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サッチャー時代のイギリス:森嶋通夫


森嶋通夫が「イギリスと日本」(正・続)で取り上げたのは、いわゆるイギリス病の問題だった。イギリス病を森嶋は、資本主義の自然に行き着く先として、ある種避けられない事態として見ていたようだ。イギリスは確かに、昔に比べれば病的になったと指摘できるかもしれない。だが、日本と比べてそんなに悪い社会ではない。かえって善いところのほうが多い。だから、イギリス病を頭から否定するのは間違っている、というようなスタンスが伝わってきたものだ。

サッチャーはそのイギリス病を治療しようとして、かえって病気を悪化させ、その結果「イギリスの悪い所も、善い所も、数多くすっかりぶちこわして」しまった、つまりイギリスをめちゃくちゃにこわしてしまった、と森嶋はいう。「サッチャー時代のイギリス」と題したこの本は、サッチャーによるイギリス破壊の実相について分析したものである。

サッチャーは、新自由主義的な思想を本格的に政治に持ち込んだ最初の政治家といわれる。新自由主義というのは、自由放任的な資本主義を理想とするものであり、ケインズ的な介入主義に敵対する。ましてや本格的な社会主義は不倶戴天の敵である。ところがイギリス病の症状というのは、社会主義的な政策が病因となっている。だからそうした社会主義的な政策を悉く廃止して、自由放任時代に戻る必要がある。サッチャーの政策の本質は、経済発展を逆戻りさせて、昔のよき時代にイギリスを戻すことにある。サッチャーは「ヴィクトリア時代に戻れ」を合言葉にして、復古主義的な政策を進めた。それを森嶋は、マルクス反革命とかシュンペーター反革命とかいう言葉で表現する。

マルクス反革命というのは、マルクス主義的な社会主義に敵対し、自由放任主義を復活させるという意味でわかりやすい。それに対してシュンペーター反革命という言葉はわかりにくい。森嶋独自の言葉である。森嶋はシュンペーターを、経済学者としてはイノベーションの理論家と定義する一方で、社会思想家としては、ある種の社会主義者と見ていたようだ。シュンペーターはマルクスの影響を強く受けており、それがかれを社会主義に傾けたというのである。だが、マルクスのように暴力的な階級戦争としての革命を主張することはしなかった。革命などおこらなくても、資本主義は自然と社会主義に転化すると見ていた。高度資本主義では、企業家的なイノベーションはかげをひそめ、官僚的な企業経営が支配的になる。資本家がみずから経営する時代は過ぎて、資本家と分離した経営者たちが企業を経営するようになる。それは経営の社会化である。その社会化の傾向が進化していくと、やがては経済全体がある種の社会主義へと転化する、そのようにシュンペーターは捉えていた。サッチャーのシュンペーター反革命とは、そうしたシュンペーター的意味での社会主義化に反対して、自由放任時代の初期資本主義社会へと百八十度反転させることを意味しているわけである。小生などは、こうした動きを反動というところだが、森嶋は反革命という大げさな言葉を使うことで、サッチャーの大きな意気込みを認めてやろうというわけだろう。

森嶋の見立てによれば、イギリスはサッチャーが登場する直前までに、労働党政権によって社会主義的な政策が進められ、企業の国有化や手厚い社会保障といったものが広く実現していた。その結果イギリス病といわれるような事態が起きたわけだ。サッチャーはそれへの反動として、労働党によるさまざまな社会主義的政策をことごとく廃棄して、新自由主義的な政策を推進しようとした。さすがに社会保障制度を一夜で破壊するような荒業はできなかったが、国有企業の私有化をはじめ、社会主義的な政策への攻撃はかなり成功した。そのほかにも、ヴィクトリア時代にノスタルジアを感じるサッチャーらしく、教育や医療の分野でも、保守的な政策が推進された。また、富裕層への減税を進める一方で、国防予算を飛躍的に増加させるなど、矛盾した政策も行っている。これは自分の支持基盤であるブルジョワ層の歓心を買う一方で、フォークランド紛争など、対外的な摩擦を煽ることで、国民の民族意識に訴えるという魂胆をあらわしている。森嶋によれば、フォークランド紛争は、実利的には何の意味もなく、単に民族主義を煽るための方便だったということになる。サッチャーがフォークランド紛争を通じて国民の熱狂意的な支持を集め、長期政権の基盤を築いたことは周知のことである。

こんな具合に、サッチャーを見る森嶋の視線にはかなり厳しいものがある。政治の世界には無論保守の立場もあるわけだが、サッチャーは保守というより右翼、それも極右といってよい。極右の連中がたいていそうであるように、サッチャーもゆるがぬ信念を持って極右的な政策に邁進していく。その姿を森嶋は、極右の狂人といったイメージで捉えている。一心不乱に自分の信念を実現する、その結果国がどうなるのか、そこについてはあまり自覚的ではない。自分の信念だけが問題なのである。

サッチャーは社会主義を敵視し、イギリス病は社会主義がもたらした病気だと考えた。サッチャーがいう社会主義とは、自由放任と逆のものなので、ケインズも社会主義の輩である。そのケインズは、産業の振興と失業の解消に意を尽くした。それに対してサッチャーがやったことは、金融などのサービス業の振興であり、失業の解消には意を用いていない。じっさいサッチャーの政策によって、イギリスの失業者は100万人から300万人に増えたのである。

森嶋がこの本を書いたのは、1988年のことで、サッチャーはまだ現役だった。サッチャーが引退するのは1990年のことだ。首相に在職すること、じつに11年以上であった。国民の間に不人気であったサッチャーがなぜそんなにも長く首相を務めることができたのか。サッチャーが引退したのは、保守党内の権力闘争に敗れたためで、国民からノーを突きつけられたからではない。もし保守党内の権力基盤が強かったら、もっと長く首相をやったかもしれない。

サッチャーが残したものは、効率優先の偏った社会だと森嶋はいう。社会というものは、すべてが効率で測れるものではなく、それ以外の要素も必要だ。そのさいたるものはゆとりだろう。ゆとりのない社会は息苦しい。森嶋は、サッチャー以前のイギリスにはそうしたゆとりがあったという。そのゆとりがイギリスらしさといわれるようなものを支えていた。それがサッチャーの目には、イギリス病と映ったわけだ。

森嶋自身は、いわゆるイギリス病を頭から否定はしない。シュンペーター同様、資本主義の発展がもたらした、ある意味自然な帰結と捉えている。資本主義にもいろいろな矛盾がある。その矛盾を放置しておくと、マルクスの予言が実現するだろう。そうさせないためには、矛盾を解決して資本主義の延命を積極的に図る必要がある。企業の公有化とか社会保障の充実とかは、資本主義の延命にとっては欠かせないことなのだ。それを破壊して、自由放任の状態に逆戻りすることは、かえって資本主義の矛盾を再拡大させることにつながり、したがって資本主義の危機をもたらすことにつながる、というのが森嶋の基本的な考えのようである。



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