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西山隆行「移民大国アメリカ」


この本は2016年に書かれた。アメリカ大統領選挙の真っ最中で、有力候補者のトランプが移民を激しく攻撃していたときだった。トランプは、メキシコからの不法入国者をやり玉にあげ、かれらを殺人犯や強姦魔だと根拠もなく罵り、その不法入国を防ぐためにメキシコとの国境に壁を作り、その費用をメキシコに負担させることを公約にした。そんなことで、移民問題は熱いテーマになっていた。この本はそうした事態を背景に書かれた。

アメリカが移民によって成り立ってきた国であり、いまでも多くの移民を合法的に受け入れていることはよく知られている。この本は、そうしたアメリカの移民についての歴史的な経緯を踏まえながら、今日のアメリカが直面している移民問題を、掘り下げて考えようとするものだ。

アメリカの移民政策を単純化していうと、次のようになるという。「一般に、アメリカ人が自国の政治社会の安定に自信を持ち、その経済的繁栄を疑わない時には、人種的・民族的差別感情も弱くなり、安価な労働力に対する需要も大きくなるため、開放的な移民政策が採用される。逆に、政治社会が動揺し、不況が見舞うと、移民は低賃金や文化的分裂をもたらすものとして嫌悪され、排斥されてきた」

これを現在(つまり2016年)のアメリカにあてはめると、今のアメリカは、政治社会が動揺し、経済的にうまく行っていないということになる。果たしてそうか。どうもそう単純には言えないようである。アメリカの政治社会が、人々の格差の拡大によって分断気味なのはいえるとしても、そう深刻とも思えないようだし、経済も、2016年の時点では、不況というほどひどくはなかった。やはり、トランプという特異なキャラクターが、移民問題を実情以上にひどく歪曲したということだろう。

しかし、オバマ時代にも、移民に対して開放的な政策が取られていたわけではなかったという。オバマは、不法移民の一部に合法移民としての資格を与えようとはしたが、その数は多いわけではなかったし、不法移民については、厳しく取締り、強制送還も行っていた。そういう意味では、トランプ以前にアメリカは移民に対して不寛容な国柄になってきつつあったというのである。

アメリカ人が移民に対して不寛容になる主な理由は二つ。一つは、貧困な外国人がアメリカの社会保障をあてにして、それを食い物にしているのではないか。また、かれらが低賃金に甘んじることで、アメリカ人の賃金が下がるのではないかという懸念もある。二つ目は、移民が様々な犯罪に手を染め、アメリカの治安を悪化させるのではないか、という懸念である。

この二つの懸念は、どちらも根拠がないと著者はいう。アメリカの社会保障には厳しい受給要件(たとえば年金については、10年以上の労働と納税)があって、そう簡単には受給できない。また、移民による犯罪が多いという証拠はない。アメリカの憲法には、日本のそれのような生存権の規定はなく、国家は、移民どころか普通の国民にも、手厚い社会保障を施す動機をあまりもたないのである。オバマケアは画期的な制度だといわれるが、それでも日本の社会保険のような手厚いサービスは含んでいない。

以上は、アメリカの移民問題についての総論的な説明だが、各論としては、移民の社会統合、移民によるロビイング活動(エスニック・ロビイング)及び共和・民主両党の移民に対する政策などが語られる。エスニック・ロビイングのもっとも成功した例としてユダヤ人の活動が紹介される。ユダヤ人の活動は、イスラエル国家の方針と密接に結びついている点で、トランスナショナルな性格を帯びていると著者はいう。アメリカのユダヤ・ロビーは、イスラエル・ロビーと言うべきだというのである。

アメリカの移民のうち、もっとも重要な意味を持つのは中南米系の移民だという。ヒスパニックともいわれるこの人たちは、いまや黒人人口を抜き、近い将来には人口の三割を占めることが予想される。かれらに対してトランプの共和党は厳しい姿勢を見せているが、今後ヒスパニック系が政治の行方を左右するようになれば、共和党もその傾向を踏まえて、移民政策を検討せざるをえなくなるだろう。政党の立ち居地は、時代の傾向に応じて変化してきた。たとえば伝統的に民主党の地盤だった南部が共和党に鞍替えしたとか、白人労働者層が共和党に鞍替えするといった現象は、そうした変化を物語るものである。

最後に、日本の将来の移民政策の是非について論じられる。その場合に、基本的な前提となるのは、日本の長期的な人口減少傾向である。人口問題研究所の予測によれば、日本の人口は2060年には8700万人に減少する。こうした傾向を前にして、日本には二つの道が考えられる。ひとつは人口減少に応じて、社会経済をダウンサイジングすること。これだと、いまのドイツ程度の経済規模に甘んじるということになる。もう一つは、将来もいまと同じような規模を維持することにこだわること。これだと、労働力を補充する必要があるわけで、その補充は移民によるほかはないということになる。移民問題は、もはや避けて通ることができない、喫緊の課題となっているわけである。著者自身は、人口減少にあわせて社会経済をダウンサイジングし、それにあわせたライフスタイルを確立したほうがよいと考えているようだが、経済界やその意向を踏まえた政治家たちは、事実上移民を受け入れて、経済規模を維持しようとしている。もしそれを本格化させようとするなら、日本はきちんとした移民政策を整備しなければならない。安倍前首相のように、外国人を受け入れながら、移民としてではないと言っているようでは、日本という国の評判を落とすことになるだろう。そう著者は言って、移民問題を慎重に取り扱うべきだと警告している。



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