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日本人とエピステーメー再論


小生はかつて「日本人とエピステーメー」と題した小論の中で、フーコーのエピステーメー論を日本人に適用したらどうなるかについて、簡単な考察をしたことがあった。そこで小生がとりあえず達した結論は、日本人にはヨーロッパ人のように内発的な知の発展というものは見られず、外国から輸入した知が幅を利かせてきたということだったが、それでも日本人の思考の枠組というようなものは存在しており、それをエピステーメーといってよいかもしれない、と思うに至った。そのエピステーメーのうちで、我々現代に生きる日本人にとって、最も大きな意義を持つのは、儒教に根差した権威主義的世界観であって、我々はその呪縛から未だに完全に脱し切れていない。この儒教的なエピステーメーは、徳川封建体制下の17世紀半ばごろに成立し、明治維新を経て、先の敗戦頃まで強い規範となってきた。要するに三百年にわたって日本人の思考を制約してきたわけである。敗戦後は、それに代わって欧米伝来の自由主義的な考え方が新たなエピステーメーを築きつつあるが、我々はまだ権威主義的な思考様式から抜け出せていないようである。

儒教的世界観が主流になる前には、仏教の影響が圧倒的だった。仏教が庶民まで普及するのは鎌倉時代以降のことだが、庶民の考え方に全面的に浸透するのは室町時代以降である。室町時代に、日本は大規模な社会変容と、ものの考え方の変動を経験した。この当時に確立された文化は、現代日本人の生活スタイルの原型になったといわれている。それほど、室町時代に成立した文化は大きなインパクトを日本の歴史上もったのである。それは14世紀の半ば頃のことであるから、17世紀なかばに儒教的世界観がとってかわるまで、やはり三百年のあいだ強い影響を及ぼしたわけである。儒教的な世界観が優勢になっても、仏教の影響が消えてなくなったわけではなく、儒教的世界観を表のこととすれば、裏側の、あるいは深層の感受性として、あいかわらず日本人のものの考え方・捉え方を制約し続けていた。

こうしてみると、我々日本人は、室町時代以降、仏教的、儒教的、欧米的と、三つの異なる世界観を受容してきたということになる。その世界観のようなものを、フーコーにならってエピステーメーといえるかもしれない。

一方、マルクスのイデオロギー論を日本に当てはめたらどういうことになるか。マルクスはヨーロッパの社会変動をモデルにして、奴隷制、農奴制、資本制という具合に時代区分をしたうえで、古代的専制的イデオロギー、中世の封建的イデオロギー、近代の資本主義的・自由主義的イデオロギーと区分する一方、アジア諸国については、アジア的専制というかたちで十把一からげにして、しかもヨーロッパの古代的専制以前の野蛮な文化だといった。これには心ある日本人が反発して、日本にも立派な文化が存在したと主張したことは周知のとおりである。

ここで、マルクスのイデオロギー論とフーコーのエピステーメー論を、日本の封建社会を対象にして交差させてみよう。マルクスのイデオロギー論を徳川時代にあてはめれば、この時代のイデオロギーである封建的イデオロギーは、支配階級たる武士階級の支配に都合のよいものだったということになる。実際この封建イデオロギーは、儒教の名分論に基づいた権威主義的な内容のものであって、支配階級たる武士には支配の正統性を保障し、非支配階級たる庶民には秩序への忍従を勧めていた。上下一体となって秩序を守るというような体制になっていたわけである。

いずれにしても、マルクスのイデオロギー論は、あくまでも支配階級の利益のためのものだから、支配階級が入れ替わるとイデオロギーも変化しなければならないことになる。ところが日本では、明治維新を堺に、武士の支配が転覆され、絶対主義体制が成立し、経済的には封建的農業経済から資本主義への転換が起った。だからイデオロギーのほうも、武士の支配を正統化していた封建的イデオロギーから、資本主義の発展に都合のよい自由主義的イデオロギーへと変化するはずのものであった。しかし日本の近代史では、そうした変化は典型的な形ではあらわれなかった。自由主義的イデオロギーはなかなか支配的にならず、封建的・権威主義的イデオロギーがあいかわらず力を振り続けたわけである。

一方、フーコーのエピステーメー論は、マルクスのように、社会の土台としての生産関係が、上部構造としての文化や政治のあり方とストレートに結びつくとは考えない。エピステーメーは、ある時代の人びとの考えを制約するものではあるが、それ自体としては無制約である。つまり社会的な背景に制約されるものとはされていない。それは独自の発展法則をもったものと捉えられるのである。したがって、経済的には資本主義社会でありながら、その資本主義社会に異なったエピステーメーが継起することもありうる。実際フーコーのエピステーメー論は、資本主義時代に二つのエピステーメーを認めているようである。一つは古典主義的エピステーメー、もうひとつは現代的なエピステーメーといった具合に。

ところで現代日本について、イデオロギー論とエピステーメー論を交差させるとどういうことになるか。現代日本が高度の資本主義社会であることに誰も異存はない。現代日本は、アジア諸国よりは欧米諸国と似ている。資本家の支配が徹底しているという点では、グローバル時代の優等生といってよい。グローバリゼーションというのは、資本主義が世界的に展開するようになった時代の特徴をさしていうのである。グローバル時代の資本主義のイデオロギーは、極端な自由主義となって現われるが、それは一部の支配的な階級が、全人類を搾取する体制を援護する役割を持たされている。

一方、この時代の日本のエピステーメーは、これもやはり自由主義的なものだといえる。自由がすべてに優先されるというのが、この時代のエピステーメーの内実だ。そういう意味で、後期資本主義社会といわれる現代の日本にあっては、イデオロギーとエピステーメーとは、内容的にほとんど一致しているといえる。ということは、日本人は高度資本主義の段階に至って初めて、経済構造の面でも文化の面でも、欧米と似たような社会になったということだ。

福沢諭吉が主唱した脱亜入欧は、長い間日本人の願望だったが、それが実現することはなかなかなかった。最近になってやっと、実現したわけである。これは多くの日本人、とりわけ政治家に大きなインパクトを与える。日本人としてのアイデンティティに深刻な影響を与えるのだ。その影響は、自分をアジア人ではなく、白人の一種だと考えるような、変わった日本人の大量登場に不気味な形で現われているわけである。




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