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シャルリとは誰か?:エマニュエル・トッドのイスラム恐怖症批判


「シャルリ」とは、露骨な人種差別を売り物にするフランスの俗流雑誌「シャルリ・エブド」のことである。日本人を下等動物のように描いたこともある。その雑誌が、イスラム教のムハンマドを侮辱したことに怒った青年らが、雑誌社を襲って社員たちを殺害する事件が起きた。その直後、2015年1月11日に、反イスラムデモがフランスじゅうで沸き起こった。そのデモの合言葉は「ワタシはシャルリ」というものだった。デモの参加者たちは、そうした合言葉を使うことで、自分たちにはイスラムを侮辱する権利があると主張したのだった。デモの先頭に立ったのは社会党の大統領オランドだった。オランドは日頃仕事をさぼってばかりいるのに、この日だけは生き生きとしていた、というのがエマニュエル・トッドの見立てである。

この運動に代表されるような反イスラム感情が、フランスはじめヨーロッパ諸国で高まっている。フランスはそれまで、人種差別のひどい国とは思われていなかったので、この突然の反イスラム感情の爆発は無気味なものだった。なぜなら、そうした人種差別的な意識の蔓延は、容易に反ユダヤ主義の暴発を許すからだ。ユダヤ人を自認するトッドにとっては、これは自分の身の危険に直接つながるような問題なのだった。

この本の中でトッドは、エリック・ゼムールを厳しく批判している。フランスの極右政治家で、あからさまな人種差別をためらわない。ところがゼムールは、アルジェリアのユダヤ人の家系から生まれたのである。その家系のゼムールが、家族の出身地である北アフリカのマグレブを攻撃しているのは、それ自体グロテスクな眺めだが、問題はユダヤ人のゼムールがそれをしているということだ。かれは、反イスラム感情の拡大が人種差別意識を養い、それが反ユダヤ主義の増長につながるということを理解していないのか、とトッドは考えるようなのである。

この反イスラム感情は、いまのところフランスでは、普遍的な現象にはなっていない。各地の反イスラムデモを分析してみると、デモを主に担っていたのは、トッドがMAZと名付けるカテゴリーの人たちだ。MAZとは、管理職、高齢者、ゾンビ・カトリシズムの頭文字を組み合わせたもので、要するに中産階級の上層部にあたる人々だ。その人々に、中産階級の中間の人々がくっついて、このデモ騒ぎを巻き起こした。労働者は全く無関心といってよかったし、若者たちにもこの運動への共感は見られなかった。要するにフランスの諸階級のほんの一部分、それも中産階級の中間から上の部分の人々がこの運動を担っていたとトッドは言うのである。

その背景には、フランス社会の変化があるという。かつてのフランスは、フランス革命の理念である自由・平等・友愛を至上価値としてきたのだが、それが近年軽視されるようになってきている。とくに平等が軽視され、差別を是とする意識が強まっている。それが反イスラムを助長するというのだ。その背景にはさらに、ユーロを象徴とするグローバリゼーションの風潮がある。グローバリゼーションは、トッドによれば、格差と分断を生み出すシステムであり、そのシステムがイスラムに対する侮蔑的な態度を助長するというのだ。そのシステムを牽引しているのは、ドイツやアングロ・サクソンであるが、ドイツはその権威主義的で差別的な家族関係が、社会における差別意識の土台となっている。それに対してフランスは、平等な家族関係をもとに、人種間の平等にも寛容だった。その点はイスラムも同様で、家長の権威の強さと反フェミニズム的傾向を別にすれば、イスラムの族関係も社会システムも非常に平等的である。つまりイスラムは、本来フランスと同じ価値観を共有できる間柄にかかわらず、どういうわけかフランス人の反イスラム感情の高まりを我々は目撃している。そう言ってトッドは嘆いてみせるのである。

そうした差別感情をもっとも強く体現しているのが、MAZといわれる階層である。なかでも高齢者は、平均余命の延長もあって、フランスの人口のかなりな部分を占めるようになった。いまや、フランスの政治的な政策は、ほとんど高齢者の利害に沿ったものになっており、若者の未来など考慮されていない。未来どころが現在についても、若者は高い失業率に直面して、生活基盤をおびやかされている。そんなフランスにどんな未来があるというのか。若者にとって未来に希望を持てない社会は、健全に持続できるわけがない。

以上、トッドの筆には力みを感じるのだが、それはユダヤ人としての自分の出自を強く意識しているからに違いない。ヨーロッパで反ユダヤ感情が高まり、かつてのようなユダヤ人迫害がおきると、ユダヤ人であるトッドにとって、ヨーロッパには居場所がなくなる。そうなったらアメリカへ移住するほかないだろう、そうとまでトッドは覚悟しているのである。

なお、この本を書いた直後、トッドはすさまじい攻撃に見舞われたそうだ。日本語版へのあとがきのなかで、六か月にわたって侮辱を受け続けた結果、トッドは「表現の自由が、そしてとりわけ討論の自由が、現時点においては、フランスではもはや本当には保障されていないと認めるに至ったのです」と書いている。

トッドはそうしたフランスの人種差別を集団ヒステリーといって軽蔑しているが、同じようなことが、ロシアによるウクライナ侵攻をめぐっても生じている。ウクライナ問題の第一の責任はプーチンが負わねばならないが、しかし欧米の反ロシアキャンペーンには、どこか異常なところがある。トッドはこの本の中で、西欧人にはロシア恐怖症というべきものが身に染みてあると言っているが、そうした堅固な人種差別感情が、ウクライナ問題をきっかけにして吹き出したと思われるフシがある。




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