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内田樹、石川康宏「若者よマルクスを読もう」


内田樹はマルクス主義が大嫌いだと日頃から公言している。だからマルクス本人も嫌いかと言うとそうではないと言う。むしろマルクスからは大きな影響を受けたと言っている。それでもなおマルクス主義者にはならずに、マルクス主義が嫌いになった。そのへんの心理的機制は部外者にはなかなかわからないだろう。一方石川康宏のほうはマルクスに影響されただけではなく、一人のマルクス主義者たらんとしているようでもある。こんな二人が「若者よマルクスを読もう」と言って、今マルクスを読むことの意義について対話している。

この本は、「ヘーゲル法哲学批判序説」から「共産党宣言」に至るいわゆる初期マルクスの思想をテーマにして、石川が書簡のかたちで問題提起し、それに対して内田が書簡で答えるという体裁を取っている。つまり往復書簡集の形をとった、マルクスについての対話である。二人とも、いま若者がマルクスを読むことの意義について熱っぽく語っているので、基本的にはマルクスに対して好意的である。だがその行為の度合いが少し違う。石川のほうがほぼ手放しでマルクスを受け入れているのに対して、内田のほうはかなりねじれた受容の仕方をしているようである。

内田は、マルクス主義はきらいだと言いながらマルクス自身の思想は魅力的だというのだが、その思想には嫌いな部分も含まれている、というような言い方をする。それにたいして石川のほうは、マルクスの思想については、嫌いな部分がほとんどないようである。だからこの二人は、マルクスの思想のうちで共通して好きな部分を取り上げるときには大いに気のあうところを見せるのだが、好きなことが一致しない部分が話題になると、微妙な齟齬を見せるようになる。

二人とも初期マルクスの思想のポイントを、個としての人間と類的存在としての人間の一致に求め、そのことを通じて人間の解放を模索するとする点では一致する。だからこの思想を展開したとされる「経済学・哲学草稿」あたりが話題になると大いに盛り上がるわけである。

ところが二人の評価が一致しない部分が話題になると、言い分が対立するようになる。たとえばユダヤ人問題についてマルクスの取った態度をどう評価するかなどだ。内田はマルクスのユダヤ人問題をめぐる認識には彼の同時代に支配的であったステロタイプな見方が反映されているとする。マルクスはそうしたステロタイプに捉われていたせいで、人間の疎外からの解放という問題を矮小化させた、と言うのである。こうした内田の主張に対して石川は、マルクスは別にユダヤ人についての同時代のステロタイプに捉われていたわけではない、彼がユダヤ人を貪欲な金貸しと表現したのは、ある種のアイロニーであり、逆説的な効果を狙ったに過ぎない、と言ってマルクスを弁護する。

内田がユダヤ人問題をめぐるマルクスの姿勢にこだわることには、別の要因も働いているようである。内田が自分の師匠だというレヴィナスはユダヤ人である。彼は自分がユダヤ人であるということにこだわりながらその倫理的な思想を展開していった。内田はレヴィナスのそういう姿勢にかなりなインパクトを受けているようであり、それが嵩じて自分自身もユダヤ人問題を研究したという過去がある。そんな内田のことだから、マルクスに認められる反ユダヤ主義的な要素に対して敏感にならざるを得なかったのだろう。マルクス自身ユダヤ人であるにかかわらず、幼年期にキリスト教に改宗したこともあって、ユダヤ人であることにほとんどこだわりを持たなかった。そんな姿勢が内田にはカチンとくるのかもしれない。

その内田が、マルクスの思想の核心をどこに求めるかと問われたら、それは史的唯物論の次のようなテーゼ、「人間が何ものであるかは、その人が『何であるか』という本質的な条件によってではなく、『なにを生産し、いかに生産するか』によって決定される」と答えるべきだと言っている。内田はこのテーゼをちょっと言い換えて、人間というものは「何ものであるか」ではなく「何をするか」で決まると言う。それ故、「現実的な歴史的人間」こそが人間の本体でなければならない。「現実的・歴史的に」ろくでもないことをする人間は「ろくでもない人間」なのである。そう内田は言って、マルクスが倫理的に優れている所以を解説して見せてくれるのである。彼にとっては、これもアイロニーに富んだ逆説的な言い方になるが、「いいことをする人」が「本質的に邪悪な人間」であっても、とりあえず気にならないのである。

こんなわけでこの対話集はなかなか示唆に富んだやりとりを通じて、単にマルクスについての理解を深めてくれるばかりでなく、思想の強靭さというものについても、一つの手本を見せてくれる。




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