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日本人の死生観


最後に日本人の死生観について触れたい。日本人の死生観は、古代日本人の抱いていた死生観に、仏教、道教、修験道などの死生観が加わって、やや複雑な様相を呈しているが、その基本は、霊魂崇拝である。日本人本来の考えによれば、人間は肉体と霊魂が結びついてできている。その霊魂は、肉体から遊離しやすいもので、実際しょっちゅう遊離している。遊離した霊魂は各地を旅するわけだが、その旅先で見聞きしたことを、のちに肉体と一緒になって意識を取り戻した時に、周囲のものに語って聞かせたという話はあちこちに残されている。霊魂が遊離すると人間は気絶した状態に陥るのだが、霊魂が戻って来ると、意識がもどる。だから人々は、霊魂が戻って来るのを期待して、人が死んだとしても、すぐにはそれを受け入れない。ある程度の期間が過ぎても意識が戻らないと、それは霊魂が飛び去ったのだと観念して、初めてその人の死を受け入れたのである。そんなわけで、古代日本人の死についての観念は、死を瞬間的な出来事としてとらえるのではなく、緩慢に進行するプロセスと捉えたものだった。

飛び去ってしまった霊魂は、ではどこへ行ってしまったのか。それらの霊魂は、最終的にはあの世へ行って、そこで神となる。神となったからと言って、現世との交流が絶えるわけではない。季節の節々にこの世に戻って来て、自分の子孫たちの幸福を祈ってやったりするのである。神となる前の霊魂は、他の人の肉体に結びつくこともある。また、生まれ変わりと言って、次々に新しい人格として復活することもある。

こうした日本人の死生観・霊魂観を学問的に追求した者として、柳田国男や折口信夫といった民俗学者がある。柳田国男は、人の霊魂は、肉体から遊離した後、その肉体がいる場所の周囲をうろついているが、やがて一定の時間がたつと、あの世で神となって、子孫から先祖神として祭られると考えた。日本人の宗教の基本は、先祖神を祭ることにあり、先祖崇拝といってよい。こうした考えは今でも日本人のなかに生きていて、正月や盆といった民俗行事の中にも反映している。日本人は、たえず先祖を意識しながら暮らしている、というのが柳田の議論の要諦である。

折口信夫も、古代の日本人は人間を霊魂と肉体が結びついたものと考えたとした。死とは、霊魂が肉体から離れて二度と戻ってこない事態をさしていった。霊魂が出て行ったあとの肉体は、ただの物質に過ぎない。だから、古代の日本人は遺体に対してあまり気を使わなかった。古代日本の埋葬は、風葬が中心だったが、それは、遺体を尊重しないことのあらわれだった。人々は、人が死ぬと、鳥野辺や化野といった原野に、遺体を放置したのである。

説経に小栗判官というのがあるが、これには日本人の死生観が色濃く盛られていると折口はいう。小栗判官の物語は、餓鬼阿弥蘇生譚ともいわれるように、死んだ者が生き返る話である。小栗主従は、死後冥界の入り口で閻魔大王の誰何を受けるのであるが、その際に、罪を許されてもう一度この世界に生き返ることになる。ところが、家来たちの肉体は火葬されてなくなってしまったので、取りつくものがなく、折角生き返るチャンスを生かすことができない。一方小栗は、土葬された遺体が墓の中に残っていたので、それに取りつくことができた。かくして小栗は、人間として生き返るわけだが、遺体の状態が、腐乱が進行していて、かなり傷んでいた。そこで生き返った小栗は、まるでゾンビのようなありさまを呈したのであるが、熊野本宮の湯につかることで、まともな人間の姿を取り戻した。これが、小栗判官蘇生譚の概要であるが、この話のなかに日本人の死生観が色濃く盛られていると折口はいうのである。

この話ができたのは、中世のことであるから、古代人の死生観が純粋な形で語られているわけではない。火葬や土葬といった埋葬方法は古代には普及していなかったし、閻魔大王云々は仏教から来ている。そうした後世に属する要素を除外して、話の骨格だけに着目すると、人間は霊魂と肉体が結びついてできており、一旦霊魂が遊離して死んだように思えても、霊魂が戻ってきて肉体と結びつけば、生き返るのだという考えがこの話には盛られているわけで、その要素は古代日本人の考えを語っているわけである。

このように、人間の生死を霊魂の循環によって説明しようとする考え方は、アニミズムの一例と考えることができるし、また遊離した霊魂がさまざまな見聞をするという話は、シャーマニズムの一例と考えることができる。シャーマニズムには、憑霊型と脱魂型とがあるが、小栗判官の話は脱魂型の一例だといえる。それに対して、ノロとかイタコとか呼ばれるものは、憑霊型のシャーマンである。日本本来の土着の宗教は、アニミズム的世界観を土台として、シャーマンが活躍する、比較的原始的な形態の宗教だったと言えよう。

この原始的な宗教に、仏教以下の高度の宗教が重なってできたのが、中世以降に発展した日本の宗教のあり方だったといえる。その場合に、基層にあるものと、新しく加わったものとが、あまり脈絡がないと、ある種の拒絶反応が働いて、うまく適合しないものだが、幸いなことに、仏教を中心とした外来の宗教には、日本古来の宗教意識と響きあうものがあった。つまり、世界観においては、この世を神の手によって作られたものと考えるのではなく、そもそも自らの内在的な力によって、永遠に生成し続けるというような考えが、日本古来の宗教意識にも仏教にも共通してあったわけだし、また、死生観についていえば、霊魂は肉体とは別の次元での流転を繰り返しているとみる日本古来の見方は、仏教の輪廻転生思想と響きあっていたわけである。そういうことがあって、仏教は日本人によってすんなりと受容されたのだと思う。

日本人のアニミズム的世界観については、丸山真男が日本人の歴史意識という形で論じている。世界観ではなく歴史意識という言葉を使い、またアニミズムという言葉は使っていないものの、丸山の説は、日本人のアニミズム的世界観を見事にいいあてている。丸山によれば、日本人はこの世界を作られたものとしてではなく、自ずからそこにあり、生成転変を繰り返すものだと捉えていることになる。ユダや=キリスト教の思想では、世界は神の手によって作られたと考える。つまり、世界にはそれを創造した主体があると考えるわけである。主体があるところには、ある種の責任のようなものも生まれる。この世界は、主体が自らの責任によって創造していくものなのだ。これに対して、日本古来の歴史意識にあっては、世界はなんとなくそこに存在し、いわば惰性的に生成してゆくものである。であるから、そこには創造の主体は存在しない。生成転化は主体の働きかけの結果ではなく、なんとなくそうなりゆくものにすぎない。そのさまを丸山は、「つぎつぎになりゆくいきほひ」と表現し、日本人の非主体的なものの考え方がもつ、非自主性を批判しているわけだが、それがあたっているかどうかは、また別の問題だろう。

ともあれ、以上述べた日本人の死生観を以てすれば、死は人生の意味を作用するような問題ではなく、ましてや世界の存在と深いかかわりをもつようなものではなく、霊魂が一時的に肉体を離れることにともなう、いわば偶然の出来事といった観を呈する。日本人にとって死とは、そんなに大げさに取り上げるような対象ではないのだ。そう言えるのではないか。




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