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内田樹「街場の教育論」


内田樹は、自身が教育者という立場もあって、教育についてさまざまな発言をしてきた。彼の発言は、主に現在の日本の教育が抱えている問題点の指摘と、その指摘の背後にある教育の本質についての考え方をめぐるものだ。

彼は、日本の現在の教育、主として学校教育の問題点は、教育をビジネスモデルにもとづいて扱おうとする風潮だと言う。ビジネスというものは、短い時間的スパンスの中でいかに効果をあげるかを問題にするものだが、教育はそうしたビジネスモデルの対極に位置するのだと内田は言う。だから、教育をビジネスモデルに従わせようとすれば、教育について好ましくないことばかりが起きることとなる。そのいい例が、大学における教養課程の廃止だったと言う。これは、大学教育に即戦力的な効果を期待したビジネス界の要望を取り入れ、一年生から専門教育を実施するかたわら教養課程などと言う回りくどいものはやめてしまえと言う動きだったわけだが、その結果どうなったか。学生の学力は、専門的な知識も含めて低下した。なぜそうなったか。専門教育というのは、幅白い教養に支えられてこそ効果をあげるもので、教養を欠いた専門教育は、ただの専門馬鹿を生むに過ぎない。

教育へのビジネスモデルの導入という動きの背景には、グローバル資本主義からの要請があると内田は言う。グローバル資本主義とは、世界共通の唯一の尺度は金だとする立場だ。世界中のことがらはすべて金に置き換えて考えることができる。ということは、金に置き換えられないことは、何の価値もないと言うことだ。この考え方が教育の現場に持ち込まれるとどういうことになるか。教育は金儲けの手段とみなされるようになる。なにしろ金こそが唯一の尺度なのだから、すべては金の視点から解釈しなおされる。文化とか知性とかいうものも、それらが金に換算できる範囲で意味を持つに過ぎない。しかし、これほど教育の理念から外れた考え方はない。こうした考え方に捉われると、人は金のことしか頭にないこととなり、おのずから教育の本質を見失う、そう言って内田は教育へのビジネスモデルの導入と、その背後にあるグローバル資本主義の教育への介入に、警鐘を鳴らすのである。

では、教育の本質とは何か。教育とは学びの場である、と内田は言う。学びの場には、学ぼうと意欲する者と、彼を導く者とがいる。導く者は師と呼ばれ、導かれる者は弟子と呼ばれる。師と弟子との関係は、考えられるように一方的なものではない。相互通行的なものだ。弟子が師から一方的に教えられるのではなく、両者は相互に影響を及ぼしあいながら学びのプロセスを踏んで行くのだ。だからこそ、二十四の瞳に出てくる大石先生のような人と彼女の生徒との間に、教育的な関係が成立しうるのだ、と内田は言う。教育とは、ビジネスモデルで教育を考える人たちが主張するように、マニュアル化できるようなものではないのだ。きわめて人間くさいプロセスなのだ。生きた人間が介入しない教育など、教育とはいえない。

何故なら、と内田は重ねて言う。教育と言うものは、他者との間のコミュニケーションを図る能力を身につけることを本質的な存在理由としているからだ、と言うのである。そこで内田は、孔子の「述して作らず」という言葉を引用しながら、教育の本質についての議論を展開する。教育というものは、死者との間のコミュニケーションである礼に始まり、生ける人間たちとの間のコミュニケーションに及ぶまで、コミュニケーションをめぐるものだとするのが内田のユニークな教育論なのである。知識の獲得が教育の目的ではない、他者との間で有意義なコミュニケーションがとれるようになること、それが教育の本質的な目的だと言うわけである。

「述して作らず」とのからみで、内田は、師にはその師があるという議論を展開する。人間というものは、だれでも単独では師とはなれない。彼は自分自身の師を通じて師となることができたのである。師の師もまたその師を持っていた。かくて、教育者としての師は、過去の大勢の人々の知的営みを背負った形で、弟子の前に立っているのである。

これは、縦系列のコミュニケーションと言い換えることもできる。人間というものは、同時代人との間で横系列のコミュニケーションを図りながら、昔の世代の人々との間でも縦のコミュニケーションを図り、トータルとして、類としての人間に絶えず自己を高めていく。つまり、教育というものは、個々の人間を人間社会の一員として作り上げていくプロセスのようなものだ、と言うのが内田の教育論の特徴だと思う。単にビジネスで成功するように当座の能力を付与することが教育の目的ではない。そう言いたいわけであろう。




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作者:壺齋散人(引地博信) All Rights Reserved (C) 2015
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