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日本再建イニシャティブ「民主党政権失敗の検証」


日本再建イニシャティブは、朝日新聞を退職した船橋洋一が立ち上げたシンクタンクで、これまで福島原発の事故を検証したいわゆる「民間事故調報告」で知られている。そのシンクタンクが、民主党政権の三年三ヶ月を検証し、その失敗の原因を分析したのが「民主党政権失敗の検証」(中公新書)だ。

民主党政権が取り組んだ課題を、マニフェスト、政治主導、経済と財政、外交・安保、子ども手当、政権・党運営、選挙戦略の七つにわけて設定し、それぞれについて専門家が執筆している。執筆に当たっては、民主党の生き残り議員等党関係者27名を対象に30回にわたり直接聞き取り調査をしたほか、アンケート調査も実施している。したがって、外部からの分析でありながら、民主党政権の関係者の意見(自己認識)を反映しているわけで、その点では非常にユニークだ。

また、討議等で共通認識を深め、それに基づいて全体が不調和にならないよう工夫してある。船橋本人は結末の結論的な部分を執筆するとともに、執筆者間の意見の調整にあたったようだ。そんなことでこの本は、共同執筆の割には、トーンが統一されていると言えよう。

民主党政権が失敗した原因については、これまでさまざまな方面から指摘され、議論が出尽くした感がある。この本での議論も、基本的にはその域を出ない。ただ、議論の論点を整理する、という点では役に立つだろうと思う。

失敗の原因については、個々の課題ごとに、担当執筆者が整理しているが、コーディネーター役の船橋が、それらを全体的な視点からまとめている。これも、いままでの指摘の枠を大きくはみ出るものではない。

船橋は、民主党政権失敗の最大の原因は、自分で有権者の期待値をせり上げておきながら、その期待に応えられなかった点に求めている。過剰な期待に押しつぶされたと言いたいのだろう。それは、政策的にはマニフェストの破綻ということに現れ、その結果としてうそつき呼ばわりされることにつながった。また、党内ガバナンスという面では、党内で足の引っ張り合いばかりやっていて、国民のほうへ顔を向けていない、という批判につながった。要するに、政党としての体裁を取れていないと断罪されたわけである。これは自分自身に責任がとれないことを意味すると解釈されるから、国民に対して責任を持てるなどとは到底受け取ってもらえないわけである。

足の引っ張り合いや政策のちぐはぐ振りが、たった三年間で二度も党首を変えるという事態を招いた。よくないことに民主党は、党首が変わるごとに、有権者の幻滅を高めていった。その結果、「ホップ(鳩山)でつまずき、ステップ(菅)で踏み外し、ジャンプ(野田)で骨折」というようなことになったというわけである。

筆者は筆者なりに、民主党の失敗した最大の原因は、多くの国民からうそつき呼ばわりされたように、マニフェストという公約=約束を果たさないばかりか、約束になかったことをやろうとした、その傲慢さにあったと思っている。その点は、民主党政権の閣僚経験がある片山善博も言っているとおりで、民主党は公約の重要性を十分理解していなかったフシがある。

その辺は、それまで政権を担当したことがなく、政権運営がどのように難しいものか、肌で知っているものがいなかったことと関係する、と執筆者たちは同情してもいるが、他人から同情されるようでは、政治家としては失敗だし、そんな政治家からなる政党が信頼されることもないだろう。

同情、という言葉を使ったが、執筆者の多くは民主党に期待していたようである。普通は、期待が裏切られると怒りを覚えるものだが、この執筆者たちは、期待はずれに終わったのはそれなりの理由があったので、それらは今後の党運営の中で克服されると考えているようだ。そういうスタンスが、怒りではなく同情をもたらしたのだろう。

このようなスタンスに立って、執筆者たちは民主党の再生にも期待しているようだが、民主党が再び政権をとるには、かなり長い時間がかかることだろう。場合によっては10年以上かかるかもしれない。それも、自民党に重大な過失があることを前提とした推測で、自民党に大きな過失がなければ、今後当分の間自民党の一党優位が続かないとも限らない。

もっとも今の自民党を見ていると、極右の筋金が透けて見えるようになっており、この調子で行けば、比較的早い時期に国民からノーを突きつけられる可能性も否定できない。その場合に備えて民主党は、せいぜい政党としての体裁を整える努力をすべきだろう。




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作者:壺齋散人(引地博信) All Rights Reserved (C) 2015
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