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エマニュエル・トッド「問題は英国ではない、EUなのだ」


エマニュエル・トッドの著作「問題は英国ではない、EUなのだ」(文春新書)は、タイトルから推察される通り、ブレグジットをめぐる論争において、英国は正しい選択をしたとたたえる一方、EUのグローバリゼーションを批判したものだ。トッドはグローバリゼーションに否定的で、国家の役割を高く評価している。今回、英国がブレグジットを通じて示したのは、国家の復権であったと言うのである。

グローバリゼーションは、新自由主義の申し子だとトッドはいう。新自由主義は、個人の利益を最大化し、それがある種の予定調和を通じて社会の発展をもたらすと考えてきたが、それは間違っているとトッドは言う。新自由主義とグローバリゼーションがもたらしたのは、格差と分断である。これ以上それらが進展すると、国家も社会も崩壊するだろう。ところが、国家と社会が崩壊しては、個人の存立も成り立たない。英米は伝統的に個人の自由度が高い社会だったが、それは個人が成り立つためのセーフティネットが整備されていたからだ。そのセーフティネットがあるおかげで、個人は一人でも生きていける。だが、国家を破壊してセーフティネットをずたずたにしてしまうと、個人の自由も成り立たなくなる。そうトッドは考えるのである。

新自由主義とグローバリゼーションがこれ以上進んでいくと、世界的な規模で、不安定が拡大する。だから、それを止めるためには、国家の復権をめざさねばならぬ。今回、英国が世界に向かって示したのは、国家の復権というものだった。国家の復権は、単なるナショナリズムの問題ではない。社会と個人が安定して生きられる基盤を再構築するために必要不可欠な事柄なのだ、というのがトッドの考えである。つまりトッドは、国家を通じて個人の生活基盤を成り立たせることを最重要の課題と考えているわけである。

EUによるグローバリゼーションは、その実ドイツによる支配であるとトッドは言う。フランスやイタリアはじめ他の国はドイツの使用人の位置に甘んじている。ドイツがやっていることは、各国の国民の生活の安定ではなく、ドイツにとって都合のよい経済政策である。ギリシャ危機に見られたように、ドイツは自国経済を守るためにはギリシャの破産もいとわなかった。ギリシャが破綻しかけたのは、自国の通貨の独立を失ったせいである。その結果、経済を通じてドイツに従属してしまった。同じようなことが、フランスを含め、他の国で起きる可能性は十分にある。このままでは、ヨーロッパはドイツ帝国主義の草刈り場になってしまうだろう。そうならせないためにも、グローバリゼーションをやめさせて、各国の主権をとりもどさねばならない。そういう意味でEUは、解体されるべきであり、また解体される運命にある、なぜなら、国家とか民族といったものは、人間社会に深くビルトインされており、廃絶することができないばかりか、なくてはならない基盤だからだ、とトッドは考えるのだ。

こう言うと、トッドが国家主義者のように見えてくるが、トッド自身は、究極的な個人主義者を自認している。通常の感覚では、個人主義と国家主義とは相反すると見えるが、トッドにとっては、国家は個人に対立するのではなく、個人が個人として生きていくための基盤を提供するものなのだ。だから、国家が崩壊すると、個人も健全な生き方の基盤を失う、というふうに考えるのである。

この本は、日本の雑誌に発表した文章を中心に組みたてられており、日本の読者を強く意識している。そこで日本の将来における提言も出てくる。興味深い提言が二つある。一つは移民問題である。日本は、ドイツと並んで出産率が異常に低く、少子化・人口減に直面している。ドイツはそれを移民の受け入れによって解決しようとした。日本は、移民の受入れには及び腰だが、将来その必要性に直面するだろう。移民を受け入れねば深刻な人口減を手当することができず、日本経済は劇的に縮小することを余儀なくされる。場合によっては、社会の存立が危うくなるだろう。だから移民の受入れは避けられない、というのがトッドの見立てである。

日本が外国人を入れたがらないのは、なにも外国人ぎらいだからではなく、日本社会が日本人同士でうまくいっていて、なにも外国人の手を借りなくてもすんできたからだとトッドは分析しているが、それは甘い見方かもしれない。在日韓国・朝鮮人問題に見られるように、日本社会の外国人嫌い体質には根深いものがある。この先移民を受け入れて、うまく付き合っていける保証があるとは決して言えないのではないか。人口減少に対しては、従来の経済規模を維持するために、ドイツのように積極的に移民を活用するという方法のほかに、経済が縮小したならば、それに合わせて身の丈にあった生き方をするという選択もある。そこは日本人自身が決めることだろう。

もう一つは、将来の日本の国としての方向性である。日本が東アジアに位置しているという地政学的な条件を、トッドはほとんど考慮していない。かれが考慮しているのは、社会の構成原理である。そうした構成原理を共有する国と今後も仲良くしていくのがよい。具体的にいうと、中国とは距離を置いて、アメリカと引き続き仲良くするのがよい、ということだ。面白いのは、トッドがロシアに好感をもっていることだ。トッドにとってロシアは、平等で民主的な国柄なのであり、中国の権威主義とは根本的に異なっている。だから平等と民主主義に価値をおく日本にとって、仲良く付き合えるはずだ。そうトッドは言うのであるが、それは贔屓の引き倒しと思わせるところがある。今般のウクライナ侵略は、ロシアの凶暴性を実証したようなものだ。じっさい今でも日本は、ロシアによって国土の一部を侵略されているのである。そんな国と、簡単に仲良くできるわけがない。




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