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日本にできることは何か:森嶋通夫の東アジア共同体論


森嶋通夫は、1999年に書いた「なぜ日本は没落するか」の中で、日本が没落を免れるための施策として「東アジア共同体」構想を提起した(アイデアそのものは1995年に「日本の選択」の中で提示していた)。その構想を、中国人に向かって直接説明したのが、「日本にできることは何か」(2001年)である。これは、天津の南開大学で行った講演をもとにしたものである。森嶋は、中国の大学生は日本のそれよりずっと優秀だから、自分の構想を前向きに受けとめてくれるのではないかと期待していたようだ。

日本は、中国を含め、東アジア諸国に対して過去にひどいことをしてきており、また大東亜共栄圏のような地域共栄圏構想をぶちあげたこともあるので、自分の東アジア共同体構想が白い目で見られることを恐れたとみえて、森嶋は中国の学生たちに対して、かなり低姿勢で自分の構想を説明している。この講演は四回シリーズだったが、まずは日本が過去に犯した蛮行への謝罪から話を始めている。その上で、この構想が、ひとり日本のみならず、中国はじめ東アジア諸国にとっても、大きなメリットがあると説得するのである。

森嶋がこの構想を抱くについては、EUの実験が念頭にあったのだろう。この本が刊行された時点では、EUの統合はかなり進み、通貨統合も視野に収まっていた。そうした状況を踏まえて、森嶋はヨーロッパに本格的な地域共同体ができると予想し、それが国際関係に及ぼす巨大な影響を考えるにつけても、東アジアにも同様の地域共同体を作る意義について、信念を深めたに違いない。森嶋は、21世紀の地球は、諸国家が国家単位に関係しあうのではなく、地域ごとに広域共同体が幾つか結成され、その共同体が集まって国際社会が運営されていくだろうと考えた。そうした動きを、日本は積極的に進めていかねばならない。でなければ、日本には没落を免れる可能性は非常に少ない。そう思って、この構想の意義を更に深く掘り下げると共に、東アジア諸国、とくに中国に向って説得を開始したということのようである。

そういうと、この構想が外圧に促されたように聞こえるが、かならずしもそれだけではない。日本の人口減少傾向は確固としたもので、遠からぬうちに深刻な労働力不足に直面するであろう。その場合、いまの体制を前提とすれば、日本は諸外国から労働力を受け入れざるを得なくなるが、その場合に深刻な問題が生じることが予想される。現在の国家の枠が、そうした労働力の移動に、さまざまな問題を投げかかる。それはすでに外国人労働者をめぐる問題として顕在化しているところでもある。そういう諸問題は、東アジア共同体ができることで、劇的な解決が期待できる。東アジア共同体ができることで、その成員にある種の連帯意識ができるようになれば、域内の労働力の移動は、外国人労働力の移動ではなく、域内の共通の問題として受け取られるであろう。

これは日本にとってのメリットだが、他の国にとってもメリットはある。韓国や台湾にとっては、先進的な資本主義国として、日本と同様のメリットが期待できる。一方、中国の奥地や北朝鮮については、開発を促進するメリットがある。森嶋は、この共同体構想の最大の目的を、地域全体がもつ開発可能性を最大限高めることに見ている。とりあえずは、政治的な共同体としてよりも、経済的な共同体、それも開発中心の共同体にしたいと考えるのである。開発による利益は、当該の国をうるおすばかりではなく、日本など先進資本主義国をもうるおす。要するにいいところばかりなのである。

森嶋は、共同体メンバーとして、日本、中国、南北朝鮮、台湾を想定している。この四カ国は、歴史的にも文化的にも共通するところが多く、一体化した共同体になじみやすい。問題は、その諸国が資本主義国と社会主義国に分かれていることだ。これについては、香港をモデルとした一国二制度で対応できると考えている。体制を無理に一致させなくとも、共同体をうまく運営していくことはできる。その運営が機能すれば、そこから新しい体制のあり方が模索されもしよう。とりあえずは、共同体を作ることで、参加する諸国が大きなメリットを享受できるということが肝要だと森嶋は考えるのである。

森嶋の構想には、たとえば沖縄を独立させて、そこに共同体の首都を置くなど、奇抜な考えも含まれているが、現実問題として巨大な意義を持つのは、日本にとっての、対米安保体制の問題だろう。これについて森嶋は、日米安保を解消した上で、共同体全体として、アメリカとの間に新しい友好関係を構築すべきだと考えている。将来の日本は、アメリカに依存するのではなく、東アジア共同体の有力な構成員として、自立した道を模索すべきだというのが森嶋の考えなのである。

以上のような森嶋の提言は、日本においてはほとんど無視に近い扱いを受けたし、中国においても評判にはならなかった。現実の動きは、東アジアの諸国が結びつきを深めるどころか、互いに反目しあう傾向が優勢である。森嶋は、アメリカや他の域外諸国との結びつきを深化させるのを控えて、東アジア諸国との結びつきを深化させるべきだと主張したのだったが、その主張と裏腹に、TPPのような広域経済協力関係が進んでいる。TPPは、日本にとっては好都合だが、あくまでも目先の経済的なメリットをねらったもので、長期的な構想に欠けている。日本は、TPPでの主導権を確保することを目的として、中国の参加には後ろ向きである。つまり、東アジアの諸国を結びつけるのではなく、互いに離反させるような動きに熱心である。これは森嶋の意図に大いに反する動きだ。

森嶋は、日本が東アジア共同体のメンバーとして、東アジアに将来の足がかりを求めるべきだと考えたわけだが、現実には、森嶋の死後、日本はアメリカへの従属を一層深め、中国や南北朝鮮と対立を深めている。そういう有様を見ると、日本のいまの支配層は、日本はアジアのリーダーとしてではなく、アメリカの番犬として生きつづけていくのがよいと考えているようである。

森嶋がこの本を書いた当時は、日中関係はまだ友好的だった。その後、中国が経済発展を加速し、日本を上回る国力を持つようになると、中国の自己主張が強まる一方、日本にはゆとりがなくなって、その分鷹揚さを発揮することもなくなった。そういう趨勢のなかで日本は、アメリカの核の傘のなかで安全を確保しながら、東アジア諸国に対しては高圧的に臨むという、過去の歴史から何も学んでいないような態度を取り続けるのであろうか。



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