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渡辺京二「北一輝」


北一輝といえば、2.26事件の思想的指導者として処刑されたこともあり、いまでは、2.26事件が日本の政治史における特異な一事件として片付けられるのと同じレベルで、日本の政治思想史における特異な一思想家として片付けられがちであった。「特異な一思想家」というのは、現代にはほとんど影響力が及ばない忘れられた思想家という意味である。ところが最近、安部晋三政権のもとで国家社会主義的な言説が大手を振って流通してくるという状況が生まれる中で、北一輝の思想が現代的な意義をもって復活してきた。北の国家社会主義的な思想は、岸信介のような日本の権力の中枢を制した政治家にも多大な影響を与えており、その岸を通じて安部晋三をはじめとしたウルトラライトの政治家たちに強い影響を及ぼしていると言えるのである。その政治家たちがいまやこの国の権力を握っているわけであるから、彼等の思考に多大な影響を及ぼしている思想家を軽視するわけには行かない。

北一輝の思想を知るには彼自身の書いたものを読むに若くはない。北の著作としては、岸を含め日本の国家社会主義者(=日本型ファシスト)に多大な影響を与えた主著「日本改造法案大綱」のほか「国体論及び純正社会主義」、「支那革命外史」などがある。このうち「国体論及び純正社会主義」に焦点を当てて北の思想を腑分けした労作に渡辺京二の「北一輝」がある。筆者は北理解の第一歩としてこの本を読んでみた次第だ。

北の「国体論及び純正社会主義」を渡辺は、「日本の近代政治思想史上、まず五指に屈すべき著作であろう」と言っている。大変な入れ込みようと言うべきであるが、政治思想の重要性を実際の政治に及ぼした影響の大きさをもとに測るとすれば、あながち贔屓倒しともいえまい。たしかに北の思想は日本の政治に巨大な影響を及ぼしたのであるし、彼の思想を体系的に展開しているのがこの「国体論及び純正社会主義」という著作なのである。

渡辺の理解によれば、北の国家社会主義とは社会革命を目指した運動ではなく、日本の国家権力を明治憲法の趣旨どおりに運営することによって達成されると主張することだったということになる。だから彼の政治姿勢は革命ではなくクーデターを目指すものだったと言いたいようだ。と言うのも明治憲法は社会主義を理念的に先取りしているのであって、その理念どおりに政治を運営すればおのずから社会主義が実現されるのだと北は考えた。その実現を阻んでいるのは藩閥政治や大資本家の利害である。それ故これらの連中に天誅を加えて、明治憲法の理念に忠実な勢力が権力を奪取すればよい。それは体制内での権力の移行であるからクーデターという形をとるわけである。

明治憲法が社会主義を理念的に先取りしているとする北の主張は、いろいろ批判の対象となるだろう。だが渡辺はそうした批判を加えていない。ほとんど北の主張を鵜呑みにしているところがある。それどころか北の主張を批判するものは十把ひとからげで罵倒の対象となる。それは渡辺の北に対する敬愛の念がさせているのだと忖度されるが、その敬愛の念がこの書物を熱くしている。ほとんど北に対するオマージュと言ってよいくらいだ。

北を日本型ファシズムの思想家とすることでは渡辺も大した異論はないようだ。それはファシズムと言う概念をどう捉えるかによるので、渡辺はファシズムを、国家による社会主義の実現と言う意味においてならば、肯定的に評価するのである。

北の対外政策の膨張主義的な側面についても、渡辺は否定的には見ていない。むしろ北の論理から必然的に帰結されるものだとして積極的に評価している。北が、朝鮮、満州、東シベリアの領有を主張したのは北の侵略主義的対外政策を示すものとして有名だが、渡辺は、北がそう主張したのは、アジアの小国としての日本を憂える者にとっては不可避のものだったとして肯定する。これは、アジア・太平洋戦争は自衛のための戦争だったとして、今のウルトラライトが持ち出している理屈である。

中国革命については、北が宋教仁らの民族主義的運動に肩入れして孫文を軽んじていたことは良く知られているが、この点についても渡辺は北に同情的である。同情的と言うよりも、むしろ宋教仁に肩入れしたことは歴史的にも正しかったと積極的に評価している。この辺は贔屓倒しの感がないわけでもない。歴史が示しているのは、孫文の路線が中国革命の王道を彩ったということなのだから。

とはいっても渡辺が北に対して盲目に陥っていないことは、晩年の北の行動についてあけすけに語っていることからわかる。たとえば、北が三井らの大資本から巨額の金を引き出してそれを個人的に使っていたことなどだ。これはゆすり・たかりに類するような行動で、どうみても合理化できる事柄ではないが、北はそれを当然のことのようにやっていた。渡辺はそれを非難するでもないが、と言って擁護するでもない。倫理的な判断は自分の本の関わりあう事柄ではない、と言いたいかのようだ。

北の思想の集大成とも言え、また彼の国家社会主義論の精髄として、岸信介ら日本型ファシズムの政治家に多大な影響を及ぼした「日本改造法案大綱」については、この本は肝心なことには触れていない。ただこの本が「国体論及び純正社会主義」における思想を発展させたものだと言うのみである。北の思想的な影響度と言う点では、「日本改造法案大綱」に及ぶものはないと思うので、そこはちょっと肩透かしを食った気になるところだ。




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