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丸谷才一・山崎正和「日本史を読む」


丸谷才一と山崎正和の対談「日本史を読む」は、日本史についての様々な著作を二人で読みながら、それを手がかりにして、日本の歴史の面白さを解きほどいていこうという試みである。カバーしている時代は、古代から近代までと幅広く、それぞれの時代についてユニークな歴史記述をした本をいくつかとりあげて、それらを材料に、各時代の特徴のようなものを浮かび上がらせようとしている。たとえば、院政時代については、角田文衛の「椒庭秘抄 待賢門院璋子の生涯」を材料にして、この時代が性的乱倫とサロン文化の花開いた時代であったと断定したり、足利時代については、林屋辰三郎の「町衆」を材料にして、この時代が都市化を背景とした日本のルネサンスと呼ぶべき時代だったと確認する、といった具合である。

他人の著作を材料にしていることもあって、通史的な一貫性はなく、議論はあっちへとんだり、こっちへ移ったりして、かなり奔放である。それは、丸谷が小説家であり、山崎が劇作家であって、歴史学者のような方法意識を持たないということからも来るが、それ以上に、この二人は日本の歴史学のあり方に大きな疑問をもっているようなのである。アカデミックな歴史記述では、歴史は面白みを欠いたものになってしまう、だから歴史を面白くするには、そうしたもの、つまり日本の歴史学のエスタブリッシュメントとは違った姿勢で歴史に臨む必要がある、というわけなのであろう。

彼らが、日本の歴史学のエスタブリッシュメントを攻撃するときの口吻には、相手を罵りながら、それを楽しんでいるところがある。たとえば、林屋辰三郎が、京都の町衆が一向一揆に対して協力して立ち向かったことを歴史の流れに沿ったことだとして評価したことを取り上げ、それが当時権威的だったマルクス主義史学の硬直した見方よりよほど気が利いていると言っているところだ。「当時のいわゆる国史学会の主流を占めていたのは、封建制に対する農民の反乱という図式であって、『善玉=農民、悪玉=封建領主』というマルクス主義のマンガのような」考え方からすれば、これは反動的な議論かもしれないが、歴史を読む面白さという点では、こちらのほうがよほど気が利いているというわけである。ただし、マルクス主義の歴史学者でも網野善彦だけは別格扱いで、二人とも網野のことは、原に対すると同じように褒めている。

日本の歴史を語るときに二人が重視する視点として二つのものがあるようである。一つはヒストリカル・イフについて考えること、もう一つは海外との国際的なかかわりに目を配ることである。

ヒストリカル・イフというのは、「歴史にもしもはない」と言い換えられるとおり、歴史記述を生起した事実のみに立脚させることの是非をめぐる問題である。二人は、歴史を起きてしまった事実だけをもとに考察するのではなく、このときもしも違ったことが生起していたら、その後の歴史はどうなっただろうか、について考えることが重要だとする。それは一つには、そのほうが歴史から得られる教訓に厚みが増すということもあるが、それ以上に、歴史に想像力を介入させることで、歴史記述が面白さを増すという思惑もあるようだ。そうした思惑は、小説家である丸谷と劇作家である山崎にとっては、職業的な根拠をもつのだろう。

日本にとっての国際関係は、専ら中国との関係が中心だったわけだが、これについて二人は、ヨーロッパ文明と同じようなレベルで、アジア文明というものが成立していたら、日本の歴史はもっと違った方向、それもいい方向へ向かっていた可能性が大きいと考えているようだ。ヨーロッパでは、各民族が同じ文化を共有することによって、ある国での出来事が外の国に影響を及ぼし、それが連鎖に連鎖を重ねて、全体として切磋琢磨するようなプラスの方向に進んできた。その過程で国際的な文化交流も進んできた。ところがアジアには、それと同じような事態が生じなかった。アジアには中国という圧倒的な中心があって、そこと周縁の国とは中国を源とする一方的な関係にあり、たとえば中国が日本に影響を及ぼしても、日本が中国に影響を及ぼすことはなく、また、日本と韓国、日本とベトナムとの間で双方向の関係が成立することもなかった。これはアジアにとって不幸なことだった、と二人は言うのである。

「もし日本と中国とが一つの緊密な世界をつくり、そのなかで切磋琢磨を連続していたら、東アジアにはもっと躍動的な文明が生まれていたのではないか」。そういって二人は、東アジアに国際的な文明が成立しなかったことを非常に残念がっている。問題は、そうした認識にもとづいて、日本と中国とが中心になって、アジアに新しい国際社会を形成しようとする努力が今現在なされているかということになるが、これも残念ながら、そうはなっていない。日本は、中国はもとよりアジア諸国を一段低級な連中と見なしがちだし、中国は中国で日本を無視する態度を依然取り続けている。これはどこが悪いかという問題ではなく、アジア人に根ざした宿命なのかもしれないが、どちらにしても残念なことと言わねばなるまい。




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