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ハンナ・アーレントとユダヤ主義の精神 落日贅言


ハンナ・アーレントの著作「全体主義の起源」三部作については、小生は若い頃ペンギンブックスの合本版を買い求めたところだ。そのうち第一巻の「反ユダヤ主義 Antisemitism」は、購入後すぐに読んだが、残りの部分は棚ざらしのままにしておいた。その残りの部分のうち、第三巻の「全体主義 Totalitarianism」を今回読んだ。第二巻の「帝国主義Imperialism」についてはいまさらという気持ちがあったのに対して、全体主義については、まだ時事的な問題意識にのぼるという判断があったからだ。何が時事的なのかというと、いまイスラエル国家が世界に突き付けている問題が、アーレントがこの書物の中で展開している全体主義批判に相通じるものがあるからだ。アーレント自身は、ナチスとボリシェビキを批判するつもりであり、当時できたばかりのイスラエル国家を批判する意図はまったくもたなかったのだが、彼女の死後、イスラエル国家はますます好戦的・反人道的な姿勢を強めており、その姿勢が、小生にはナチスに通じるものを感じさせるのである。そんなわけで、アーレントがもし生きていたら、いまのイスラエル国家をどのように考えるか、ということが小生の関心を搔き立てた次第である。

「全体主義の起源」三部作は、非常に大きな影響力を発揮した。大戦後、反ユダヤ主義とか全体主義という言葉が非常に流行したが、それはこの書物のおかげであったといってよい。反ユダヤ主義という言葉は、いまでも欧米諸国で強烈なインパクトをもって受け取られている。反ユダヤ主義的とみなされる言動は、民主主義への驚異であるとして、厳しく断罪されている。当事者のユダヤ人コミュニティは、この言葉を自分たちの自衛権の根拠の一つとして利用してもいる。今般、イスラエルのガザに対するジェノサイドをめぐって、アイヴィーリーグなど有力大学の学長らが、反ユダヤ主義に対して毅然たる対応をしなかったという理由で、激しく攻撃された。反ユダヤ主義という言葉は、いまでも非常に政治的な意味合いを帯びているのである。一方、全体主義という言葉は、民主主義のアンチテーゼとして、専制主義と同じような意味合いで使われている。アーレント自身は、全体主義と専制主義を区別していたが、いまの欧米社会では、ほぼ同義的に用いられている。

アーレント以前にも全体主義という言葉はあったのかもしれないが、この言葉が政治学の用語として定着するのは、彼女のおかげではないか。彼女はこの言葉を、ナチスとボリシェビキの運動を説明するためのキーワードとして用いた。ナチスとボリシェビキへの批判的な意識がまずあって、その意識を整然と説明するために、全体主義という言葉を用いたということだ。ナチスとボリシェビキを同じようなものとして説明するのが彼女の目的であって、その目的を整然と説明するものとして全体主義という言葉を利用した。だから、イタリアのファシズムや日本の超国家主義は論外にされている。だいたい彼女は、全体主義という概念を厳密に定義しているわけではない。ナチスとボリシェビキの運動が全体主義だといっているだけである。なぜ、ナチスとボリシェビキなのか。

ナチスがユダヤ人に対して行ったことを踏まえれば、ユダヤ人であるアーレントがナチスに強烈な嫌悪を覚えるのは当然のことであろう。ナチスは、ユダヤ人だけを殲滅の対象にしたわけではない。政治的な対抗者やさまざまな心身の障害を抱えた人々も殲滅の対象にした。また、ユダヤ人を殲滅したあとには、ポーランド人を殲滅の対象にするつもりでいた、とアーレントは指摘している。その殲滅政策は非常にシステマチックなもので、かつドイツ国民の支持を得ていた。そうしたシステムは、生半可な運動では確立されない。国家全体を改造しなければできることではない。その改造は国家・社会を根こそぎ変えるものであり、全体を権力者の意図にかなうように変えるものである。そうした全体に及ぶ運動だという意味で、アーレントは全体主義という言葉を使っている。そうした意味での全体主義という言葉を、ボリシェビキにもあてはめている。ナチスにとってのユダヤ人に相当するものは、トロツキストであり、政治的な対抗者たちである。そうした対抗者を根こそぎ殲滅することがボリシェビキの目的であり、その点で、ナチスに似ているというのである。

アーレントがボリシェビキをナチスと一緒くたにして全体主義だと決めつけたことには、どうも二つの理由がありそうである。一つは彼女自身の反共的な思想傾向に根差すものである。彼女は、コミュニズムを毛嫌いしていた。コミュニズムは人間の自由を抑圧するものだという信念が彼女にはあって、その信念が彼女を反共的にしていたのである。彼女にとってボリシェビキは、出来損ないとはいえコミュニズムを目指す運動であるから、やはり憎しみの対象となったのであろう。これは彼女の個人的な資質にかかわることで、ユダヤ人としての民族的な傾向を彼女が体現していたというわけではない。ユダヤ人の中にも、アイザック・ドイッチャーやローザ・ルクセンブルグをはじめコミュニストたちはいた。コミュニズムの始祖格のマルクスもユダヤ人である。だが、ユダヤ人の多くは、とくに経済的に成功したユダヤ人の多くはコミュニズムを敵視する傾向はあったようである。アーレントもその一人なのであろう。

もうひとつの理由は、歴史的・社会的な事情によるものである。アーレントがこの書物を執筆したのは、戦後間もなくの時期であり、その時期のアメリカでは反共の機運が高まっていた。その機運はやがてマーカーシズムといった形ですさまじい赤狩りに発展していくのだが、そうした風潮の中でこの書物が書かれたということは、この書物がアメリカの反共運動のプロパガンダ役をつとめる意義を持たされたということを意味する。というか、アメリカの反共機運に乗じた形でアーレントがこの書物を書いたといえなくもない。その時期に反共プロパガンダの役割を果たせれば、大いに拍手喝采され、また書物の評判も高まるというものだ。アーレントが、ボリシェビキをナチス並みの全体主義運動として描き出し、それによってアメリカ人の反共意識にこたえたということは、歴史的な事実として指摘できるのではないか。

アーレントは全体主義を、人倫に反したグロテスクな運動として描き出している。ナチスがやったことを具体的にとりあげながら、その反人倫的・暴力的な性格を指弾している。ナチスがやったことは、あまりにも常軌を逸しているので、アーレントのそうした指弾に反論できるものはおるまい。その反人倫的な行動をアーレントはボリシェビキについても指摘するのだが、ボリシェビキは、それ独自の性格をもった運動としてよりは、ナチスのコピーのようなものとして取り扱われている。この書物の目的は、ナチスがおこなった反人倫的な行為の分析と、なぜそのようなことが可能だったのかという疑問に答えることである。

アーレントはまず、全体主義が形成されるための、歴史的・社会的条件の分析から始める。彼女は、階級社会から大衆社会への変化が全体主義発生の条件だと考える。大衆社会においては、個人は社会的なよりどころを失い、なにものをも信頼することができなくなり、非常に孤独な存在になる。そうした大衆は、全体主義運動の格好の標的となる。つまり全体主義は、大衆社会に咲いたあだ花だというわけである。大衆社会は、彼女によれば階級社会の崩壊のあとにやってくるものである。ところでマルクスも階級の消滅を目指していた。階級が消滅すれば、大衆しか残らないわけだから、アーレントの考えに従えば、マルクスもまた全体主義の登場を阻止できないはずだということになる。マルクスのいう共産主義社会とは、アーレントにとっては、全体主義社会に見えるのである。アーレントの反共意識は非常に根が深いものがある。それには色々な事情があるが、ここでは触れない。

以上を踏まえたうえでアーレントは、全体主義の運動の特徴を分析していく。その分析はかなり手の込んだものである。それを読むと我々読者は、アーレントがナチスについて言っていることが、そのまま今日のイスラエル国家の行動にもあてはまるのではないかという感を抱かされるのである。そこに我々は歴史の皮肉を見る。そこでナチスのどんな行動が、今日のイスラエル国家の行動に通じるのか。それについて、いささか吟味を加えてみたい。紙幅の制約上、最小限にとどめたい。

ナチスの行動原理は、プロパガンダとテロルである。プロパガンダを通じて大衆を洗脳し、自陣営の結束を強める。テロルを通じて、被支配者に抵抗する意欲をなくさせる。その結果、被支配者は人間性を奪われて人間動物というべき状態にさせられる。テロルという言葉は、今日西欧諸国においてかなり恣意的に用いられているが、アーレントのテロル概念は、被支配者を暴力で屈服させることを意味している。そうした意味でのテロルは、今日のイスラエル国家がパレスチナ人を相手に行っていることである。欧米はパレスチナ人であるハマス以下の抵抗勢力をテロリストと呼んでいるが、アーレントの定義に従えば、イスラエルこそテロ国家なのである。

ナチスの暴力を担っていたのは軍と警察(時に秘密警察)である。軍が対外的な暴力の担い手となり、警察が国内的な暴力の担い手となる。秘密警察SSは、後には外国でも暴力を行使するようになる。ヒトラーの権力がSSによって支えられていたことを、アーレントは強調している。イスラエル国家の場合には、軍と秘密警察モサドは一体となって行動している。軍はパレスチナ人に対して日常的に暴力を振るっており、モサドのほうは外国での諜報活動も担っている。両者が一体となって、反イスラエルと目されるものに暴力を振るっているのである。

ナチスは強制収容所や絶滅収容所に、生きている価値のないものを集めた。イスラエル国家は、占領地の狭い範囲にパレスチナ人を集めている。それをアパルトヘイトと呼ぶものがいるが、実際には強制収容所にほかならない。そこでイスラエル国家はパレスチナ人に対して日常的な暴力を振るっている。

ナチスは自分の行動を合理化するためのイデオロギーをもっていた。独特の人種理論に裏うちされたものである。イスラエル国家のイデオロギーはシオニズムである。ナチスがドイツ人の優秀性を強調したように、イスラエル国家はユダヤ民族の優越性を強調する。イスラエルがパレスチナ人の犠牲のうえに存続するのは、ユダヤ人が神によって選ばれた民族だからである。そうした特権意識を、ここではユダヤ主義の精神と定義したい。

このあたりで打ち切っておくが、イスラエルのやっていることは、多くの点でナチスのやっていることをまねたものにほかならない。要するに人倫に反したアンチヒューマニズムというべきものである。そんなわけなので小生は、ナチスとシオニズムをアンチヒューマニズムの双生児だといいたい。




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