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サッチャー贔屓の日本人


トランプを贔屓する日本人がいるように、サッチャーを贔屓する日本人もいた。トランプやサッチャーを贔屓するのは、だいたいが右翼だと思うのだが、右翼というのは民族主義的心情を強く持っていて、したがって排外的なのが普通である。排外主義者同士が面と向き合うと、それぞれ自国中心の立場から反発しあうのが自然なはずなのに、事情によっては惹きつけあうこともあるらしい。そのへんは人間のことだから、合理的に割り切ることが出来ないということか。

森嶋通夫が、サッチャー贔屓の日本人として取り上げているのは、渡部昇一と会田雄二である。右翼のラウドスピーカーとして鳴らした人達だ。それぞれ独自の理屈からサッチャーをたたえている。その主張を森嶋は軽蔑を込めて否認しているのだが、それは彼らが、誤った事実認識にもとづいて、根拠のない主張を垂れ流していると思ったからだ。

渡部は、サッチャーの反共主義を高く評価している。自分自身反共の闘志として自覚していたらしい渡部にとっては、自然に共感できるところだろう。世界中の右翼に共通点があるとすれば、それは反共ということ以外には見当たらないから、渡部が反共を通じてサッチャーに親近感を抱くのは不思議ではない。

会田のほうは、サッチャーの支配者意識・国家意識に共感を持ったということらしい。支配者意識とか国家意識とかは、具体的な話になると、国同士の対立になりがちだが、抽象的なレベルでは、互いに盛り上がる材料になるようだ。国名をとりあえず脇へ置けば、国を愛するという感情は国境を超えたものだから。

ところで会田といえば、白人種の女への敵愾心を隠さなかった人物だ。それは彼自身の体験に根ざしている。彼は戦時中英軍の捕虜になったことがあったが、その際に白人種の女が日本人捕虜の前で平気で全裸をさらすのをみて、こいつらは自分たちを人間として見ていないのだと思い、憤りを感じたことがあった。それ以来会田は、白人女にコンプレックスを感じるようになったようなのだが、どういうわけかサッチャーについては、そうしたコンプレックスを感じずに、素直に愛することができたということらしい。サッチャーのうちに、同じ志を感じたのだろう。サッチャーは会田にとって、恩讐を超えた同士なのであろう。

ところで森嶋は、シュンペーターを批判して、知識人がみな左翼的になると思うのは間違いだと指摘している。資本主義の発展は大量の知識人を生み出すが、かれらはみな左翼的な傾向が強く、したがって社会主義・共産主義への抵抗感が弱い。だからかれらが中心となって、社会主義化が進むのは避けられない、とシュンペーターは考えた。それが間違っているのは、いわゆる御用学者など右翼的な傾向の知識人が絶えないばかりか、そういう連中のほうに勢いがあることからもわかる。日本の場合についていえば、左翼知識人に比較して、右翼の知識人に勢いがないとはいえない。かえって声が大きなほどである。日本の保守政治がそうした右翼的な知識人に支えられている側面もある。渡部や会田は、そんな右翼知識人のチャンピオンとして、時代のラウドスピーカーをつとめたわけであろう。



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