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ねじめ正一「認知の母にキッスされ」を読む


ねじめ正一の著作「認知の母にキッスされ」は、認知症に陥った母親の介護記録である。その母親は、ねじめ正一が63歳の時に認知症の症状が出始め、69歳の時に亡くなったというから、六年間母親の介護を続けたわけである。最初は在宅介護だったが、同居していたわけではないので、母親が弟一家と住んでいる家に赴いて介護した。その後肺炎で病院へ入院し、民間老人施設と公立の特別養護施設を経て、最後は病院で死んだ。その六年間の間、ねじめはほぼ毎日母親のもとに通って、献身的な介護を続けた。この本はそんなねじめと母親の触れ合いを中心に、施設で知り合った人々との触れ合いも含め、人が老いて死ぬことの意味について、著者自身が考えをめぐらせるといった体裁のものだ。

ねじめは作家だというので、かれの文章には迫力がある。その迫力のある文章で、自身の介護の実態と、認知症患者が置かれている日本の状況などについて、じつに丁寧に描いている。それは真に迫った描写なので、同じように母親の介護体験がある小生にもひしひしと迫ってくるものがある。とくにねじめが、母親の境遇と自分の無力について溜息をもらすようなところは、自分のかつての体験を思い起こさせて、おもわず涙をこぼすことも多々あった。

ねじめは、母親にとっては長男である。下に弟がいるのだが、この本の中では弟はあまり登場せず、もっぱらねじめと母親との触れ合いに焦点が当てられている。そこで、ねじめがどんなつもりで母親の介護にあたっていたか、それが気になる。ねじめはどうやら自由業ということになっているので、時間の融通はきくようなのだが、それにしても、ほとんど毎日、それも長時間母親の介護に時間を費やしている。かれのこの六年間は、介護に明け暮れたといってよい。そこまで母親の介護に没頭するのは、なみのことではない。単なる使命感でできるものでもない。おそらくねじめの中に母親に対する絶対的な帰依感情があったのではないか。かれが介護にでかけるのは、無論母親の面倒を見るためということもあるが、それ以上に、そうしなければ、自分自身が生きているという実感を待てないからではないか。この本の中で、ねじめは自分の妻から大マザコンぶりを何度も揶揄されているが、おそらくそうだったのであろう。かれは母親から是認されていないと不安なのだ。それは母親が認知症になった後も同じで、かれは毎日母親の叱咤を受けながら生きる気力を奮い立たせているようなのだ。

ねじめの介護は徹底して没我的なもので、申し分のないものだ。かれの母親への関わり方は献身的だ。だから、母親が六年間の介護を経て病院で死んだときには、自分としてやれるだけのことはやったという充足感はあっただろう。その点は、同じように母親を介護しながら、母親が死んだことにうしろめたさを持っている小生とは違う。小生は勤め人であったので、ねじめのように毎日母親をあずけている施設に赴いて介護するというわけにもいかなかった。それ以前に、家に居たがった母親を施設に入れたことについて、いささかの悔恨がある。しかし、実際にそれ以外の選択肢はなかったわけだから、如何ともなしがたいのだが、それにしても、自分は母親のためになすべくことをすべてなしたのかという悔恨の情は禁じ得ない。それは罪責感に近いものだ。

だから、ねじめのこの本を読むと、ある種の羨望を感じたりもする。ここまで献身的に母親を介護出来たら、なにも思い残すことはないだろう。ただその介護の中身が、息子と娘では違うという自覚がねじめにはあった。息子はどうしても母親を母親としてしか見れないが、娘の場合には、認知症でなにもわきまえなくなった母親は愛おしい存在と化すというのだ。子どもをじかに育てた女は、赤ン坊のすべてを許容して献身することができる。認知症になった母親は、そんな赤ン坊と同じなのだ。だから赤ン坊の面倒を見るように老いた母親の面倒を見れる。そこが娘と息子の違いだという。息子では、母親を無力な乳児のような存在として全面的に受け入れるということは出来ないということらしい。

この本の中には、母親の介護に関連して病院や施設で知り合った人々とか、少年時代に親友だった人物などが出てきて、それぞれ人と人の関わり方といったものが披露される。中には子供がえりした老婆などがいて、認知症はその人のパーソナリティをあらわにするものだということを思い知らされる。生来善良でやさしい人は、認知症になると子供のように天真爛漫になる一方、ねじめの母親のように、生活に苦労が絶えなかった人はときに攻撃的になったりもする。

小生の母親も、ねじめの母親と同じように苦労の絶えなかった人なので、認知症に陥ったあとでは、ときに攻撃的になることもあった。だが、夫つまり小生の父親を深く愛していたようだ。ねじめの母親も夫を愛していた様子が伝わってくる。ぼけても夫のことを忘れないのだ。小生の母親も、ボケても夫のことは忘れなかった。その夫、つまり小生の父親が亡くなったとき、小生は妹や弟たちとともにその報告をしにいったのだが、夫の死の知らせを聞いた母親は、オーイオイオイと声をあげて嘆き悲しんだものだ。その泣き声にせまられて我々子供たちも、ワーウワーウと声をあげて泣いたのであった。




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