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末近浩太「イスラーム主義」


イスラームというと、筆者も含め大方の日本人にとっては、西洋的な価値観とは異なる独特の価値観をもとに、西洋文明と厳しく対立し、自らの主張を通すためにはテロなどの暴力も辞さないというようなイメージが流通している。実際近年世界中を騒がしてきたアルカーイダとかISとかいったものは、イスラームの申し子のようなものとして受け取られている。そこからイスラームはテロのイメージと結びつき、すべてのイスラーム教徒がテロリストではないが、テロリストはすべてイスラーム教徒であるといった言説が横行している。

また、イスラームをイデオロギー対立のプレーヤーと見る見方もある。それによると、人類というものは、人類同士互いに敵を必要とする存在で、どんな民族社会も常に敵を設定することで民族社会としてのアイデンティティを保持してきた。欧米社会においては、一昔前までは、共産主義が敵役をつとめさせられてきた。ところがその共産主義が力を失った今、それに代わるものとしてイスラームが登場したわけだ。こうした見方によれば、イスラームは西洋的な価値観とは相容れない敵であるので、それとの融和は論外ということになる。別に新しい有力な敵が現れるまでは、必要な(敵対的)パートナーとして要請され続けるだろうということになる。

そんなわけで、イスラーム主義というのは、そんなに古いものではない。もともとは西洋的な価値観の対立者として、西洋的なものとの間で相関的な役割を演じてきたということからして、近代以降のものと言える。無論イスラーム自体は千数百年の歴史を有しているが、それがイデオロギーとしてのイスラーム主義に変貌するのは、近代以降の比較的新しい現象だということらしい。

末近浩太の著作「イスラーム主義」は、イスラーム主義の歴史と今日的な意義について考察したものである。末近は、イスラーム主義を定義した上で、それが二十世紀始め以降の比較的新しい現象だとすることから考察を始める。その定義とは次のようなものだ。イスラーム主義とは、「宗教としてのイスラームへの信仰を思想的基盤とし、公的領域におけるイスラーム的価値の実現を求める政治的なイデオロギー」というものだ。こう言われると、イスラーム主義とは、宗教と政治を一体化させる祭政一致のイデオロギーのように聞こえるが、末近はそれをあえて否定してはいない。

こうしたイスラーム主義のイデオロギーが登場してきたのは、トルコ帝国の解体がきっかけになったと末近は押さえる。トルコ帝国は数百年にわたってイスラーム世界を統治し、そこでは宗教と政治が対立することはなく、両者はいわば蜜月の関係にあった。ところがトルコ帝国が西洋列強によって解体され、従来その版図に属していた地域が、列強による恣意的な分割統治によってばらばらに解体された。それにともなって、政治におけるイスラームの力も弱まり、西洋風の世俗化が進んだ。イスラーム主義とはそのような傾向に危機感を覚えた者たちが、イスラームと政治の融合を目指しながら、解体されたイスラーム社会を再び統合しようとする動きとして始まった。つまりトルコ帝国に体現されていた政治と宗教との再融合を目指すもの、それがイスラーム主義だったと末近は理解するわけである。

そんな理解に立って末近は、二十世紀におけるイスラーム主義の動きを歴史的にあとづけていく。イスラーム主義の運動の初期においては、イスラーム主義には、イスラームの平和主義を反映して暴力的な要素はほとんどなかった。ところが運動のある一定の段階で、暴力主義的な傾向が高まってきた。ジハードを標榜する動きがそれである。ジハードの運動は2001年の9.11にピークを迎えるが、それをきっかけとして欧米の反イスラーム傾向が高まった。欧米ではこれ以降、イスラームとテロをストレートに結びつけることが当たり前のことになったのである。

イスラーム主義運動のもう一つのピークは2011年のアラブの春というかたちでやって来たが、これも不幸な結果になった。民主化運動の結果登場した政権が、イスラームを強要した結果、世俗派の勢力の支持を失い、政権から追われたのだ。このことを末近は次のように総括している。

「『アラブの春』を経て、イスラーム主義は、独裁政治の復活、テロリズムの蔓延、宗派の違いを軸にした内部抗争、言い換えれば、権威主義、過激主義、宗派主義という三つの『主義』による三重の苦難に直面した」

アラブの春が失敗に終わったのは、イスラーム主義が世俗的な価値観と融和できなかったせいだと末近も分析する。トルコ帝国の解体から百年たって、バラバラに解体された国家群はそれぞれ独自の発展を遂げてきているし、各国の内部では世俗派の影響力が強まっている。その世俗派を欧米諸国が後押ししている。そうした中での強引なイスラーム化は、国内の対立を深化させるとともに、欧米からの介入も招く。

それ故イスラーム主義にとっての今後の課題は、世俗派とどのように折り合いを付けるかということになる。その世俗派は一応民主主義を旗印にしているので、イスラーム的な価値観を民主主義にどうどう接ぎ木するかも大きな課題になる。

末近は著作の冒頭部分で、「イスラーム主義は、『帝国後』の時代の中東を席巻していった世俗主義に対する反動、さらには、西洋的近代化を所与のものとしない、『もう一つの近代』を目指すイデオロギーとしての性格を有している」と言っているが、西洋的な近代化とは別のもう一つの近代化のモデルが加納なのかどうか、それがイスラーム主義の直面する最も重い課題ということになろう。末近はどうも、その課題が解決可能のように考えているらしく伝わってくる。



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