀フランスの啓蒙思想家たちとルソーとの関係は非常に微妙である。ルソーは若い頃には彼らと親しく付き合い、ディドローらの「百科全書」には音楽や経済に関する記事を寄稿したことでもわかるように、運動としての啓蒙思想に参加していた。第一論文の「学問・芸術論」はディドローのアドバイスを受けて書かれたという見立てもある。

また18世紀末の大革命に対して、フランスの啓蒙思想家たちは理論的な根拠を用意したという点で大きな影響を与えたが、ルソーの思想も、ロベスピエールらを通じて、革命を動かす時代精神に大きな影響を与えた。

だが、ルソーとヴォルテールやディドローとでは、何かが決定的に異なっていた。その相違が彼らを離反させる原因となった。それは一言でいえば、自然と文明、人間と社会の関係をどう見るかという、歴史認識の根幹にかかわる問題を巡る姿勢の違いであった。

ヴォルテールもディドローも、人間の理性に信頼を置いていた。その理性とは、人間が本来持っている能力だと捉える点では彼らとルソーとは異なってはいないといえたが、ヴォルテールらが、人間は理性を働かせて文明を作り、その文明が進むにつれて社会も進歩していくものだし、また進歩させるのが我々の役目であると考えていたのに対し、ルソーはそうは考えなかった。ルソーが「学問・芸術論」で展開したのは、人間は文明によって堕落したのだという主張であり、人間が人間本来のあり方を取り戻すには、文明を捨てなければならない、と強調したことなのである。

文明こそが人間性を進化させる原動力だと考えていた啓蒙思想家、なかでもヴォルテールは、そんなルソーが我慢ならなくなった。ルソーが第二論文「人間不平等起源論」をヴォルテールに贈ったとき、ヴォルテールは感謝の手紙の中で次のように書いたのである。

「人類に反抗する貴下の新著作を受け取り御礼申し上げます。われわれすべてをバカ者にしてしまおうという企画に、これほど巧妙な議論が用いられたことはかつてなかったことです。貴著を読めば、四つ足で歩きたくなるわけです。しかしわたしは、四つ足で歩くような習慣を60年以上も失ってきましたので、不幸にもその習慣を取り戻すことが不可能であると感じています」(市井三郎訳、ラッセル「西洋哲学史」から)

これ以降、ルソーとヴォルテールの中は険悪になった。ヴォルテールは啓蒙思想家であると同時に劇作家でもあったが、ルソーは、演劇は悪魔の楽しみだと罵り、ヴォルテールがジュネーブ市に演劇を持ち込もうとする試みを邪魔したほどである。ジュネーブの市民はカルヴィニストだったので、もともと演劇に対しては偏見を持っていた。だから彼らには、演劇は悪魔の楽しみだとするルソーの主張が受けいれやすかったのである。

信仰への態度に関しても、彼らの間には大きな相違があった。ディローは無神論を主張し、ヴォルテールは理神論を主張していた。彼らはそうすることで、フランスを堕落させているカトリック教会とそれが進める信仰のあり方に疑問を呈していたのである。

これに対して、ルソーは独特の宗教観を展開した。それは一種の自然宗教というべきものだった。人間には本来、宗教心が備わっているというものであり、「学問・芸術論」や「人間不平等論」で展開した、人間の自然的状態の宗教における顕現ともいえるものだった。

ルソーの宗教観は、神の存在、霊魂の不滅、永世への期待といったものからなっていたが、三位一体や奇跡・予言の否定、他の宗教への寛容、自然の善性を主張するなどの点で、正統的な信仰とは大きく異なったものだった。ルソー自身は、自分はキリスト教を信じているといいながら、一種の普遍的な宗教を目指したわけである。

こうした態度は、カトリックからもプロテスタントからも、欺瞞的だとして排斥された。ルソーは既存の宗教からも、既存の宗教を批判する者たちからも、一様に排斥され、孤立することになったのだ。

こうした事情を脇へ置けば、ルソーが大革命に与えた影響は、どんな啓蒙主義者たちよりも勝っていた。それがルソーを、啓蒙主義思想家のなかでも飛び切りの存在に祭り上げる原因ともなった。世の中を動かすに最も力があったわけだから、少しくらい変っていても、やはり歴史の最大の推進者として認めようではないかということだろう。

社会変革についてのルソーの主張は、「社会契約論」の中で展開されている。そこでの権力の正統性にかかわる議論が、現実のフランスの政体を転覆させるという方向に作用したわけだ。

ルソーはまた、現行の絶対王政が革命によって転覆され、従来の秩序が逆さまになることを、「エミール」の中で予言した。

「あなた方は、現在の社会秩序を信頼して、この秩序が避けることのできない変動に脅かされていること・・・を考えない・・・身分の高い者は卑賤の身に落ち、金持は貧乏人となり、君主は家来となる・・・我々は危機の時代と革命の時代に近づいているのだ」(戸辺松美訳)

これはマルクスの先駆者として相応しい言葉だ。啓蒙思想は人民の愚昧に対して光をあてる動きだが、人民を愚昧から解放すること、それが革命だ、そのようにマルクスは理解していたし、ルソーもまたそのように理解していたわけである。





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