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中野好夫「スウィフト考」


久しぶりにスウィフトがらみの本を読む気になったのは、筒井康隆の「断筆宣言への軌跡」を読んだのがきっかけだ。この本の中で筒井は、自分の持味はブラックユーモアだと言っており、そのブラックユーモアが災いしてさまざまな波風を立てつづけ、挙句の果ては「断筆宣言」をする羽目になってしまったと書いていた。それを読んだ筆者は、日本には筒井のようなブラックユーモアの使い手は非常に珍しく、その意味では国民的な財産にも等しいから、こういう人間が自由にブラックユーモアを振りまけるようにしてやりたいと思ったものだった。

スウィフトはイギリス人ではあるが、ブラックユーモアの稀有の使い手という点では、筒井の立派な先輩格にあたる。かの有名な「がリヴァー旅行記」からしてブラックユーモアの宝庫であるし、また、貧困児童対策の決め手として、児童肉食の普及を、それも大真面目に主張したことはあまりにも有名である。

そこで筆者はスウィフトのブラックユーモアについて、聊か記憶を新たにしようと思って、中野好夫のこの本を紐解いたわけであった。この本は若い頃に読んで大いに感心したことを覚えているが、中野はこの本の中でたしかスウィフトのブラックユーモアをわかりやすく紹介していたはずだ、そう思ったからである。

筆者のかすかな記憶では、この本の真骨頂は児童肉食を紹介したところだと思っていたが、もっと広範な見地からスウィフトのブラックユーモアを紹介していた。というのも中野はこの本で、スウィフトの人間像を余すところなく紹介しるつもりでいるのだが、スウィフトの人生そのものがブラックユーモアのようなものだったので、彼の生き方を紹介することは、勢い彼のブラックユーモアをもれなく紹介する仕儀とはあいなるはずなのだ。

というわけでこの本を読むと、スウィフトのブラックユーモアの特徴がよくわかる。中野好夫自身が非常に良心的で真面目な性格の学者だけに、そのことの反射的な効果として、スウィフトのブラックユーモアが如実に浮かび上がってくるのである。



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